「学校における生命倫理教育ネットワーク」第27回勉強会報告

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ダリル メイサー(責任者、筑波大学 助教授)
〒305 つくば市 筑波大学 生物科学系
生命倫理に関する教育研究グループ
ファックス番号:0298-53-6614


日時:2002年5月11日
場所:私立芝学園
内容:「新学習指導要領にまつわる問題点などについて」

発表者:橘都 東京都立羽田高校

勉強会のお知らせがぎりぎりになってしまってすみませんでした。発表の詳細については、当日橘先生の方から、問題提起という形でお話していただきます。私立芝学園までの地図は、学園のホームページ <http://www.shiba.ac.jp/acss.html> を参照してください。営団日比谷線「神谷町」または都営三田線「御成門」がベストですが、都営浅草線「大門」や、都営大江戸線「赤羽橋」も利用可能です。JR京浜東北線「浜松町」からだとタクシーでワンメーターちょいだとおもいます。なお、タクシーの運転手さんには「芝学園(芝高校)」「正則高校のとなり」「オランダ大使館の前」のどれかで通じるはずです。

参加者
石塚健大(私立芝学園)
井上兼生(大宮中央高校)
江藤一哉(私立芝学園)
加藤美由紀(晃華学園中学高等学校)
栗本 学(東京都立調布南高校)
橘 都(羽田高校)
田中裕己(大同工業大学)
前川 史(筑波大学)
ダリル・メイサー(筑波大学)

