学校における生命倫理教育ネットワークニュースレター
Vol.1(1) June 1997


編集:浅田由紀子
発行:ダリル メイサー(責任者、筑波大学 助教授)
生命倫理に関する教育研究グループ
〒305 茨城県つくば市 筑波大学生物科学
FAX:0298-53-6614 / TEL:0298-53-4662
Email < asianbioethics@yahoo.co.nz >.
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目次
編集室から
学校における生命倫理教育ネットワーク 第3回勉強会報告ー「病気」をテーマに
第4回勉強会報告ー「動物実験」をテーマに
「高校における生命倫理ネットワークの発足」 浅田由紀子、メイサー、ダリル
イベント情報
教材発掘
第5回勉強会のお知らせ
実践生物研究会メーリングリスト
第2回勉強会報告
学校における生命倫理教育ネットワーク とは

 教育における生命倫理の役割、生命倫理における教育の役割を探るために、1996年12月に発足したネットワークです。隔月の勉強会、ニュースレターを通じて、ネットワークは、生命倫理教育に興味を持つ人々をつなぐ場としての機能をはたします。
編集室から
 いよいよ梅雨の季節となりました。皆さん、お元気でいらっしゃいますか?
 昨年の12月から始まった勉強会もすでに4回目を終え、これまで、勉強会のお知らせ、報告書とバラバラにお送りしてきたものを、今回からニュースレターというかたちで、まとめてお送りすることにしました。ぎくしゃくとした進行にもかかわらず、ネットワークがここまで育ち、大変うれしく感じております。いつも熱心にご参加くださり、実践的に、そして精神的に支援してくださる先生方に、心から感謝しております。
 今回、ニュースレターの発行を思い立った大きな理由は、遠方の、勉強会に参加したくても物理的に参加できない先生方ともコミュニュケーションをはかる場がほしい、というものです。今後、このニュースレターという場を最大限に利用して、勉強会への距離、勉強会での時間を補い活発に意見を交換することができればと願っています。また、教材になりそうな書籍やビデオ、インターネットのホームページなどを紹介する「教材発掘」のコーナー、セミナーや勉強会、会議などを紹介する「イベント情報」のコーナーも設けました。こちらについても、先生方からいろいろとお知らせいただければ幸いです。新しいコーナーのご提案もお待ちしております。
 次回勉強会は、7月12日に予定しております。埼玉県立大宮中央高校の井上兼生先生から、生命倫理教育と環境教育についてお話をしていただきます。今回は、日本橋高校ではなく、麹町学園女子高校を会場として使わせていただきますので、ご注意ください。
 それでは、近々、勉強会で、あるいはニュースレター紙面でお会いできることを楽しみにしています。 浅田由紀子
ご投稿、ご意見、情報提供をお待ちしています!
<ニュースレター第2号への掲載希望記事の締め切り> 7月20日
書式自由、字数制限特になし(4000字を越える場合は、事前にご相談ください)
できれば、Email < asianbioethics@yahoo.co.nz >.、あるいはフロッピーディスク(マッキントッシュ/ 720KB / 1440KB)でお送り下さい。

学校における生命倫理教育ネットワーク第3回勉強会報告ー「病気」をテーマに

<とき・ところ>
1997年4月19日午後3時〜6時30分
東京都立日本橋高校にて

<参加者>
社会科
井出知綱先生(埼玉県立鷲宮高校)
井上兼生先生(埼玉県立大宮中央高校)
小泉博明先生(東京都麹町学園女子高校)
田中裕巳先生(名古屋大学教育学部附属高校)
三浦俊二先生(埼玉県立草加高校)
山下亨先生(東京都立日本橋高校)

生物科
斎藤三男先生(東京都立井草高校)
佐藤ひな子先生(埼玉県立浦和第一女子高校)
白石直樹先生(東京都立足立新田高校)
鈴木宏治先生(東京都立南葛飾高校)
細田真奈美先生(埼玉県立浦和第一女子高校)

メイサー、ダリル(筑波大学生物科学系)
浅田由紀子(筑波大学環境科学研究科)
<ねらい>
1.「病気」とは何か?
2. 授業で、「病気」の子どもや家族、「差別」についてどう扱うことができるか?
勉強会の流れ

