日本,アジア,太平洋諸国における,疾患および治療の受けとめ

Darryl Macer (D. メイサー) , 加藤祐子
(〒305 つくば市 筑波大学 生物科学系

メイサー ダリル,加藤祐子,「 日本,アジア,太平洋諸国における,疾患および治療の受けとめ方」, pp. 210-217 in 藤木典夫 & ダリル メイサー,編,神経難病,ヒト・ゲノム研究と社会 (ユウバイオス倫理研究会 1994).


 現代社会は,医療,とりわけ遺伝に関する新技術の応用について,様々な政策の選択を迫られている。どの国でも,人々は遺伝子テストや新しい医療技術の使用に対して,個人として選択をしなければならない。社会的相互作用は,人々の持つ個人としての価値観に影響され,また医療面では,疾患,健康が最も重要な価値観となる。しかし,疾患に対する意識は,社会の様々な層の人々の教育や雇用にも影響しているのである。遺伝病,精神病の人々は差別を受けており,それは彼らにとって一層の負担となる。また障害や疾患を有するというレッテルを貼られることが,彼らの人生を左右するであろう。さらに将来,遺伝革命によってもたらされるであろう結末も憂慮される。

 生命倫理学は,生命に関する問題の意思決定をその研究分野とする。「善をなすこと」と「害をなさないこと」という二つの理想をバランスよく保ち,「自主性」と「公正」を尊重するのである。日本の,また,他の国々の人々は,個人として,家族として実際にこのような概念に基づいて決断を下しているのだろうか。我々は国ごとの比較によってその類似,相違の程度を見極め,どういったレベルでの普遍性が可能かを決定する必要がある。現在,多くの国は独自の道徳的規範を持っているが,中には誤った文化的特異性の仮説に基づくものもある。こうした規範は,世論調査によって得られたデータによって疑問を投げかけられるであろうが,社会に適用可能な規範であることの重要性も軽視すべきでない。人が人として同じであるならば,同じ規範が生命倫理に関しても適用できるのではないか。つまり,情報に基づく選択の自由と,社会に対する責任を尊重した上での世界的な生命倫理である。

 文化的類似性については,どのような答えを出せるだろうか。目を見開き,耳を傾けて観察する以外に,世論調査からデータを得ることもできる。1993年,協力者とともに,日本,オーストラリア,香港,インド,イスラエル,ニュージーランド,フィリピン,ロシア,シンガポール,タイで,生命倫理の論拠に関する世論調査を行った。この国際生命倫理調査には表1に示した人々が携わっており,これ以外にも非常に多くの国の多数の人々の協力があった。この調査には自由回答を求める設問が含まれている。意思決定に関する認識の類似性を示す鍵となるいくつかの設問については,北米,ヨーロッパとの比較を行う。ここでは取り上げていないが,自然,いのちの意味を尋ねた設問,環境や農業におけるバイオテクノロジーについての設問もあった。

 今回の調査では,一般市民,医学生,高校の教師を対象とした。アンケートはA4サイズで6ページにおよび,挨拶の手紙,調査結果の概要を請求できる用紙も同封された。一般市民と学生に対するアンケートの内容は似通ったものだが,教師へのアンケートの半分は,生命倫理,遺伝学の学習指導,カリキュラムについての質問であった。言語はその国のものを用いている。

 表2に回答者の分布を示した。一般市民のアンケートは,日本,オーストラリア,ニュージーランドそれぞれの国で無作為に選ばれた地域の郵便受けに配布した。回答は,同封した返信用封筒により,郵送で得た。郵送形式の回答は,インタビュー形式のものに比べ,より長いコメントが得られるという利点がある。分布はそれぞれの国の典型的人口構成を示しているが,インド,イスラエル,ロシア,タイについては国民の平均よりも高等な教育を受けた人々を多く含む。学生の回答者は前述した(表1)機関から選んでいる。

 この調査は,文部省ヒトゲノム計画のELSIグループから一部援助を受けているユウバイオス倫理研究会と,筑波大学から助成されている。日本の高校の調査の一部は現在我々が参加している文部省の長期プロジェクト(生命倫理を,生物,社会の授業で扱うための教材開発を目指している)の一環として援助が得られた。


表1:国際生命倫理調査に携わった人々

データ入力:
オーストラリア,香港,イスラエル,ニュージーランド,フィリピン,シンガポール メイサーダリル
インド,タイ メイサーダリル, 秋山詩朗,都築美保
日本一般市民と医学生 加藤祐子
日本高校の教師 筑波大学 秋山詩朗,浅田由紀子,都築美保
ロシア Vijay Kaushik, Russian Academy of Sciences