 まず、佐藤先生、小泉先生、山下先生が所用で参加できない旨を伝えて、今回は、研究発表というよりは、話題提供という形で、橘先生に新教育指導要領の抱える期待や問題点について発表していただきました。
 来年から本格的に新学習指導要領が実施され、卒業単位数が80から74単位に減り、各学年の週単位数も32から30へと減りました。新たに情報(2単位)・総合的学習の時間(3〜6単位)が設けられ、現行よりも7時間ほど、他教科の学習時間が減ることになります。また、就業経験やボランティアの体験学習を積極的に取り入れることが大きな中心となっています。情報は、情報化時代に対応するための基礎素養をつけるため、また総合的学習の時間については、国際理解、生命倫理(健康・福祉)環境、情報など教科総合横断的なものを扱い、生徒自身の力で学び、考える力を育てることを意図しています。
 学校裁量で出来る科目が増えたと言えますが、実際のところ、どこまでユニークな教育ができるのでしょうか。東京においては、総合的学習のための費用や人の支援について、それほど積極的に配慮がなされていません。加えて、長期休業中の教員の研修については、かなり縛られる動きがあります。小・中学校では、道徳の時間の全校公開や、高等学校での教科書採択についての、学校裁量の幅が狭くなりつつある中で、どれほど独自な展開ができるかは、疑問が残ります。
 情報については、特に他教科を減らさずとも目的は達せられるのではないか、と橘先生は主張していらっしゃいました。また、総合的学習の時間も、他教科をけずらず、特別活動の時間をふやすことで解決できることなのではないか、ともおっしゃっていました。また、人権に関する教育を高等学校でも積極的に取り上げることが必要なのではないでしょうか。もちろん、総合的学習の時間で扱う事もできるでしょうが、新学習指導要領の中には、それほど中心課題として取り上げられてはいないのが事実です。
 従来の科目の時間をあまり減らさずにいくほうが、高校卒業後の進路の実態がそれほど変わらない現状においては、余裕を持った授業時間のなかで、各教師が工夫を凝らした授業展開ができるのではないかと、橘先生はおっしゃっています。今回の新学習指導要領における総合的学習の最大の長所は、数値評価を行わない点と、各教科単独では気が付きにくい、指導しにくい項目について必ず学校で扱うことにあるとも、おっしゃっていました。 橘先生の勤務していらっしゃる羽田高校では、総合的学習の時間に、国際理解、羽田の地域理解、そして情報という三つの科目を中心的に今年から開始したようです。文化祭での展示、年度末のレポートなどが、主な課題となるようです。
 橘先生の話題提供に続いて、各先生方の意見や疑問などを交換しました。まず、情報という新教科についてですが、その教科の免許を専門的に持っている先生が現われるのは、実際には3年後くらいですが、それまでの期間、どうやって対処していくのか、という話題になりました。すべての学校に、一人は情報の免許をもっている先生がいなければならないので、理・数・家庭科などの先生が、夏休みに講習を受けて、免状をもらうか、または近隣の学校の先生に来てう、といった対処を、羽田高校では取っているようです。私立高校である芝学園では、書類上のカリキュラムは、情報や総合的学習を取り入れた形でできているが、時間割にはまだ反映されていないという現実があるようです。他の公立高校でも、最終決定にはまだ至っていないところがあるようで、様子をみているというのが現状のようです。通信制の高校などでは、いったいどこまでできるのか、また、どうやっていけばよいのか、方法的にもその効果についても、疑問が残るという意見も挙がりました。
 実際には何もしない、という学校も出てきてしまうかもしれません。しかし、総合的学習の時間は、歴史的に必要性が叫ばれる時期にきているのではないか、という意見が挙がりました。アメリカでは、プロジェクト学習など、自らの力で考える力を養うような教育に重点をおいているようです。これまでの日本の高校は特に教科主義で、生命や環境といった、多教科にわたる内容をカバーできなかった点が反省されているのではないでしょうか。総合的学習の時間は、段階的に発展させていくも、良し、学校全体で取り組めればさらに良し、という意見が出ました。ただ、カリキュラム上、2単位という制限の中で、何ができるかについては不安が残ります。ただ、譲れるところは譲り、教科同士で補い合っていくことが重要なのではないでしょうか。
 総合的学習の時間が考案されていたころは、期待感も多分にあったようです。ただ、最近になってメディアが、学力低下と授業数カットを取りざたし始めたとたん、悪役を押し付けられてしまった感はいなめません。文科省も、画一教育の枠がはずしきれていないのではないか、という指摘がありました。教科書など、学校ごとの裁量の下限を定めるはずの指導要領が、上限を決めてしまっている現状があります。もっと予算や人材をつぎこむことが、叫ばれています。教員側のやる気も問題になっていますが、やる気のある教員もいるでしょうが、サポート体制がきちんとしていないのではないか、という指摘がありました。
 実践例として、芝学園では、倫理の担当者3人が好きなトピックを出し合って、教科書どおりではない取り組みを行っています。毎回のテーマを、思想家につなげて、ミニレポートとして生徒たちの意見を書かせたりしているそうです。また、教科をまたいで、たとえば漢文でとりあつかう内容と、中国思想をなるべく同時期に行うなど、教員同士の協力が大切だということでした。ただ、たとえばクローンを取り扱うときなど、基本的な説明には専門家の意見を聞きたい、など、問題も残るようです。さらに、生命倫理にまつわるトピックは5段階評価になじまないという指摘もあり、総合的学習ではそういう面での評価が義務付けられていないため、なじみやすいのではないか、という意見もありました。
 総合的学習の時間は、教師が教える、というよりは、コーディネーターや、ファシリテーターとして活躍したほうが、趣旨にも合うし、教師にとっても楽なのではないか、という意見も挙がりました。また、教科ごとの橋渡しとなり、好き嫌いをなくして頭の中でのリンクができやすくなるのではないか、という意見もありました。
 ここで10分間の休憩をはさみ、いくつかダリルの質問をベースに、さらに議論を進めました。
まず、新科目となる情報にはA・B・Cがあり、それぞれに一般情報や情報化の歴史とシステム、機械やソフトの使い方、そして、著作権や情報倫理などが割り当てられています。大まかに理系向けと、文系向けに分けられていますが、中学校では技術家庭科の授業に、「情報モラル」が組み込まれており、info literacyに一役かっています。現存する教科の中で、もっとも柔軟性のある教科は何か、という問いに対しては、総合的学習の時間が一番フレキシブルだろう、という答えでした。
さらに、これまで先生方が生命倫理を取り入れてきた、生徒に対するインパクトはどうであったか、という問いに、それぞれ答えていただきました。第一に、生徒たちは意外と、文章や考えを書き記すことに飢えている、という印象をもたれた先生がおられました。授業中や宿題で5〜10行くらいの用紙に書いてもらうと、予想以上にたくさん意見を述べてくれる生徒がいることに、驚いていらっしゃる面もあるようでした。別の例として、総合的学習の時間が、進路決定に与える影響が大きいという意見もありました。大多数では違うかもしれませんが、中には自ら調べ進めた、環境問題について、大学に進学後も継続して勉強を続けたような生徒もいたようです。普段教室で学んでいるだけでは出会えないような人から、話を聞くことによって、大きく影響を受けることがあるようです。
次いで、日本の学校で生命倫理を教えるのに、最も適した方法は何であるのか、という問いが挙がりました。ディベートやディスカションで意見交換を行うのがよいのか、個人調査の後に発表を行うのがよいのか、それは学校の特色によるのではないか、という答えが返ってきました。中には、十分な下調べのあとでならば、白熱したディスカッションが繰り広げられ、十分な効果が期待できる学校もあれば、逆に、生徒個人の調査に任せて文章を書かせたほうが、多くのフィードバックが得られるような学校もあります。教育的ディベートの場合、勝敗よりもその過程が重要視される、という点もユニークかもしれません。しかし、一度ディベートのゲーム要素が面白いと感じれば、熱中して次回もがんばる生徒が出てくる可能性は高い、というし滝もありました。ただ、特に素直であるとか、従順である、というケースでなくても、もっぱら質問ができない生徒が多いため、あまりディスカッションにはならない、という意見も上がりました。
すべての場合に言えることですが、教師が道をひいて、誘導的になってしまうのは問題であろうという意見が上がりました。最終的にはそれでも、やはり何らかの形として残したい、というのが教える側の欲かもしれません。生徒たちが受身なところから、自ら考えられるところへと導くことが重要ではないかという意見がありました。それでも、生徒たちは教師の言うことを答えだと思いがちで、生命倫理を教えるこわさが、そこに潜んでいる、と感想を述べてくださって先生がいらっしゃいました。下手に教えてしまうと、誤解を招きかねない、と思っていらっしゃる先生もおられました。生徒たちがこれまで育ってきた環境や、家庭の背景など、捉えきれない部分は多数あります。実際に病を抱える生徒に対して、がん告知や安楽死の話題をどのように取り上げていいか、といったてんは、まだまだ考えていかなければならないでしょう。
実際に生命倫理のトピックを教室で扱うときに、教師の意見を求められることが多々あります。その場合に、自分の意見を述べるか、なるべくバランスを取って、事実を中心に提示するか、教師一人一人で対応は違ってくるでしょう。ただ、やはり自分の意見を述べることを躊躇する必要はないのではないか、ということでした。私個人の意見だけれど〜という前書きつきでも、生徒をがっかりさせるよりは、提示してあげることが良い場合もあるでしょう。それでも、基本となるのは、さまざまな意見をフェアに扱って、なるべくバランスを取っていく方法ではないか、という意見もありました。
ここで、時間がきたため、いったん討論は終了しました。このあとも、夕食を交えて、活発な意見交換がなされました。


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