オリエンテーション、アイスブレーキング(15:00〜15:40)
 まず、第3回勉強会のねらいを説明し、麹町学園女子高校の小泉博明先生に発表をしていただくこと、その後グループに分かれて話し合いをすること、話し合ったことや思いついたことは積極的に紙に書く方法を取ることなど、大まかな流れをお知らせしました。また、このとき、勉強会の様子を録音してもよいとの了承を参加者の先生から得、録音を開始しました。そして、コメントシート(報告書に載せてみたい提案などを書く欄と、報告書には載せないけれども勉強会の間
に気づいたこと、気になったことなどを書く欄からなるA4サイズの紙)を一人一枚ずつ配布しました。コメントシートは無記名で勉強会終了後、回収しました。
 その後、参加者全員で、2人1組となり、自己紹介をしました。この自己紹介では、一方が自己紹介をし、一方は聞き、時間を区切って行いました。その後、2組ずつの4人のグループを作り、パートナーを他の人たちに紹介する他己紹介をしました。このときできた4人のグループを、この勉強会で話し合いをするグループとしました。

小泉先生の授業実践報告(15:45〜16:20)
病の人間学ー病をめぐる生命倫理

●人間とは何か●
 小泉先生のご発表は、「人間とは何か」という、根元的な問いかけから始まりました。この問いに対して小泉先生は「人間とは、『ホモ・パテイエンス、病む者』である」という明快な答をお持ちであり、この視点が、小泉先生の生命倫理教育の鍵となる考え方のようでした。小泉先生は、およそ10年にわたり生命倫理教育に熱心に取り組んでいらっしゃいますが、テーマの変遷を経ながらも、ご関心の根底にあるものは「生老病死」です。その理由は、かつてはすべて家の中にあった生老病死を日常生活に見ない現代の私たちの生活、そして、「健康信仰」にとらわれている現在の高校生の状況を考えるとき、生老病死に改めて注目する意義は大きいのではないだろうか、というものです。
 「友とするに悪きもの七つあり。一つは高くやんごとなき人、二には若き人、三には病なく、身強き人、四には酒を好む人、五にはたけきさめる兵、六には虚言する人、七には欲深きひと。
 よき友三あり。一つにはものくるる友、二には医師、三には智慧ある友なり。」
という徒然草の一節(第百十七段)を紹介し、「三」にあるように、「元気な人」には実は問題がある、と兼好法師は考えていたと解説してくださいました。

●健康と病気●
 次に、「健康への信仰」「抗菌ブーム」「健康ブーム」といった言葉で象徴される現在の私たちの生活において、「病気とは何か」という問いかけを、どのように生命倫理の様々なトピックスへと関連づけていけるか、また逆に、いかに多くの生命倫理における諸問題が、「病気とは何か」という問いかけを共通に抱えているかという点について、具体的にお話をいただきました。例えば、自己決定権、インフォームド・コンセント、
患者の権利、パターナリズム、告知義務、病歴のデータを一枚に集約するICカードの問題、臓器売買などの医療の南北問題や医療経済などを、その好例として挙げられました。さらに、生命倫理の諸問題の時間的な流れを追っていくと、私たちの病気に対する考え方の移り変わりを見ることができる、とのご指摘もいただきました。つまり、ヒト・ゲノム解析を進める背景には、「治療」する医療から「予防」する医療へという考え方の変移を、また、医者だけでなくチームとしての医療を提案するコ・メデイカルから、医者と患者が平行に並ぶパラ・メデイカルへという流れにおける、新しい言葉の出現にも、私たちの意識の移り変わりを見ることができるということです。

●病気への差別・排除●
 さらに、健康を正常、病気を異常と見る、病気への差別や排除は、深く広く人権問題に関わるとお話いただきましたが、このような病気への差別や排除は、遠い昔の話なのではなく、今も続いているという点を強調されました。例えば、ペスト、コレラ、ハンセン病、エイズなどは、様々な差別を生んだ病として顕著なものですが、ハンセン病の患者を隔離するらい予防法が廃止されたのは、つい最近、1996年4月であり、また、O157は学校でいじめを引きおこしています。このような病気による差別の背景には、ひとりひとりの病は異なるはずなのに、データのみを見、人を見ない医療の在り方があるのではないか、と小泉先生は指摘されました。

