ダリル メイサー (Darryl Macer)
(〒305 つくば市 筑波大学 生物科学系
メイサー ダリル,「日本人の遺伝子技術への態度:国内,国外比較。政府資金による遺伝子スクリーニングに対する日本の一般市民,学術関係者の支持について 」, pp. 130-144 in 藤木典夫 & ダリル メイサー,編,ヒト・ゲノム研究と社会 (ユウバイオス倫理研究会 1992).
前者に属する日本の状況を見るために,学術関係者,高校の生物の教師,一般市民にアンケートを送り,遺伝子工学,遺伝子スクリーニング,遺伝子治療,バイオテクノロジーの使用に対する意識を調査した。1991年後半に行われた本調査の結果をここに提示し,将来の意思決定プロセスおよび遺伝医学適用の重要性についても取り上げていく。
本調査の結果は,他の研究者によって行われた世論調査,主として,「ニュージーランドの科学者,教師,一般市民の意見調査(1990)」,「全米技術査定事務所の一般市民意識調査(1986年後半)」と比較した。ニュージーランドとアメリカの調査は,上記の定義に従い,後者に属する国の例である。比較結果は国際世論と科学者の責任の関係,そしてその意思決定プロセスに与える影響という点から取り上げていく。
もう一つのポイントは,遺伝子操作の利益とリスクの認識,遺伝医学の特殊利用に関する質問に対して様々なグループから出された倫理的懸念を調べることである。アンケートには遺伝子テストの個人的,国家的規模での利用,遺伝子治療の個人,家族単位での利用に関する質問が含まれている。全グループの過半数はこうした技術の利用を支持しており,その結果を表示した。
意識調査
統計を使用する際には,統計とはどこまで信用できるものなのか,ということを常に念頭におかなければならない。英語では,「嘘,真っ赤な嘘,そしてもっとひどいのは統計」と言うくらいである。しかし,人々がどのように考えているのかはある程度統計から知ることができる。(詳細は拙著「遺伝子工学の日本における受けとめ方とその国際比較」参照 (1)。)アンケートは両面のA4用紙3枚をホチキス止したもので,1ページ目に前書きがある。私書箱宛て返信用の切手を貼った封筒を同封し,封筒は筑波大学のものを使用した。アンケートは全国に無作為に配付した。
これから論じるサンプルの規模とその性格は表1の通りである。比較する調査はアメリカで行なわれたもの(2)とニュージーランドのもの(3)である。この三つの調査は全て全国的なもので,サンプルは表に示したそれぞれのグループの中から無作為に選ばれた。日本でのアンケートは郵送で行なった。一般にこの方法はインタビューに比べ回答率が低いという短所があるが,本調査ではインタビューも郵送でのアンケートも似たような回答率という結果であった。日本でのアンケートではコメントを書いてもらうようお願いしたが,これはインタビューでは不可能なことである。直接書かれたコメントはインタビューをした人が書き写したものよりももっと正確で長く,郵送での回答は実際にはこういう利点がある。
本調査の主な目的は遺伝子工学に関する意見の調査だが,問5ではその他の最近の科学的進展のうち世間を騒がせているもの,そうでないものをいくつかリストアップしてあり(取り上げた項目は次頁分散図参照),それぞれに対する調査結果を比較してある。ニュージーランドで行なわれたCouchman & Fink-Jensen (1990) (3) の調査での質問と同じものを用い,特定の科学と技術の発展に対する一般市民の意識と態度を調査した。まずその技術についての認識を3段階――「まったく聞いたことがない」,「聞いたことはあるがほとんど内容は知らない」,「内容を人に説明できる」――に分けて聞き(問5a) ,次にその発展が日本に利益をもたらすかどうかを質問した(問5b)。問5cと問5dでは各発展にどのくらい不安を感じているかを聞くことで技術の危険性に対する意識を調べた。質問は以下の通り:
利益や害悪を伴うような科学と技術の応用分野についての世論調査では,それぞれの技術やその特定の応用の是非を問うだけでなく,問5で行なったように,利益とリスクについても質問してみることは有効であろう。問5の回答者が挙げた利益と害悪を図1に示す。基本的に全ての発展は,回答者の大半が利益があると考えている。8つの科学発展分野の間には分散図上多少の相違が見られる。「農薬」は両国とも同様に利益も不安も高い位置にあり,「シリコンチップ」,「光ファイバー」,「超伝導」は不安は低く利益が高い位置にある。「体外受精」は大きく分かれ,日本よりもニュージーランドで好意的に捉えられている。「病虫害の生物防除」は,ニュージーランドでは最も有益な開発だと考えられているものの,不安も日本より高くなっている。「バイオテクノロジー」は,ニュージーランドに比べ日本では有益だと考える人が多いにもかかわらず,不安が高くなっている。「遺伝子工学」は両国とも不安が高い位置にある。
遺伝子操作の具体的な領域
ここでは問5,問7よりもさらに具体的な質問をした。「遺伝子工学」という広義の用語に含まれる技術に対する懸念よりもむしろ,人間,動物,植物,微生物の4種の生物の遺伝子操作に対する意見を調べた(問7)。 質問はCouchman & Fink-Jensen (1990) (3)のものを用い,さらに,なぜ許されるのか,利益や危険性があると思うかを自由に答えてもらった。質問は以下の通り:
問7b. これらのうち,あなたが使っても良いと思う生物学的方法はどれですか。
1 使っても良い
2 使ってはいけない (使っていけないとすれば理由は何ですか。理由を( )内に書いてください。)
問7c. これらの生物学的方法は,日本に利益をもたらすと思いますか。
1 利益をもたらさない
2 利益をもたらす(利益をもたらすとすれば,どのような利益をもたらすと思いますか。)
問7d. これらの生物学的方法は日本において危険をもたらすと思いますか。
1 危険がない
2 危険がある(危険があるとすれば,どのような危険があると考えますか。)
どんな科学的進歩についても同じことだが,遺伝子操作について認識していることと,それを受け入れることは違う。問7bの回答から,どのグループにおいても遺伝子操作の許容度は対象となる生命体によってはっきりと異なることが見て取れる。植物と微生物の遺伝子操作は全グループが明確に支持している。動物の遺伝子操作の支持はやや低くなるが,それでも大多数のグループは容認できると考えている。しかし人間の細胞(これはしばしば人間そのものと解釈さる)の遺伝子操作は受け入れられないと一般市民は考えている。その他のグループもこの問題に関しては同じくらい賛否がわかれ,肯定が過半数に達したのは科学者だけであった。
日本でもニュージーランドでも植物の遺伝子操作の許容度は最も高く,図2に示す通りである。続いて微生物,動物,人間の順で遺伝子操作の許容度が低くなる。両国とも教師と科学者のサンプルのおよそ半数が,人間の遺伝子操作(人間の細胞)は容認できると考えている。これらの許容度の順序は1986年にアメリカで得られたデータ(2)と同じだが,その調査では回答者に許容度を1点から10点の点数で表すよう求めたため,許容度自体の比較はできない。またアメリカの許容度の値も1986年以来多分変わったであろう。
本調査の最も興味深い部分はおそらく,受け入れられない理由を述べてもらったことだろう。 (1)。理由はニュージーランド同様,生物によって異なる。理由の分析には,コメントをいくつかのカテゴリーに分ける方法を取り,全部で38のカテゴリーをコンピューターのデータ分析に使った。コメントで述べられた理由一つに対して,対応するカテゴリーに1点を加えた。一つのコメントで,最高3つの理由が述べられていたが,通常は1つか2つだった。25%の回答者は何もコメントを書かなかった。大学生と高校の生物の教師の方が科学者,学術関係者,一般市民よりもコメントをよく書いてあった。おもしろいことに,科学者よりも一般市民の方がコメントを書いている。