データ収集 (入力者と異なる場合):
一般市民
タイ Peerasak Srivines & Prasert Chatwachirawong, Kasetsart University
インド Jayapaul Azariah, Hilda Azariah, University of Madras
イスラエル Frank Leavitt, Ben Gurion University
医学生
オーストラリア Peter Singer, Monash University
香港 Maureen Boost, Hong Kong Polytechnic
日本 福井医科大学 平山幹生,藤木典生; 筑波大学  林 英生
ニュージーランド D. Gareth Jones, Otago University
フィリピン Angeles T. Alora, University of San Thomas
シンガポール Lim Tit Meng, Natl. Univ. Singapore; Ong Chin Choon, Singapore Polytech
(生物系学生)


遺伝病,精神病およびこれらにかかっている人に対する認識

 遺伝病に関する設問の結果から,我々のとっているアプローチが説明できよう。問19「遺伝病を持っている人を知っていますか。」,問24「精神病にかかっている人,また精神病歴がある人を知っていますか。」に対する回答結果は表3,4に示した通りである。遺伝病,精神病にかかっている人を知っていると答えた人の割合が国によって異なるのは興味深いところである。知っていると答えた場合にはどんな病気か挙げてもらうようになっているが,これによって人々がどんなものを遺伝病,精神病と考えているかもわかる。

 日本の一般市民と学生,香港の学生の多くが,遺伝病として色盲を挙げていたが,それ以外の国ではほとんど見られなかった。色盲の発生率は白人男性で8%,しかし日本人では5%である。日本の場合,高校の授業で遺伝病の例として扱われているため,人々の印象に残っているとも考えられる。教育の場で遺伝病を扱う場合には慎重にすべきであろう。また香港については,アンケートに答えた医学実習生が,将来医療雇用者から正常な色覚を要求されるため,全員が課程を始めるにあたり色覚検査を受けていることが原因ではないだろうか。

 表5では,筋ジストロフィーにかかっている人に対するコメントを示した。多くの人が悲しみや同情を表わしていたが,日本では「治療が受けられるとよい。」といった表現が多く見られた。これは言語的な問題であり,一種の同情的表現と考えられる。ニュージーランド,オーストラリアについては,どんな病気を持っていようとも人は同じだといった内容のものが,より多く含まれている。筋ジストロフィーの人を尊敬すると答えた人はわずか2%であったが,ほかの疾患ではほとんど見られなかった。うつ病のような精神病については(表6)多くの人が,本人の責任だと考えている。ノイローゼの人に対してはより漠然とした恐れを感じているようだ(表7)。その他の疾患については本書のKaushikとMacerの論文,および参考文献2を参照されたい。

 自由回答を統一するため,英語によるものはすべてD. Macer,日本語のものは加藤が分類を行った。また日本語のコメントは分類を一致させるため,英語に翻訳されている。

 障害を持つ人,優生学に対する意識は,遺伝子スクリーニング,選択的中絶の受け止め方を吟味することによってもアプローチが可能である。本書に前出の論文で(Macer,p.114)日本では国民健康保険の下での出生前診断を容認する割合が高いことを見た(賛成76%,反対8%)。個人的に利用したくないという人は米国よりも少ない。障害を持った胎児の中絶は,どの国でも支持されている。日本でも高い支持率を示し,反対だと答えた人は12%に過ぎなかった。遺伝子スクリーニングの賛否についての理由は前にも述べた(Macer,p.115)。選択する権利,親の負担の軽減,ヘルスケアの権利といった内容が多い。また胎児に生きる権利があるという人はほとんど見られなかった。

遺伝子治療を支持する理由

 表8では遺伝子治療を個人的に利用することに対する支持率が高く,また自分の子供に対する治療でも同様であることがわかる。日本でその支持率は増加傾向にあるようだ。遺伝子治療を支持する理由は表9の通りである。命を救うため,生活の質向上が主だった理由で,「遺伝子の改良」といった回答は少数であった。優生学的な考えは1991年(参考文献3〜5)の別の設問でも明らかなように,非常に少ない。遺伝子治療を,健康維持のための治療と美容へ応用することについては,多くの人が,前回の調査(Macer,p.116)に比べ,慎重な態度を示している。

特殊な治療のための応用に対しては,日本でより高い支持があると考えられる(問28)。また問26,27(表8)による遺伝子治療の支持率は1991年のものに比べ,かなりの増加である。これはマスコミで,特に昨年中,取り上げられることが多かったためではないだろうか。この増加を1986年から1992年の米国の傾向と比較すると興味深い。