●病気の文化史●
 病気の文化史は、小泉先生から見ると、<負>の異文化交流に他ならず、医療人類学の分野にも触れるものだそうです。例えば、WHOで根絶が宣言された天然痘の流行の道筋は、仏教のルートとほとんど同じであり、また、梅毒は欧米人が日本に来る以前に、海賊などを媒介に日本で流行していたそうです。病気の文化史を探るとき、日本にも教材となりうる数多くの資料が多くあると指摘されました。例えば、日本版メメントモリと呼ぶことができる病草紙、人間が死んで骨になるまでを9枚の絵に表した九相詩絵巻は、生命倫理教育においても効果的な教材と挙げられました。

●病との共生●
 まとめとして、小泉先生は「誰もが何らかの<障害>をもち、それと共存している」という病気との共生の考え方を提案されました。私たちは誰も「欠陥品の入った、不完全なシステムとしての存在」であり、このような視点は、私たちの病者への眼差しを変化させるきっかけを与えてくれるものだ、と指摘されました。現在、病気と人間は対立するものとしてとらえられていますが、江戸時代、人々は病気とは慣れ親しみ共存していくものと考えていたそうです。病気という視点から過去を振り返り、学べることは、きっと多いに違いないというメッセージを最後に、発表が終わりました。

休憩(16:20〜16:30)

グループに分かれての話し合い(16:30〜16:50)
 アイスブレーキングのときにできた4人1組のグループに分かれ、話し合いをしました。まず、ひとりひとりが、「病気」とは何か、授業で「病気」の子どもたちや家族、あるいは「差別」といったことをどう扱うことができるか、について小泉先生の発表を踏まえながら、ポストイットに考えを書き込みました。そして、1グループに1枚ずつ用意された模造紙に、ポストイットを張り付けながら、それぞれの関連性を探り問題点を明らかにしていく、という形で話し合いを進めました。気づいたこと、話し合ったことは、随時、模造紙にマジックで書き込むようにしました。

全体でのわかちあい(16:50〜17:10)
 ポストイットを張り付け、意見を書き込んだ模造紙を囲みながら、各グループで話し合ったことを全員に紹介しました。今回は、偶然、どのグループにも、生物をバックグラウンドとする人と倫理をバックグラウンドとする人がバランスよく分かれたので、それぞれのグループ内においても様々な角度から話し合いを持つことができたようです。それぞれのグループで話し合ったことは、以下のようなものでした。

●第1グループ●  
1)病気とは何でしょうか?
万人が病気を持っていて年老いるものである。
「病気」や「寄生虫」などに対する異常な差別化→予防医学の成立→「隔離」することによって差別化が発生→(診断技術)→遺伝子「治療」や中絶につながる

2)これまでに、自分のクラスのなかに、「病気」の子どもや家族がいたり、「差別」があったりしたことがありますか?それは、どんな経験でしたか?
私は職場には各クラス一人はそういう生徒がおり、自然なものとなっています。

4)その他、話し合ったこと
寄生虫はいてよいのか
予防の善し悪し(大切なのでは、(一方)良くないものなのでは)
予防と隔離(集団の利か個人の権利か、につながる)
生態系だけでなく自分の体の「生態」までコントロールできると信じているような傾向が懸念される。
母親の決定権(胎児、受精卵)はどこまで認められるのか。

●第2グループ●
1)病気とは何でしょうか?
社会学的な捉え方と生物学的な捉え方→人間本位の考え方が先走りしているのではないか

正常と異常・・・数量の問題(相対的)
→文化的にも、差別の根っこにもなってきた
→ヒトゲノム(すべての人が欠陥を持つ/優生学)
・・・ビジネス

正常と異常---かならずしも=ではない---健康と病気
健康と病気・・・病気の種類ごとに差別がある(「ガン」のほうが「肺炎」よりも悪い?)
教材としての多様性がある
   「課題」としての意味を考える

