筋ジストロフィーと生命倫理の国際状況

ダリル メイサー (Darryl Macer)
(〒305 つくば市 筑波大学 生物科学系

「筋ジストロフィーと生命倫理の国際状況」 (1994) からだの科学 181, 124-127.


 本論文では、筋ジストロフィー患者と家族が直面する状況について日本と海外との比較検討を試み、生命倫理について考察する。

 生命倫理は、選択の利益と危険性とのバランスを取る、愛の概念である。その伝統は、全ての文化、宗教、古くからの書物に見ることが出来る。愛とは害さないこと、愛とは善行、愛とは公正、愛とは生命倫理におけるこれらの3原則の基礎となっているものである。

 選択の利益と危険性とのバランスを取ること、つまり、意思決定とは、良い選択を行うことであり、私たちの生活や社会を改善することにつながる。生物工学や遺伝学の発展した現代では、数多くの選択が必要とされるようになり、それも、誕生前から死後までの一生に関するものになってきた。結婚、生殖、避妊、安楽死のタイミングや選択は、新しい問題ではないが、常に困難さをともなう選択である。実際に、重い病気にかかっている場合は特にそう言える。

 遺伝子スクリーニングは、遺伝病を持つ子供が生まれることを心配して、妊娠を諦めてしまう人々にも子供を持つかどうかの選択を与えるなど、私たちの選択の幅を広げてくれる。遺伝子治療は、私たちすべてが価値を置く、神からの贈り物、つまり、生命を選択する機会を提供してくれる。出生前診断を受けるか、受けないか、また、どの程度まで治療を受けるのか、そして、そのためのヘルスケア制度の支援を望むか、という問題に関する意思決定で基本となるのは、病気や病気の人に対して私たちがどのような考え方をしているかということである。

 1993年に、国際生命倫理調査を行なった。遺伝医学、生命、疾病などに関し、150の質問をしたが、この中には、回答者に自由な意見を求める、選択形式ではない質問も35問含まれている。対象国はオーストラリア(A)、ニュージーランド(NZ)、日本(J)、フィリピン(P)、シンガポール(S)、香港(HK)、タイ(Thai)、ロシア(R)、インド(India)、イスラエル(Israel)、総サンプル数は6千人であった(表中で、sは医学生、それ以外は一般の人を表わす)。調査の結果は、「遺伝子工学の日本における受けとめ方とその国際比較」、「バイオエシックス・フォー・ザ・ピープル・バイ・ザ・ピープル(Bioethics for the People by the People)」、(ダリル・メイサー著、ユウバイオス倫理研究会1994)として、すでに出版されている。

 質問の一つは、「筋ジストロフィーのような遺伝病を持っている人に対してどう思いますか。」と言うものである。どの国でも一番多かった答えは、同情と思いやりだった(表1)。他に、患者の厳しい状況を理解する/治療を望む、人間は皆同じ、「患者を助けたい」などの答えもあった。筋ジストロフィー患者に敬服する/尊敬すると答えたのはわずか2%の人だったが、他の病気の患者に敬服すると答えた人はいなかった。

 「遺伝病のうちあるものは妊娠初期に胎児の診断を行なうことによって判定できます。そのような検査は国民健康保険で行なえるようにすべきだと思いますか。またそれはなぜですか?」と言う質問もした。賛成は76%、反対は8%、そして「わからない」は16%であった(表2)。医学生の答えも同じだった。1991年にも同じ質問をしたが(J91)、日本の人の答えは93年の結果と同じだった。どの国でも、そのような検査は公的助成による医療でできるようにすべきという意見が、約80%で、反対は10%である。賛成、反対の理由は表2の通りである。

 「あなた、又は、あなたの配偶者の妊娠中に前の質問(問16)のような検査を受けたいと思いますか。また、それはなぜですか?」と言う質問もした。受けたいは、61%、受けたくないは、16%だった(表3)。たとえば、「神経難病、ヒトゲノム研究と社会」(ユウバイオス倫理研究会1994)の中の、大沢先生や白井先生の調査でも、結果はほとんど同じである。受けたい、または、受けたくない理由は表3に示す通りである。患者の家族では、大抵、受けたいと答える人が多少、少ないのだが、これはどの国でも同じである。障害を持つ胎児の中絶に対する支持についての質問とその回答は表4に示す。

 日本には障害を持つ胎児の中絶は、遺伝病や障害を持つ人への差別を増すことになると主張する人もいるが、私はそうは思わない。

なぜなら…

1)多くの人は、遺伝によって障害者になるのではなく、誕生後の事故で障害者になる。

2)自由に選ぶことができるなら、すべての国の母親の10-20%は、胎児に重度の疾患があっても中絶しないと答えている。

3)いくつかの厳しい選択肢の中で、中絶が最良と判断するのは非常に難しいことであり、そのような困難な選択という個人的経験を通して、病気への理解は深まって行く。

 集中治療による延命は「神の領域を侵す」ことであり、病気が理由で胎児を中絶するのも同じである。いかなる方法による病気治療も含め、人間の多くの活動は「神の領域を侵す」ことと言えるだろう。

 遺伝子治療についても質問した(問26)。結果は表5の通りである。ほとんどの人が遺伝子治療に賛成している。理由は、表5に示すように、生命を救うためである。

 政策に違いがあるにもかかわらず、全体的には病気を持つ人々に対する態度に、国による差は見られなかった。政策は、人々によって、人々のために立てられなければならないのである(by the people for the people)。

 ニュージーランドでは、筋ジストロフィー患者だけでなく、すべての障害者が結束して障害者の会を作っている(「障害とリハビリ」(Disability and Rehabilitation、1993)。まとまることにより、強い力が持てるのである。日本には、あまりに多くの小さなグループがある。しかし、これらは一つの大きな力にまとまるべきである。

家族によるインフォームド・チョイス、すなわち「充分な説明に基ずく選択」を尊重するシステムが必要なのである。インフォームド・コンセント、つまり、説明による同意ではなくて、チョイス、選択なのである。

 現在の家族、そして将来の家族は、生まれてくる子供たちへの責任をどのように持つかを決定し、子供たちの「生命の質」を考えなければならない。正しい決定とは、中絶するか、しないかと言うことではなく、充分に、正しい説明を受けた母親によってなされる決定なのである。


Email < Macer@biol.tsukuba.ac.jp >.
On the Eubios Ethics Institute (English)
ユウバイオス倫理研究会