回答は様々だった。人間の細胞の遺伝子操作で最も一般的な回答は,「非倫理的」,「悪用の危険性」,「優生保護的」,「規制の不備」,「不自然」,「神への冒とく」,「未知への不安」等だった。「未知への不安」では,回答者の多くは研究分野が未知であることより結果が分からないことを心配している。
日本では動物を使う場合の倫理的問題への懸念は比較的低いレベルにある。遺伝子操作は自然の営みに介入するもの,あるいは神への暴とくだとする回答もかなりの割合にのぼった。このように答えた人たちは,技術の発展状況やその規制の有無にかかわらず,こういった技術は受け入れられないと考えるだろう。多くの科学者はこのように考える人々を非合理的だとする。しかし,このような視点を持つ人が,ニュージーランドと日本の科学者や教師でこういった技術は受け入れられないとした人のうちにも16%もいたことは注目に値する。
問7cでは遺伝子操作の利益について質問した。植物,微生物の遺伝子操作が最も利益をもたらすと考えられているのに対し,動物ではかなり低くなっているが,依然教師と科学者の約70%以上が利益を見出している。また人間の遺伝子操作ではさらにその割合は低くなった。教師と科学者は一般市民,学生よりもこれらのテクニックに利益を見出している。ニュージランド人の方が遺伝子操作による利益――とりわけ動植物――を認めている。この比較結果は図3に示した。
エリ・リリー社のために1990年にイギリス,フランス,イタリア,ドイツでギャロップ社により行なわれたヨーロッパの世論調査(N=3156)では(4),バイオテクノロジーの最大の利益を4つの例の中から選ぶよう求めたが,半数以上が,最も重要な利益は深刻な病気の治療だと答えた。またその調査では,何が一番心配かを似たような方法で質問している。フランス人の40%,ドイツ人の35%,イギリス人とイタリア人の25%が優生保護を挙げ,環境破壊を挙げた人は全体的にややそれより少なく,イギリス人が34%,フランス人が33%,イタリア人が22%,ドイツ人が21%だった。研究所での遺伝子研究による健康への危険性を挙げたのは,イタリア人で29%,フランスで17%,イギリスで11%,ドイツで10%の人だった。全体的に見ると回答者の1/3がバイオテクノロジーは倫理に適っている,約1/3が倫理に適っていない,残りの1/3
が「どちらでもない」と感じている。つまり,どこの国でも人々が挙げる遺伝子工学とバイオテクノロジーの主な利益は医学の進歩と遺伝病の治療能力のようだ。その他の利益では意見が分かれ,想定する生物に左右される。微生物は医療用と発酵による有益な物質全般の生産の両方に活用できると考えられている。動植物は当然のことながら農業上重要と考えられ,遺伝子操作は新品種の育成や食糧の増産を助けるものと考えられている。
遺伝子操作がもたらす危険性について質問した問7dの結果は,図3にまとめてある。遺伝子操作の技術に対する認識は,ここ10年間日本で高まっているが,次の結果から見るに,不安も依然として存在する。グループによって回答が分かれていることを見れば,これは驚くことではない。遺伝子操作のリスクは,一般市民よりも高校の教師の方が意識しているが,利益を見出す人も後者の方が多くなっている。科学者は一般市民と似通った回答だが,人間の細胞の遺伝子操作への不安(71%)は一般市民(82%)よりも少なくなっている。日本人の方がニュージーランド人よりも遺伝子操作による危険性を感じていた。これは人間と動物の遺伝子操作に関して顕著であり,日本の学生と教師は他のグループに比べ特に強く危険を意識している。
どのようなリスクを感じているか質問した結果は図4にまとめてある。理由の分類方法は,利益や拒否理由の際に説明したものと同じである。このアンケートの重要な特徴は自由回答ということである。他のどのような種類のアンケートを用いても正しい理由を調べることはできない。自由回答では人々自身の考えを調べることができるが,この形式の質問はまれにしか見られない。たとえ手間がかかっても他のアプローチの仕方では誤った結果を導くか,所謂「統計のトリック」という結果に終わるだけだ。
