「学校における生命倫理教育ネットワーク」第29回勉強会報告

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ダリル メイサー(責任者、筑波大学 助教授)
〒305 つくば市 筑波大学 生物科学系
生命倫理に関する教育研究グループ
ファックス番号:0298-53-6614


日時:2002年10月5日
場所:私立芝学園
内容:「保全対象の生物の捉え方について」をテーマに

発表者: 晃華学園中学高等学校
加藤美由紀

1992年に生物多様性条約が制定されたが、生物多様性の保全という問題学上、遺伝上、社会上・・・の価値を認識し、・・・」と示されているように、いろな側面が含まれる。

 学校教育において、生物多様性保全のような環境問題を考える場合に、保全す面や対象を考慮すると、複数の教科間のクロスカリキュラムが考えられる。  そこで、現行の教科書において生物多様性保全について触れられている倫理とについて、昭和22年から平成11年告示の学習指導要領にみられる、保全生物の捉え方を整理したところ、変遷がみられた。

 また、意識調査の結果、生物教師や高校生の生物の捉え方には違いがみられた。

 これらのことを含めて、当日は生物多様性保全の授業を行う際の留意点につい参加される先生方のご意見を拝聴したいと思います。

参加者
石塚健大(私立芝学園)
井上兼生(大宮中央高校)
大谷いづみ(東京学芸大学付属高等学校
大泉校舎)
加藤美由紀(晃華学園中学高等学校)
栗本学 (東京都立調布南高等学校)
斎藤三男(実践生物教育研究会)
斎藤(東京学芸大学付属高等学校大泉校舎)
白石直樹(東京都立足立新田高等学校)
坪井重子(川口市立川口高校)
中村良治(筑波大学)
前川 史(筑波大学)
メイサー・ダリル(筑波大学)

 最初に、常連参加者の田中先生と、小泉先生、江口先生が都合により欠席されることをお伝えしました。また、大谷先生のご紹介で、学芸大付属高校の斎藤先生が初めてご参加くださいました。今回は、保全対象の生物の捉え方について、加藤美由紀先生が発表をしてくださいました。
 生物多様性保全は、1992年に生物多様性条約が制定され、これを受けて1995年に生物多様性保全国家戦略が策定され、その第5章では、学校教育における施策も述べられているようです。理科教育において、生物多様性保全に関する授業を行う場合に、生態系や進化の側面からの知識理解を行うことができても、保全するという人間の行為に触れてよいかどうか、加藤先生は迷っていらっしゃいました。そのため、理科という教科のひとつのあり方を模索し、理科教育において自然科学的な側面以外の「生物を保全するという行為」について、どのような考え方があるのかをまず整理し、理科教育の中でどのように生物を捉えてきたかを、学習指導要領や教師、生徒の意識調査から探るために、今回の調査を行ったということでした。
 環境問題というと、ごみ問題や環境ホルモンといった、私たちの生活に直接関わるようなテーマに限られがちなのではないでしょうか。もちろん、日常に関わる問題を取り扱うことで身近に捉えることができるという利点はあります。それとはまた別に、哲学的理由付けや、背景についても、考慮する必要があると考えられます。
まず、理科教育の1つのあり方として、図3を紹介されました。

図3:理科教育のあり方、その一例として

哲学 人間像

現代社会 目標

工学・技術 理科教育内容

自然科学
教具 学習活動 指導方法・技術

心理学 必要興味
(現代理科教育大系 P.3より一部改変)

