「学校における生命倫理教育ネットワーク」第23回勉強会報告

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ダリル メイサー(責任者、筑波大学 助教授)
〒305 つくば市 筑波大学 生物科学系
生命倫理に関する教育研究グループ
ファックス番号:0298-53-6614


日時:7月21日午後1時〜3時

場所:麹町学園女子高校

加藤和人 京都大学人文科学研究所 文化研究創成部門

 この1月に京都大学に移るまで、大阪の高槻にあるJT生命誌研究館で、雑誌やビデオ、展示を通して生物学研究を専門外に伝えるという仕事をしてきました。そうした経験から、生命倫理についての議論や教育には、もっと、生物学そのものを学ぶ機会を増やす必要があるのではないかと思っています。私の考えについてのみなさんのご意見をお聞きしたいと思います。
(参考文献:研究室・研究所めぐり「JT生命誌研究館」、遺伝、1999年9月号、  「人の心につながる科学を」、科学(岩波書店)、2001年4、5月(合併)

参加者
ダリル・メイサー (筑波大学生物科学系)
前川史 (筑波大学大学院)
大道智子 (兵庫県立武庫荘高校)
槙本直子 (愛知県立豊田東高校)
岡田祥宏(ノバルティスファーマ 株)
栗平学 (東京都立調布南高校)
横山真弓 (私立相洋高校)
小野正恵 (東京逓信病院小児科)
大谷いづみ (東京都立国分寺高校)
石塚健大 (私立芝学園)
江口一哉 (私立芝学園)
白石直樹 (東京都立足立新田高校)
捨田利謙 (石川県立小松高校)
加藤和人 (京都大学人文科学研究所)

勉強会の流れ

 まず、この勉強会から事務局を努めさせていただくにあたり、簡単に前川から自己紹介を始めました。また、久しぶりに参加された先生方、同時に初めて勉強会に参加された方々の自己紹介も行い、今回の発表者である加藤和人先生の紹介を行いました。加藤先生はこの1月まで、大阪の高槻にあるJT生命誌研究館で、雑誌やビデオ、展示を通じて、生物学研究を専門外に伝えるお仕事をされてきました。現在は京都大学の人文科学研究所、文化研究創成部門に所属しておられ、生命倫理と生物科学について教鞭をふるっておられます。