まとめ

 これらの結果は全て,それぞれの地域的背景,コメントの具体例,分類の基準などを加えて「Bioethics for the People by the People」として出版される(参考文献2)。これによって一般の人々の生命倫理に関する意思決定や,遺伝疾患に対する問題の共通性を考察することができよう。多様な回答結果は,どの国,どの層にも見られるものであり,たとえば,出生前遺伝子スクリーニングのような新しい遺伝技術を利用したいと考える人,選択的中絶に拒否反応を示す人はどの社会にも存在するのである。また遺伝子治療についても予想以上に高い支持があることがわかった。これらはヒトゲノム研究が押し進めている新医療技術をさらに発展させるであろう。

 疾患をもつ人に対する認識については,遺伝子スクリーニングの利用が増加するに伴って多少の影響を受けるかもしれないが,これが重要な傾向を示すものかどうか判断するにはさらなる検討が必要となろう。また,ほぼ全ての国で大多数の人が疾患をもつ人に同情を示していたが,現実には,人々が常にこうした態度をとるわけではない。このような研究は問題処理の一つのアプローチに過ぎない。調査結果は,異なる社会の一般的な「生命倫理的成熟度」を評価する方法を開発するためにも用いられている(参考文献2,5)。

 本調査における最も重要なメッセージは,異なる国の人々が,このような遺伝学に関する生命倫理の問題の多くの部分で,非常に似通った見解をもっていることである。主な相違は,選択的中絶の容認に関するものであるが,非常に信仰深いと答えた人々さえも賛同していることに留意すべきであろう。こうした問題は解決し難い二面性をもっており,生きる権利を尊重するというだけで単純に片付けられるものではない。いかなる世界的倫理も,人々の情報に基づく選択,文化を超える選択の幅を重要視すべきである。そして,これが政策として反映されるかどうかはともかく,我々は現実を見つめ,過去の遺産を考慮しなくてはならない。


参考文献

1. Macer, D. (1992) The 'far east' of biological ethics. Nature 359: 770.

2. Macer, D.R.J. Bioethics for the People by the People (Christchurch, N.Z.: Eubios Ethics Institute 1994).
3. ダリル メイサー,遺伝子工学の日本における受けとめ方とその国際比較, (ユウバイオス倫理研究会1992).
4. Macer, D.R.J. (1992) Public acceptance of human gene therapy and perceptions of human genetic manipulation. Human Gene Therapy 3: 511-8.
5. Macer, D.R.J. (1994) Perception of risks and benefits of in vitro fertilization, genetic engineering and biotechnology. Social Science and Medicine 38: 23-33.


Tables not on-line. See reference 2.

表2:回答者の分布 %で表記
1993年の国際生命倫理調査(参考文献2)の回答者数(N),1=回答率,2=調査の開始時期,(+)=インド(N=300/880),タイ(N=274/770)の調査は分析が完了しておらず,データは上記の回答率に基づく。省略記号:NZ=New Zealand; J=Japan; J91 from Japan 1991 survey (4); A=Australia; P=Philippines; S=Singapore; HK=Hong Kong; T=Thailand (in English N=67); R=Russia; a small s=medical students; US86 (from the Office of Technology Assessment Survey 1986); US92 (from March of Dimes Survey 1992, N=1000).

表3:遺伝病を持っている人を知っていますか。

表4:精神病にかかっている人,又は精神病歴がある人を知っていますか。

表5:次のような遺伝病を持っている人に対してどう思いますか。筋ジストロフィー

表6:次のような精神病にかかっている人に対してどう思いますか。うつ病

表7:次のような精神病にかかっている人に対してどう思いますか。ノイローゼ

表8:個人,家族に対する遺伝子治療の高い支持
++ 是非受けたい + 受けてもよい  - あまり気が進まない   -- 受けたくない  ? わからない
問26 テストの結果,現在は発病していなくても後になって重い,又は致命的な遺伝病になる可能性が高いとわかったとします。その場合,問題の遺伝子を修正するような治療を受けたいと思いますか。また,それはなぜですか?
問27 もし,あなたの子供が致命的な遺伝病をもっている場合,問題の遺伝子を修正する治療を子供に受けさせたいと思いますか。また,それはなぜですか?

表9:遺伝子治療に関する理由
問26 テストの結果,現在は発病していなくても後になって重い,又は致命的な遺伝病になる可能性が高いとわかったとします。その場合,問題の遺伝子を修正するような治療を受けたいと思いますか。また,それはなぜですか?
問27 もし,あなたの子供が致命的な遺伝病をもっている場合,問題の遺伝子を修正する治療を子供に受けさせたいと思いますか。また,それはなぜですか?


Email < Macer@biol.tsukuba.ac.jp >.
On the Eubios Ethics Institute (English)
ユウバイオス倫理研究会