他の質問同様,回答は様々だった(図4)。一般的な回答の頻度は問7bとさほど変わりらないが,多くの回答者がこれら2つの質問に違った回答をした。全般にリスクは「自然の営みに介入する」という事よりも,人による悪用その他の活動に関係している。また,質問がより具体的だった為,多くの回答者が奇形や突然変異の問題を挙げている。
遺伝子スクリーニング
ここでは遺伝子スクリーニング,遺伝子治療に関する一連の質問をした(問9-14)。これらはアメリカ(2)で用いられた質問を修正したもので,表中に結果と共に記載してある。
問9では出生前遺伝子スクリーニングについて質問したが,その中には,スクリーニングは国民健康保険制度の適用を受けるべきか,また個人的に出生前遺伝子スクリーニング受けるかどうか(問9b)という質問も含まれている(表2)。一般市民の
77%は出生前遺伝子スクリーニングには国民健康保険が「適用されるべき」と答え,「適用すべきではない」としたのは僅か7%,「わからない」は16%だった。学生も同様の結果である。科学者と高校の生物の教師はほとんど同じ結果だったが,「わからない」とした割合がやや高い(19〜21%)ため,支持率が低くなっている(71〜73%)。
このようなテストを個人に使用することに関しては疑問が大きく,一般市民の57%がテストを「受ける」と答え,17%が「受けない」,27%が「わからない」としている。教師と科学者はテストを個人的に受けることにどちらかといえば熱心で,60%が「受ける」,15〜17%が「受けない」と答えている。これらの結果をOTA (2)の質問32と比較した場合,胎児期の遺伝子スクリーニングの個人的受容度(問9b)は,アメリカよりも日本が低いものの,テストを受けないとした人も日本の方が少なかった。アメリカの調査では69%がテストを「受ける」としているが,27%は「受けない」と答えた。「わからない」としたのはアメリカの場合,わずか4%だったが,日本では26%だった。アメリカで最近行なわれた電話による世論調査 (5)では依然 2/3 の回答者が個人的には胎児期の遺伝子スクリーニングを受けたいと答え,16%の人が受けたくないと答えている。
胎児の遺伝子スクリーニングと国民健康保険の適用に対しては,はっきっりと支持が表われている。胎児の性別の選択や優生保護を目的とした,疾病の無い状態での検査の乱用を規則によって防ぐ必要がある。日本における障害者の社会保障サービスの充実,不断の教育によって,外見上の違いから来る差別をなくすことが検査の乱用への備
えとなる。1975年から1988年にかけてのカナダの調査 (6)でもわかるように,そのような教育方法を取ることによって人々の障害を持つ人への態度を変えることができる。大多数の日本人は国の健康保険が適用されているのだから,遺伝子テストまで枠を広げることで,すべての人々がこうしたサービスを自由に,しかも無料で受けることができるだらう。大都市以外では,出生前診断が受けられるということも知らず,1986年の遺伝カウンセラーの調査結果によれば,遺伝相談に対する不安もあると考えられる(7)。健康保険の適用によって,遺伝子関連サービスの質をモニターできるよう行政による全国的な統計をとることも可能になるであろう。
遺伝子治療
多くの遺伝病は遺伝子治療により欠陥のある遺伝子を訂正することで治療することができる。遺伝子治療とは「先天性の遺伝的誤りを治すために,または細胞を新しく機能させるために,機能している遺伝子を患者の体細胞に挿入する治療の技術のこと」である(8)。何種類かの癌を含む様々な病気治療のためにヒト遺伝子治療の試みが現在数多く行われている。1992年3月現在アメリカでは16件のヒトの遺伝子転移,または治療試験がRACによって許可され,またフランスのリヨン,中国の上海でも試験が許可されている。これはまだ実験的治療だが,もし安全で効果的ならば,現在行われている多くの治療よりもよりよい治療への道となるだろう。遺伝子治療は単に病気の症状を治すのではなく,むしろ病気の原因そのものを治すからである。それに,多くの病気は他の治療法によっては依然治療不可能だ。