4)その他、話し合ったこと
伝染病の時代→慢性疾患→伝染病の復活
病のあきらめかた=宗教
病を意識の上でいかに克服するかということは普遍的。
様々な教材の可能性
一遍上人絵伝
病草紙
小野小町草紙
映画

●第3グループ●
1)病気とは何でしょうか?
すべての人間は何らかの欠陥を持っており(程度の差はあるが)、医療、医学の発展によって、今までなら病気と診断されなかったことでも病気とされるようになってきた。

2)これまでに、自分のクラスのなかに、「病気」の子どもや家族がいたり、「差別」が  あったりしたことがありますか?それは、どんな経験でしたか?
学年の中に数名、障害者がいる場合、学校行事などに制限が出てくる。教員の側の都合で障害者を排除しているのではないか。

3) 授業で、「病気」の子どもや家族、「差別」についてどう扱うことができるでしょうか?
肥満傾向の生徒に対する指導をどうするか?
「エイズ」について、川田さんの例を挙げて考えさせる。
(隠していたことで差別されていた→公表したことで支援されるようになった)

4)その他、話し合ったこと
病院化社会、競争主義などが健康第一主義を作り出してきた。
障害者、病気などと共生、共存

ふりかえり(17:10〜17:45)
 全員で意見を交換した後、もう一度、それぞれのグループに戻り、話し合いをしました。その後、ひとりひとり、「ふりかえりシート」を記入しながら、今回の勉強会をふりかえりました。「ふりかえりシート」(A41枚)には、(1)今日の勉強会で気づいたこと、学んだことは(2)今日、気づいたこと、学んだことをご自分の日々の生活の中で活かしていく方法は(3)その他、感想、意見など、の3つの欄を設けました。書き終えた後、ふりかえりの言葉をひとり一言ずつ話しました。

まとめ、事務的な連絡(17:45〜18:00)
 次回の勉強会のこと、斎藤先生が開いていらっしゃる、実践生物研究会メーリングリストの紹介、今秋、筑波大で開かれる参加者からのコメント(「コメントシート」「ふりかえりシート」から

授業への応用、可能性
■日本史の文化史学習の中でも生命倫理教育は可能であること[に気づいた]。
■説得力を持って生徒に示すための材料についてもう少し検討する必要がある。
■日本の歴史の豊かさに気づいた。
■子どもに語りかけるときに、社会の多数派の考えを基準にしていくことに慎重になるようにする。
ステレオタイプな発想にならないように注意する。
■生徒にとって身近なテーマなので、うまく活用して、そこから広がりのある掘り下げた学習の展開を考えてみたいと思いました。
■病気という世界は、日常への気づきを深める契機となる。→教材を探してみる。
■とりあえず話し(教員、生徒とも)話題としてとりあげて共に考えていく。
■直接、倫理を言うのではなく、病は誰にでもあるという事実を積み重ねて外堀から埋めていく。
■自校の他の教員と、もっと話す機会を作ると良いと思った。
■今日の話し合いの方法(グループごとの話し合い→分かち合いといった流れや、ポストイットを使った作業など)は授業の中で使えると思った。
■具体的な授業から展開して話を進められないだろうか。生物的材料をもとに、倫理的発展をという流れがいいように思います。
■「生物」「倫理」だけでなく「日本史」などの教科を通してのアプローチもあり、おもしろいと思った。
■生命倫理の教育は、「生物」や「倫理」で扱うものだと思っていましたが、今日の話は「日本史」からのアプローチでした。いろいろなアプローチの仕方があるということを学びました。
■本校では、3年で理系文系コースに分かれるのですが、「倫理」は文系の生徒のみの履修で理系の生徒は履修しません。私の個人的な考えですが、理系の生徒も(こそ!)倫理は必要ではないかと思っています。現在の教育課程では倫理を学ばずに卒業する生徒が出てくるので、次の学習指導要領がどうなるのか気になります。
■自分は生物学的見地から見ていることが多かったが、文化・歴史から見る必要性を感じた。が、一方、幅広く得た知識(得たと仮定)をどう整理したらよいのか今から不安である。生物学的側面と文化的側面を融合させるのは難しい。