 図3にも表されているように、理科教育には6つの側面があります。
1) 個人生活、家庭生活に役立つ実用的価値実現を目的とする面
2) 職業に必要な専門的知識能力の基礎を与えることを目的とする面
3) 民主的社会において、自由と責任を持つ個人として必要な知識見解を与えることを目的とする面
4) 革新的に変化しつつある技術に対応する柔軟な科学的能力や態度、そして一般社会事象を科学的に捉え、理解し、判断する能力や態度を与えることを目的とする面
5) 錯綜する思想・知識・情報などから、確乎とした学問・知識・思想を受容形成していく能力・態度を科学の学習を通して高めていくことを目的とする面
6) 科学的自然観を基礎として世界観を確立し、現代文化の一つとしての科学を味わえることが、現代の文化人として重要な一面であることを認識し、これらを目的とする面(現代理科教育大系2 P.115)
 これらのことをかんがみると、理科(生物)の授業であっても、人間の行動の背景にあたる動機付けについても、触れていくことは適当だと思われます。さて、それでは、生物の保全に関する議論はどうなっているのかに、話は進みました。生物の保全に対する考え方を、加藤先生は以下の3つに分けられるのではないか、と紹介されました。
1) 固体の生命を尊重する考え方:動物の苦痛に配慮する考え方;動物の生命を尊重する考え方;生態系の一員として個体の生命を尊重する考え方
2) 生態系を保全する考え方:生態系全体として保全;生物圏中心的な民主主義
3) 風景として保全する考え方
 上記の3つの分類にあてはまる考え方の例として、加藤先生から次のような引用文が紹介されました。まず、固体の生命を尊重する考え方の、動物の苦痛に配慮する考え方として、ピーター・シンガーを挙げておられます。“All sentient beings have interests, and we should give equal consideration to their interest, irrespective of whether they are members of our species or of another species.モ 次に動物の生命を尊重する考え方として、トム・レーガンの「絶滅の恐れのある種については、絶滅の恐れのある種の成員である個体を救うということを目的としており、絶滅の恐れがあるから救うのではなく、その種の固体の生育する自然を破壊したり、人間が利益をあげるために密猟・売買することが、その固体の権利を不当に侵害していると捉えたためである」という考え方を挙げられました。この考え方(権利論)が否定しているのは、次の2点です。
1) 絶滅の恐れのある動物の価値を、こうした人間の利害の総計に還元可能、もしくは交換可能とみなすこと。
2) これらの動物を個体数の多い動物より優先して救うべきかという問題も含め、彼らの扱いを、個別的であれ集合的であれ、こうした人間の利害をものさしに決めること。
 さらに、上記の考え方に反論する形で、マイケル・A・フォックスは次の2点を述べています。
1) 基本的な道徳的権利は楽しんだり、苦しんだりする能力(この能力は基本的権利を認めるための必要条件であるが、十分条件ではない)以外の基準から生じるということ。
2) 権利を確立するときに考慮すべき特徴は、あるクラスに属する生き物が、普遍的にではないとしても、一般的に共通して持っている特長である。
 次に、生態系を保全する考え方の中でも、生態系全体として保全するものに、レオポルドの主張が挙げられました。

自然に対する倫理は生態学的に必然である。倫理はその場の生態的状況に対応する際の指針である。従来の倫理の範疇にあった人間個人は、相互に依存しあう諸部分からなる共同体の一員である。共同体という概念の枠を、土壌、水、植物、動物、これらを総称した“土地”にまで拡大した倫理。土地倫理は、ヒトという種の役割を、土地という共同体の征服者から単なる一構成員、一市民へと変え、土地倫理に内包されるものは仲間の構成員に対する尊敬の念の表れであると同時に、自分の所属している共同体への尊敬の念の表れ。
 この考え方に対して、加藤尚武や、白水といった人たちが意見を寄せています。(引用文献一覧参照)また、生物圏中心的な民主主義として、アルネ・ネスの「植物にも動物にも自己実現の権利、すなわち生存の権利(right to live)がある」という考え方が挙げられました。固有の価値を序列化できると主張する人たちの論点として、次の4点が紹介されました。
1) ある生物が永遠の魂を有している場合、この生物は、時間的に制限された魂を有しているか、あるいはまったく魂を有していない生物に比べて、より大きな固有の価値をもっている。
2) ある生物が推論能力を有している場合、これは理性を有していない、つまり非理性的なものより大きな価値をもっている。
3) ある生物が自己自身を意識し、選択しうる自己の可能性を意識する場合、これはそのような意識を欠くものに比べて、より大きな価値をもっている。
4) ある生物が進化的意味でより高等な動物である場合、これは進化の段階に照らしてもっと下に位置するものに比べて、より大きな価値をもっている。
 最後に、風景として保全する考え方の一例として、オギュスタン・ベルクの一言が紹介されました。「“風景とは環境ではなく、環境とのある種の関係”であり、“その関係が存在しているか否か”が重要である。風景を見る人間にとって、自然は単なる客体ではない。自然な態度で風景に接するとき主体である自分に自分だからそう見える風景が自然にそのように見えてくるのである。
 このような背景をふまえて、加藤先生が独自に高校生と、生物教師の意識調査を行ったところ、生物の保全をすべきかという問いに、高校生はほぼ100%、教師は94%が保全すべきであると答えています。さらに、次の五つの項目から生物保全理由を選択してもいました:利用、生命尊重、生態系の一員、小さいころから身近、絶滅危惧。その結果、高校生、教師共に、として一番多かったのが、生態系の一員として保全するという項目が挙げられ、高校生はこれに加えて、生命尊重を理由に挙げています。詳しい報告については、加藤先生が生物教育関連の雑誌に投稿する予定でいらっしゃるので、そちらが出版された際に、また紹介させていただきます。
 まとめとして、加藤先生は以下の5点で発表を締めくくられました。
*理科教育のひとつのあり方として、科学の知識理解、科学的思考力のほかにも、現代社会に応じた科学技術に対する姿勢を考えていくことも含まれる。
*生物多様性保全という環境問題においては、保全するという行為についてどのような姿勢をとるかを考えることも必要となる。
*高校の授業に影響を与える学習指導要領における「生物」の捉え方を昭和22年から平成11年告示まで見ていくと変遷が見られるが、平成11年の指導要領では、「生態系の一員」という捉え方がなされている。
*生物教師、高校生とも生態系の観点から保全を肯定しているが、高校生はこれに加えて生命尊重という観点からも保全を肯定している。
*理科教育においては、生物の保全に対する生態学的な認識を教えていくのはもちろんであるが、保全に対する行為についても高校生の生命尊重の観点を大事にしながら、倫理の教師と連携を取りつつ、生物多様性保全に対する姿勢を示してもよいのではないかと現時点では考えている。