このような遺伝子治療は現在のところ遺伝的なものではなく,遺伝的な遺伝子治療を始めるには,倫理や社会的影響ついてもっと広く議論する必要がある(9)。しかし,遺伝的でない遺伝子治療で患者を治療することは他のどの治療法とも似た問題を含んでおり,もし安全でより効果的なら,それに同意する患者には適用されるべきである。多くの研究開発がなされ(2),動物実験での準備が20年以上も費やされた今,現在行なわれているいくつかの臨床試験に成功すれば,これらの技術の早い応用が期待できるだろう。
遺伝子治療の一般の許容度についての質問の結果は表3に示す通りである。問13では重い,あるいは致命的な遺伝病を治すため,遺伝子治療を個人的に受けるかどうかを質問し,是認する度合いを4段階にわけ,さらに「わからない」を加えた。一般市民のサンプルの54%が是非,あるいはどちらかといえば受けたいとしている。29%は全く,あるいはどちらかといえば受けたくないと答え,わからないとしたのは16%だった。問14で子供に遺伝子治療を受けさせたいかを質問した結果,受容度は高く,66%が「受けさせたい」,18%が「受けさせたくない」,16%が「わからない」だった。教師の受容度はさらに高く,自分自身では65%が「受けたい」,22%が「受けたくない」,13%が「わからない」と答えた。子供に対しては,73%が「受けさせたい」,14%が「受けさせたくない」と答えた。科学者は一般市民と比較して自分自身の遺伝子治療の受容度が高くなっているが,子供に対する治療の回答は似たようなものだった。学生は遺伝子治療の使用にはやや消極的だが,全体的には受容度(是非受けたい,受けてもよい)は一般市民とほぼ同じだった。
アメリカに比べ日本は遺伝子治療に消極的だが,遺伝子スクリーニングを含むケースでは,日本ではわからないとした回答者の割合が高くなっている(アメリカではわずか2〜3%にすぎない(2))。アメリカの調査と同じく,自分自身よりも子供に対る遺伝子治療の使用の方が受容度が高くなっている(図6参照)。
本調査での回答は当然,経験した状況に左右される。日本では病気治療のための遺伝子治療は支持されており,反対は国民の20%に過ぎず,結論としては,1985年よりこの割合はさらに減少しているかも知れないといえる。総理府の調査の結果は,質問は幾分違うものの本調査で得られた数値と一致している。総理府世論調査と違い,子供に遺伝子治療を行うことへの支持は,一般的なケースに比べて高くなっている。
日本の総理府の世論調査2件では,上記にあるように(総理府広報室 1986,1991),「遺伝子治療を人間に対して行なってよいと思うか」という質問が出された。1985年12月の段階では45.7%が「そう思う」,29.5%が「そうは思わない」,24.9%が「わからない」と答えた。1990年10月では52.3%が「そう思う」,23.9%が「そうは思わない」,23.8%が「わからない」と答えている。
生物と特許
1991年にアメリカで人間の遺伝子337個を一括して特許申請が提出された時,議論が沸き起こった。特許政策が問題になったのである。1992年初頭,さらに2375個の遺伝子が同じ人達により特許申請された。現代の技術をもってすれば人間の遺伝子10万個を数年の内にシークエンスすることができる。数千の人間の遺伝子に対する特許申請がこれに続いて行われるだろうが,その有益性が示されていないため,このような幅広い特許申請はその倫理的政治的問題とは無関係に却下されるだろう。上記の申請は NIH(アメリカ国立衛生研究所)の名で行われたが,NIH内 部にも反対の人は多くいる (10) 。