 加藤先生が今回の発表で述べたかった最大のポイントは、より多くの事実に基づく判断を下すためにも、また、生命倫理についての議論や教育には、もっと生物学そのものを学機会を増やす必要があるのではないかという点でした。
 近年、生物学や生命科学の分野から、倫理的問題が次々と生まれています。加藤先生がおっしゃるには、1997年にクローン羊のドリーが生まれたことが、一つの引きがねとなって、それ以降さまざまな問題が文字通り噴出しているように思えて仕方が無いのだそうです。1998年にはヒトES細胞樹立成功の報告、また、遺伝子組換え作物についての議論がヒートアップしました。そして、2001年には一部の科学者等によるヒトクローン作成計画が発表されています。さて、ここで問題となってくるのは、なぜこういった問題が次々と起こっているのかという点です。もちろん、生物学が発展している事がその原因に他ならないのですが、問題はそのスピードにあると加藤先生は指摘しています。そのスピードが速すぎるため、多くの人が具体的な内容を知らないままに不安を感じているのが現状ではないかというのです。
 生物学・生命科学には、一つには人間(私たち自身)を理解するという意義があります。二つ目は自然(生物・環境)を理解する、そして三つ目は応用技術を生み出すという意義があります。現在、一般の人達が不安を覚えているのは、三つ目の応用技術についての情報や報告ばかりが氾濫し、第1・2については基本的な知識を持っていないためではないかというのが、加藤先生の主張でした。生命倫理の問題を考えるためには、これら全てを知る必要があるのではないでしょうか。
 ここで、加藤先生は実際に京都大学で教材として使っておられる新聞記事やプリントをもとに、いずれもが永い研究の歴史と、基礎から応用にまたがる意味を持つ、次の三つのテーマについて説明をされました。
1) ゲノム研究・遺伝子研究
2) クローンの研究
3) ES細胞の研究
 都合上プリントを全て掲載するわけには行かないので、その内容を出きる限りご報告したいと思います。まず、ゲノム・遺伝子研究の分野で加藤先生が参考図書として挙げられているのが「あなたの中のDNA」中村桂子著(ハヤカワ文庫)です。このプリントでは、もっとも基本的な知識として、いくつかの語句が説明されています。
DNA 物質名で、種や機能とは無関係。
遺伝子 DNAの中で、たんぱく質やRNAなどの機能的に重要な分子を作るための情報を持っている部分のこと。ヒトの遺伝子の数は約3万〜4万。
ゲノム それぞれの生物を作り、働かせるのに必要な遺伝情報を全て含む1セットのDNAのこと。
染色体 細胞分裂の際に、DNAがさらに凝縮したもの。
 次に,DNAが持つ三つの性質について述べられています。
1) 伝える(遺伝物質)
2) はたらく 体を作る(個体発生)
体を維持する(免疫、神経、内分泌など)
3) 変化する(進化)
 DNA(ゲノム)を研究する事で、進化の歴史、体のでき方、病気の理解など、生物に関する多くのことが分かります。その中でも、DNAからわかる生物進化の歴史について、少し述べておられます。オサムシ(Carabinae ground beetles)の研究から、いくつかの時期にいっせいに多様化が起こったこと、長い間変化しないものと短い時間に大きく変化するものとがあることなどがわかり、進化は不連続であるらしいことが分かりました。また、生物同士の関係を遺伝子レベルで見ていくと、ヒトと大腸菌にも良く似た配列が見つかります。つまり、ヒトだけが特別な存在ではないのです。このことから見ても、高等な生物、下等な生物という表現には意味が無いと言えます。例えば細菌にはジャンクDNA(機能のわからないDNA)が少ないことが分かっており、DNAの複製といった観点からすると、哺乳類よりも効率的であると言えます。そして、形態形成に関わる遺伝子を調べることで、形態の進化についても理解を進めることが出来ます。
 次に、クローン羊を考えるというタイトルのプリントの説明がされました。第1に、「クローン=人工の技術」ではなく、同様にだから危険だとは言い切れません。自然界にもクローンはたくさんいます。例えば、バクテリアや微生物、一卵性双生児などです。第2に、クローン羊の成功の意義は基礎科学と応用との両方にあるという点です。この研究の成功から、同一の遺伝的性質を持つ動物を増やす事が出きるという点、また、発生過程でゲノムは変化しないという点が示されました。クローンの研究の前身として、カエルを使った核移植の実験が1950〜70年代に行われていました。この実験はカエルのクローンを作ることが目的ではなく、個体発生の過程でゲノムが変わるか変わらないかを調べることにありました。ドリーの誕生の裏には、同様に哺乳類でも個体発生の過程でゲノムの変化があるかないかを調べるという目的があったことを、世間は忘れがちであると加藤先生は述べています。別のプリントとして、ドリーを作成したウィルムット博士のネイチャーに掲載された論文を(英文)全文提供してくださいました。
 このプリントの結論部分で、加藤先生は次の三つの点を挙げています。
1) 生物の世界は、階層性をもつ複雑な世界。多くのことがお互いに関係し、影響を及ぼし合う。分子―細胞―器官―個体―生態系。