 加藤先生の発表を受けて、簡単な質疑応答がありました。まず、環境倫理で考えるときに、多様性というのは遺伝子の多様性と種の多様性と生態系の多様性、3つの要素が絡んできますが、生物学でも、同様に三つの観点から捉える、という指摘がありました。生物学の授業としては、その3点を区別して教えてはいないようです。環境教育や生物保全は、教科書の最後に出てくるため、分野の異なる先生にとっては、むしろ扱いたくない分野なのかもしれません。景観論には、人の心が美しいと捉えるものが美であり、自然に手を加えることも不としない、というような意見もあるようです。風景とは、人の思い出の中にあるものであり、風景を守るということは、直接ではないにしても思い出を守ることにつながるのかもしれません。
 倫理教師と連携をとる、という点に関しては、賛成の意見が寄せられ、それぞれの役割を果たしつつ、オーバーラップさせられる部分は協力する体制が望ましいのではないか、という提案もありました。加藤先生としては、導入や動機付け、といった意味合いで生物保全を取り上げ、生徒たちにはそれをもとに自ら考えてもらい、問いかけがあったときに答えられる位にはしたい、とおっしゃっていました。
 10分間の休憩の後、議論を再開しました。まず、発表でも一部触れましたが、事実から価値を見出せないとはどういうことなのか、という問いが挙がりました。さらに、保全と保存の違いは何であるのか、という問いも挙がりました。事実と価値に関しては、ピーター・シンガーの主張を例にあげると、そもそもシンガーが主張していたのは、人間以外の動物にも何らかの権利を認めるというものであったため、その基準をどこに設けるか、という際に、sentient beingであるか、ないか、という点が浮上しました。事実とは、科学的事実を指します。人間の意識レベル(sentience)を基準とした場合、例えば大人のチンパンジーは、人間で言えば4歳の子供くらいの知能や意識をもっていることが、科学的研究から明らかになっています。この事実に価値をあたえ、その結果としてオーストラリアやヨーロッパなどでは、グレートエイププロジェクト(類人猿計画)の一環として、類人猿に対する侵害的な実験を禁止しています。事実は価値を裏づけするものとして、より多くの事実がわかることによって、人間が他の動植物や環境にあたえる価値というものも変わってくるのではないか、ということでした。
 保全と保存の違いについては、どうも明確な区別はされておらず、一般的には保全という言葉が多く使われているようでした。ただ、どのような教育にも当てはまることなのかもしれませんが、特にこういった価値の教育(Value education)においては、事実をフマエタ上で、言葉を慎重に選ばないと話の内容がまったく異なってしまうという場面があることも指摘されました。暑いという言葉ひとつとっても、住んでいる地域が違えばその言葉の表す温度は違ってくるでしょう。
 ここまでの討論から、結局人間の特別さはどこからくるのか、という根本的な問いが挙がりました。ラブ・ロックのガイア仮説も例として話題に挙がり、環境や地球、人間以外の生物を語る際に、どうしても擬人化してしまう、そのほうが理解しやすい、といった点が指摘されました。結局は自らの種を存続させたいという本能が、そうさせているのではないか、という意見や、生態学的には中程度の撹乱は生態系を豊かにする、という意見まで、様々な考えが挙げられました。そんな中、近年環境倫理と呼ばれているものは、結局は白人文化の贖罪意識の現われではないか、という指摘もありました。
 とかく環境問題を取り上げるときには、自然と人間という分断が気になる、という意見も挙がりました。日本人は本来、自然ともっと一体感があるのではないか、また、人間の立場が定まっていないから、論理が交錯するのではないか、という意見も挙がりました。そもそも“自然”という言葉自体の定義がなく、使用している人によってその捉え方も様々であるといえます。そういった事実をふまえつつ、教育に取り入れるには、生物学的な視点だけでなく、異なる教科がそれぞれの立場から異なるアプローチを取ることで、教育効果があるのではないか、という意見が挙がりました。
 活発な議論は、このあとも、夕食の席に持ち越され、次回の勉強会の日取りと発表者を報告して、今回の勉強会は終了しました。


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