この政府団体は特定のアメリカ企業にサブライセンスを与えてその遺伝子の研究を行なわせることにより,アメリカのバイオテクノロジー産業を国際競争から「保護」しようと試みるかもしれない。しかし英国,フランス,日本の研究者もたくさんの遺伝子シークエンス(上記と同じ遺伝子とシークエンスを含む)を解明しており,特許戦争がおこって,ヒト・ゲノムプロジェクトの国際科学協力が深刻なダメージを受ける可能性がある。1992年9月,アメリカ特許庁は,申請された遺伝子の一部は他のデータベースにも見られることから自明ではなく,また,シークエンスに使われた試料は公共のcDNAライブラリーからのものであり,これは法的に新しいものではないという理由から特許申請を却下した。しかし,各国政府は,依然,政策について検討を重ねている。フランス政府と日本の研究者はそのような特許は申請しないと発表している。イギリスは,1992年3月,1000以上の遺伝子に対する同様な特許を申請した。しかしイギリスはフランスと共にそのような特許が承認された場合は放棄するという国際的同意を得ようと呼びかけている。人間の遺伝物質は人類共通の財産であり,特許を与えるべきではないだろう(11)。法的には有効と判断されても,世論は遺伝物質の特許に関する政策を変更させることができる。政策は経済,環境,倫理,社会との関連性を全て検討した上で決定し,また国際的に一貫性がなければならない。
ここでは生物を特許の対象とする問題を調べる試みとして,ニュージーランドで用いられた質問を修正して使用した。また人間の遺伝物質を特許の対象とする問題についての質問を付け加えた。質問は以下の通り:
新商品などの発明 本,その他の情報 新しい植物品種 新しい動物品種 動植物から抽出された遺伝物質 人間から抽出された遺伝物質
この項ではいろいろな対象について特許を与えるべきかどうかについて質問した。全てのグループで90〜94%の人が消費材における一般的な発明に特許を与えることには賛成だった。それ以外の項目については意見は分れていたが,賛成の多い相対順位は日本,ニュージーランドとも全てのグループで同じだった。全ての項目について特許を与えることに反対すると回答した割合がニュージランドの方が多くなっているが,これは日本では「わからない」を選んだ人が大勢いたためである。
発明一般に比べ,新しい品種の動植物の特許に対する許容度は低くなっている。ニュージーランドでは一般市民の51%が「動植物から抽出された遺伝物質」への特許に賛成しているに過ぎない。日本ではさらに低く,38%だった。「人間から抽出された遺伝物質」に対してはさらに低く,日本では34%が反対,わずか29%が賛成しているだけである。全てのグループにおいて「人間から抽出された遺伝物質」の特許に対しては賛成よりも反対の方が上回った。日本とニュージーランドの比較結果は図7に示す通りである。
一般市民と科学者
本調査のサンプル人口それぞれの回答は,全体像の一部を見せてくれる。医療遺伝学の応用に関する質問のように回答に驚くほど差のないものもあったが,回答に大きな差が出たものもあった。今回の調査では本書全体に渡って述べるいろいろな一般的質問への回答の比較を行なっただけでなく,アンケートには科学者と一般市民の関係に直接関わるものもいくつか入れ,その回答の検討も試みた。ここでもニュージランドで行なわれた(3)による調査での設問を主とした一連の質問を用いた(問16)。
問16bでは政府機関で働く科学者による,製品の安全性についての発言を信じるかどうか質問した。一般市民の35%が上記の質問の文章内容に肯定的で,21%が否定的,44%は「わからない」と答えた。問16cでは製品の安全性についての企業の発言の信憑性について質問した。このような発言に対しての信頼度は低く,一般市民の17%がそのような発言を信用する,それよりは多い36%の人が信じない,約半数の46%が否定も肯定もしなかった。