2) 一つの技術の話しのみが、単独で伝わるのではなく、それを取り巻く研究(基礎も応用も)の全体像が伝わるようにすることが重要ではないか。とりわけ技術の是非を考える際には、そうした全体像がお互いに共有できていないと、反対か賛成かという不毛な議論になることが多い。
3) 全く技術を使わないでは人間は生きていけない。生物が生きていくということは、何らかの形で環境を変化させることになる。だからこそ、「適切な技術のあり方」を我々は探らなくてはならない。そのために広い知識を持つことが重要になるだろう。
 新聞などでクローンが取り上げられる際に、体細胞クローンと、初期胚クローンが混同されている場合があるという指摘もされました。また、最近話題になっているイタリアの研究グループのヒトクローン作成についても、ドリー作成の段階での失敗の多さや、未知の副作用といった安全性の面から、現段階では禁止するべきだとの意見を述べられました。
 ES(胚性幹)細胞については、時間の都合上簡単にプリントを説明するに終わりました。体ができるとき(胚性幹細胞)あるいはでき上がってから一分の組織(成体の腸、皮膚、血液、筋肉)に存在し、分化した細胞を生み出すもとになる細胞のことを幹細胞と呼び、一般に自己保存しながら、分化した細胞を生み出すものを指します。つまり、未分化細胞なので、全能性もしくは多能性を持った細胞なので、様々な場面での応用が期待されているわけです。
 加藤先生の発表を受けて、活発な議論が交わされました。1時間という短い時間だったため、途中でうちきらなければならないことが後悔されるほどでした。
 まず、ヒトクローンを作ろうという話題では、体細胞のクローンのことなのかという質問が寄せられました。これについてはまさにその通りで、初期胚のクローンはあまり話題にならないという答えでした。また、この技術によって生まれた子供は一卵性双生児と理論的には同じであるということです。しかし、ミトコンドリアや、ドナー卵の環境といった点から考えても、とても複雑で捉えにくい部分が多く残されていることも事実です。現在の研究はゲノムに頼りすぎている部分が多いので、細胞とゲノムの相互関係についての研究も同時に行われるべきだという指摘がありました。一卵性双生児であっても、片方には奇形が出て、もう片方には出ないという事実がある以上、分からないことはたくさん残されており、ヒトへの応用は慎重であるべきだという意見が挙がりました。
 生物の内なる環境と外なる環境は互いに影響を与え合っているので、切り離して考えることは出来ないというのが、加藤先生の主張でした。生態からのクローンを作る過程で、巨大胚や組織異常といった奇形が生まれています。もしかすると、ドリーが異常な例なのかもしれません。不妊治療に応用すると言っても、安全性はどこで確認すればよいのかという質問が挙がりました。もし、不妊治療としてクローンという選択肢が与えられたとしても、100%安全だから選択するわけではないだろうという加藤先生の意見でした。よりセンセーショナルな方向へ研究者達が進もうとしているのは、生命科学に対する面白みが減っているからなのかもしれない、ともおっしゃっていました。
 バイオテクノロジーの発展によって、私たちはより多くの選択が出来るようになったと錯覚しているけれど、その実生命を一つの方向に押しているのではないかという意見が挙がりました。遺伝子研究のプリントでも取り上げている「あなたの中のDNA」という本は、基本的に還元主義で、物理的な生命観に偏っており、それは捨てる必要があると加藤先生はおっしゃっています。一つの技術の利点ばかりでなく、無駄と利益を同時に抱えていることを、研究者も一般社会も認めて行かなければなりません。同時に、生物学者達は選択肢を提供するだけではだめだともおっしゃっています。常に、技術がどうやって生まれて、今に至っているかを知る必要があり、研究者側もそれを伝える心構えが必要ではないでしょうか。
 アメリカではELSIプロジェクトが遂行されていますが、日本でもそれを取り入れるべきではないかという意見が挙がりました。それに対して、単発のプロジェクトではなく、システマティックな基礎教育が必要であるという意見も寄せられました。日本では、大学受験などの関係で、生物が必修ではないこともあり、どこから手をつけていけば良いのかといった問題が残されています。
 いずれにせよ、少なくとも生命倫理を中心となって考えようとする人たちには、生物学・生命科学の広い知識を身に付けて欲しいというのが、加藤先生の願いでした。それには、例えば教師が生物学を学ぶ機会を増やすなど、個別の問題の背景、研究の意義、問題点の両方を考慮する姿勢が重要なのではないでしょうか。もちろん、研究者の側にも、同じような態度が望まれます。
 活発な議論も、時間の都合上打ち切る事になりましたが、その後の夕食の席でも有意義な意見交換がなされました。最後に、8月末の日本教育学会でのラウンドテーブル、また10月末の日本生命倫理学会での***にネットワークから参加することをお知らせしました。


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