「学校における生命倫理教育ネットワーク」第16回勉強会報告

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ダリル メイサー(責任者、筑波大学 助教授)
〒305 つくば市 筑波大学 生物科学系
生命倫理に関する教育研究グループ
ファックス番号:0298-53-6614


生命倫理教育とデス・エジャケーションをテーマに−

<とき・ところ>
1999年10月16日午後3時〜6時
東京都立日本橋高校にて

<参加者>
社会科
井上兼生先生(埼玉県立大宮中央高校)
石塚健大先生(私立芝学園高校)
大谷いずみ先生(上越教育大学)
小泉博明先生(東京都麹町学園女子高校)
田中裕己先生(名古屋大学教育学部付属高校)
山下亨先生(東京都立東村山高校)

生物科
白石直樹先生(東京都立足立新田高校)
橘 都先生(東京都立羽田高等学校)

吉野きよみさん(国立小児病院)
メイサー、ダリル(筑波大学生物科学研究科)
近岡三喜子(筑波大学第2学群生物学類)

勉強会の流れ

オリエンテーション、アイスブレーキング
(15:00〜15:20)
第16回の勉強会の司会進行は小泉先生がなさってくださいました。まず、小泉先生は第16回の勉強会のテーマについて説明してくださり、そのあと全体で1つのグループで話し合うことなど大まかな流れをお知らせしてくださいました。
また、生命倫理研究室から今回初めて参加した近岡の紹介があり、その後参加者全員で名前などを述べる簡単な自己紹介がありました。

小泉博明先生の報告
生命倫理学とデス・エジャケーション
15:20〜14:20
まずはじめに、小泉先生は在原業平の「つひにゆく道とはかねて聞きしかど きのふ今日とは思はざりしを」(伊勢物語125段)といううたをご紹介されました。このうたはまさしく、死生観、つまりはデス・エジャケーションの根本を表しているのではないかとのことでした。
現在、核家族化や医療の進歩といった状況の中で病院で死を迎える人が多くなり、畳の上で身内に囲まれ死を迎えるというケースが少なくなる中で、先生は「二人称の死」の重要生を強調しておりました。
そのよう状況の中、デス・エジャケーションの課題として下記の3つをあげられました。(Encyclopedia of Bioethicsより)
まず1つめに、死を迎えつつある人に向けて、死に対する恐怖を軽減し、死へのソフト・ランディングを助けるというものであること。2つめは、医療従事者などに向けて、死に対する介護者自身の不安と静めるとともに死に行く人の心理を理解させるというものであること。3つめは、自ら死に直面していない一般の人に、死を少しでも深く理解させるものであること。とくに遺された家族や子供達に、離別の悲しみを学ばせたり、学童時の子供には自殺の予防に配慮する、と言う事が重要な課題であるとのべられました。
現在の日本の教育では、これらのデス・エジャケーションの課題を達成して行く為似はまだまだ不充分であり、「死」を考えるよりも、「生」を考えた教育になりがちであるとのご指摘もありました。
そこで、先生はアメリカのデス・エジャケーションをご紹介されました。アメリカでは1977年から『デス・エジャケーション』という雑誌が年に4回発行され始め、1985年からその名を『デス・スタディ』にを変更し、隔月間で発行されているそうです。
先生がご紹介してくださった『デス・エジャケーション』の創刊号はミネソタ大学社会学部をはじめ哲学、心理学、医学、看護学、教育学など各分野37名にわたる執筆からなり、論文内容はハイスクールや大学でのデス・エジャケーションのし方、授業方法、医学部や看護学校でのデス.エジャケーションのあり方から自殺や安楽死、宗教とあらゆる発展した内容があるものでした。
また、先生はミネソタ大学の「社会学における死」という講座の授業計画とメインランド大学の保険教育学の講座の授業計画を先生が作成してくださった冊子より紹介してくださいました。その中で印象的であった授業内容は実際に葬儀屋に見学しにいくことが授業に組み込まれていることでした。また、アメリカでは葬儀屋は資格を持っていないできないのだそうです。
そしてフロリダ州の小学校のデス・エジャケーションの指導要領を具体的に紹介してくださいました。講座「死と終末」は、受講する為に親の承諾証が必要とされており、親にも積極的に授業に参加してもらい子供と死について考えるシステムになっていることなど教えていただきました。
先生のお話から、アメリカではデス・エジャケーションについて小学校から積極的に取り組んできているこが理解できました。そのような中、日本においても現実的な「死」そのものを研究対象とし、さまざまな分野を背景として、学際的かつ総合的にとらえていくこと−それを人間の尊厳、生命の尊厳という視点の実践的な教育として、あるいは死を受容して安らかな死を迎えるための人間教育としてデス・エジュケーションを構築すことが大切であると述べてくださいました。またデス・エジャケーションを医学教育、看護教育等の専門家教育、さらに大学から小学校や幼稚園おける教育、そして生涯教育としての指導研究もデス・エジュケーションに含まれるということです。

全体での討論
14:20〜17:45

小泉先生の報告をもとに全体で1つのグループになり、意見または質問を出し合い討論を行いました。全体での討論は活発に行われ、いくつか投げかけられた質問のうち、生命倫理学とデス・エジャケーションの違いはなにかというものがありました。それに対する意見としては、生命倫理学とデス・エジャケーションは多くの選択を伴うという点では類似しているが、両者は異なるという意見が多かったのではないでしょうか。そこから道徳と生命倫理学の違いは何かという議論に発展しました。  生命倫理学は政策決定や考え方に関与するものであって、一番良い政策を決定するものではなく、選択肢を考えて最終的に政策決定に影響を与えるものである。一方道徳とは一番良い方法が決まっておりそれを学ぶという学問ではないかという意見が出されました。
また、「死」という言葉を使うことで印象が強くなる分、かなり慎重に扱わなくては行けない話題になるであろうという意見が出されました。軽い気持ちで学ぶ学問ではなく、宗教や哲学のような確固たる信念も必要とされるだろうという意見も出されました。
アメリカの雑誌「デス・エジャケーション」から「デス・スタディ」に名前を変更した理由は何かという質問には、教育、カウンセリング、ケアに法律倫理を加えると、エジャケーションでは範囲が狭すぎる為、スタディと誌名を変更したと答えられました。
そして、学校の生徒たちは「死」について暗いイメージを持っており、それよりも「生きる」ことの楽しさやすばらしさを学びたいという考えを持つものが多いという意見も出されました。デス・エジャケーションを行うにあたっては、身近なペットの死を扱うのも1つの方法であるという考えも出されました。
やはり、デス・エジャケーションを教育の場で行うにあたり、生命倫理教育も関係してくるため生命倫理教育の確固たる定義を持たないと難しいそうです。
全体での討論ではデス・エジャケーションから、生命倫理学とは、道徳とは・・といった奥の深い論議が展開されました。

事務的連絡
17:45〜18:00
 
 次回の勉強会の日程や「日本における高校での生命倫理教育」作成にあったっての連絡等がありました。


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