政府機関で働く科学者と企業の科学者による製品の安全性についての発言に関して,日本の一般市民の信頼度は,ニュージーランド(3)のものに比べて低くなっている。ニュージーランドと日本の両国で一般市民の35〜36%は,政府機関で働く科学者の安全発言を信じており,20〜21%は信じていなかった(図8)。企業の発言を信じるという人はニュージーランドの26%に対し,日本では17%で,どちらの国も34〜36%は信じないとしている。両国の一般市民は特に企業が行なう安全発言に疑問を感じているようである。様々なグループが行なう製品の安全性に関する発言を信じるかアメリカで市民に尋ねたところ(2),企業は政府省庁に比べ信頼度が低く,最も信頼されていたのは大学の科学者だった。「企業の自社製品の安全発言を絶対に信じる」と答えたのはわずか6%,「信じない」は15%,「どちらかといえば信じない」は37%,「どちらかといえば信じる」は39%だった。質問が違うので簡単に比較はできないが,アメリカの市民は日本やニュージーランドに比べ企業を信用しているようだ。これを確かめてみれば面白いだろう。なぜなら,よく人は日本人は欧米人ほど率直に物を言わないと思い,従って日本人は,権威に批判的ではないとしばしば結論付けるからである。本調査の結果とその他諸々の経験を考え合わすと,どうやら日本人は少なくとも西洋と同じ位心の底では権威に不信を持っているが,ただ単に公然と表さないだけのようだ。
科学者はどちらの発言にもさらに懐疑的で,29%が政府機関の科学者,わずか12%が企業の発言を信じるとしている。それでも企業の科学者はより信頼感が高く,36%が政府機関の科学者を信頼するといい,25%が企業の科学者を信頼すると答えている。しかし,政府機関の科学者は,22%が政府機関の科学者を信頼し,たったの5%が企業の科学者を信頼すると答えているにすぎない。従って企業の科学者よりは政府機関や大学の科学者の考えの方が一般市民の声を代表していると結論づけることができるかも知れない(9)。本調査の結果にも良い面はある。つまり,人々は製品の安全性について自分で考え,他人,特に公平な評価をできないグループの意見を当てにしていないということである。
問16dでは,日本の科学者の活動は公衆の安全の保護のため,もっと厳しく規制されるべきかどうかを質問した。一般市民の51%,教師の49%,筑波大学教職員の43%が賛成だったが,科学者と学生はわずか31%が賛成しただけにすぎない。反対は,科学者42%,筑波大学教職員20%,教師18%,一般市民17%だった。これは人々が科学者の活動に何らかの危険を感じ,もっと厳しく規制されるべきだと考えていることを示している。科学者はその1/3が規制を支持しているものの,大方は自分達の活動を規制されることには反対である。ニュージーランドの科学者も今以上の活動の規制には反対しており,42%が反対,より強い規制に賛成は23%となっている(図10)。しかし一般市民では賛成がさらに多くなっている(賛成67%,反対11%)。これはどこかその地域で事故があったためというよりはむしろ,ニュージーランドでは一般市民が日本に比べ率直に意見を言うためかも知れない。しかし,問16bと問16cに見られるように,日本の一般市民はニュージーランドに比べて科学者による安全性に関する発言をより疑っている。これは,日本では科学者に対してだけではなく,規制システム自体にも信頼がないからかもしれない。興味ある問題である。
結論
日本の科学者は一般市民に比べると人間の細胞や動物の遺伝子操作にはそれほど懸念を持っていないが,植物や微生物の遺伝子操作では科学者も一般市民も懸念度は同じだった。科学者は全ての生物における遺伝子操作に一般市民よりも利益を認めている。高校の生物の教師は一般市民に比べ著しく余計に遺伝子操作にリスクと利益の両方を認めている。
どのグループの回答者も,遺伝子操作を受け入れる理由,そして彼らが認識している利益とリスク(図4),また遺伝子操作生物から作られた食品の消費に関する懸念について種々様々な例を挙げた。
日本では全般的に,国民健康保険のもとで深刻な病気の遺伝子スクリーニングを行なうことが強く支持されている。胎児期の遺伝子スクリーニングに健保を適用することも多くの人が支持している(表2)。大多数の人が深刻な病気の胎児期の遺伝子スクリーニング,あるいは致命的な病気の発病前の遺伝子スクリーニングを個人的に受けると答えている。日本人の方がアメリカ人よりも遺伝子スクリーニングの使用に反対していない(図5)。日本人の多くは深刻な病気の遺伝子治療を受けると答え,自分の子供に遺伝子治療を受けさせることに関してはさらに積極的です(表3)。
一般市民は人間の遺伝物質に特許を与えることに反対しています。動植物の遺伝物質,また動植物の新品種に特許を与えることに関しても,多くの人が反対している(図7)。バイオテクノロジーの特許政策は異論の多い分野であり,一般市民の意見を調べた上でそれを政策に反映させるべきであろう。
一般市民,学生,高校の生物の教師,科学者,学術関係者全体の意見は多くの質問で類似しており,またその理由も似通っていた。ニュージーランドで行なわれた調査の結果よりも,日本の上記のグループの視点は均一のようだ。遺伝子工学に関する意見では,教育による違いは日本の場合アメリカほど顕著ではなかった。日本では動物の権利の問題や動物の遺伝子操作に関する倫理問題については,ニュージーランドに比べてかなり関心が薄いようである。
遺伝子工学関連の倫理的,社会的,環境上の問題の討論を学校と大学教育課程に含めることに関しては,強い支持が表明されている。これらの討論では代替技術や異なるアプローチも議論するべきだろう。ニュージーランドに比べると,日本の高校では遺伝子工学に関連する社会的,倫理的そして環境上の問題が議論されることはずっと少ないようだ(1, 13)。
以上の比較は,医療用遺伝子の理解と意識に関して国の内外の様々なグループが一般に抱く認識に挑むものである。科学者は特殊な知識を持つ人間として責任がある。その責任には,科学者の研究活動を支持する一般市民に,技術の有益な活用を効果的かつ倫理的に届ける道を確保することも含まれる。日本とアメリカにおける遺伝子スクリーニングと遺伝子治療の積極的サポートという観点から,これらの技術へのアクセスをもっと増やすべきだろう。しかし,技術に関わる意思決定は公開し,倫理的問題にも当然注意が払われなければならない。本調査の結果は,一般市民が少なくとも学術関係者同様,この討論に加わる用意ができていることを示している。学術関係者は,自らの優れた技術的知識によって,一般市民と非専門家を科学や技術の応用に関する討論から外す権利があるなどと主張しようとしないことである。そして,一般市民は個々のコミュニティーレベルで意思決定プロセスに加わる努力をすべきである。
参考文献
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表1:回答者のカテゴリー
表2: 遺伝子スクリーニングの許容度
表3: 遺伝子治療への態度
図1:日本とニュージーランドにおける科学発展の認識の比較
それぞれの発展を聞いたことがあるとした回答者数を基に,それぞれの発展は国にとって有益とした回答者と,それぞれの発展がもたらすインパクトに対し不安を持つ回答者の割合を分散図に表示。ニュージーランドはCouchman & Fink-Jensen (1990) (3)の調査結果。
図2:日本とニュージーランドにおける遺伝子操作の許容度の比較
(門7b)ニュージーランドは(3)の調査結果。
図3:日本とニュージーランドにおける遺伝子操作の利益とリスクの認識の比較
図4:遺伝子操作のリスクとして挙げられた理由
図5:日本とアメリカ(OTA 1987)における遺伝子スクリーニングに対する態度の比較
図6:日本とアメリカにおける遺伝子治療の受容度
図7:日本とニュージーランドの各層における生物や遺伝物質の特許の許容度
図8:日本とニュージーランドにおける科学者に対する意識の比較