「異常」と「正常」、「病気」について
■「異常」と「正常」の違いは相対的なものでしかなく、多数派が「正常」を名乗っているだけではないか、ということ[に気づいた]。
■新しい思想への保守的な差別!!への挑戦は異常なのだろうか?
■共通的に理解されることは正常で、そうでないもの、そなわち異論は、異常である。
■正常と異常、病気と健康が対立概念でなく、相対的なものだとすれば、異質の共存こそが自然と考えられなくてはならない。とすれば、男女生み分けとか、遺伝病スクリーニングは反自然だと思う。もっと議論が必要。
■病院化社会が病気を増やしているのではないか、ということ[を感じた]。
■「病気」のことを考えると、そこから豊富な題材が浮かんでくる。特に、文化(史)的な事例や作品の中に、人間の本性を見る。「病気」はただ嫌なもの、排除すべきもの、駆逐すべきものなのではなく、それとどう向き合い、関わっていくか(克服も含めて)という「課題」として捉えていく必要があると思った。
■病気の文化史が歴史を貫通する一つの視点となりうること[に気づいた]。メイサー先生の遺伝病スクリーニングについての肯定的な見方と多くの参加者(私も含む)の否定的な見方。→いずれ論争になる!?
■病気もしくは病むということを全体と部分として捉える視点をいかに獲得するか。治癒することの本来の意味と治療することの意味、場所をどこに見いだすか。
病気というきわめて人間的な価値を、いかにして相対化していくのか。それは西洋医学の成立とそれを導入していった近代日本の効率化とも関係している。脳は脳を意識するように生命は自己を生命として認識しているのか?それができないのが人間である。
■生物学的病と社会的病を考えたとき、人間に都合がよいことにほかならないけれど、あえて共存を選ぶのが得策か。
■(1)病気に対しての差別感。(2)障害者と健常者の区別。(3)ヨーロッパでのペスト流行の際のユダヤ人迫害の事実には恐怖と戦慄を覚えた(偏見の恐ろしさ)。
■タブー視することは差別につながると感じました。
■抗菌ブームの話を聞いて、寄生虫がいなくなったために花粉症が増えたという話を思い出しました。人体というものをそれにくっついている微生物などと切り放して(独立した存在として)考えることの誤りを授業として考えてみたいと思いました。
■予防は倫理的に「良い」ことなのだろうか。治療できない病気を「隔離」することが差別につながるとすれば、良くないことなのではないだろうか。

同じ教科、あるいは違う教科の先生と話をすることについて
■他の方々も似たような問題意識を持っていたということ[に気づいた]。
■社会科の先生方との視点が違っていた点がおもしろかったと同時にいろいろな見方があることに気づけて良かった。
■少なくとも、倫理と生物の教師はもっと対話、議論すべきだ。→Bioethicsの授業内容、教材開発のためにも。
■自分の専門以外の方の意見が大変参考になりました。
■自分以外にも生命倫理に興味を持ち実践している人がたくさんいることを知り、うれしく思った。

勉強会の反省点、今後につい
■どうやって授業に反映させるかの検討に至らなかった。
■もう少し参加者が増えても良い。
■遠方で参加したがっている先生にも便宜を。
■「授業の中でどう扱うか」という点をもう少し掘り下げたかった。

その他
■まず歴史文化を勉強する。また、一見意見の合わない「自分と考え方が大きく異なる人」とコミュニケーションを取り、自分と他己との共通項の基準をできるだけ少なくしてみる。ここから差別に関して何か得られるものがある気がする(しかしこれはエネルギーを多く必要とする)。
■変革を促す異常をしっかり評価する。
■ダウン症について、学んでみたい。
■まず、自分が変わること。自分の中の差別意識を自己認識し、探ること。
■結論は当分でない(当分どころか??)。考え続けることにする。自分にとってそのこと自体が「生きている」ということである気がする。有意義な時間をどうもありがとうございました。
■自分自身で生命倫理について深く思考していなかったことを深く反省している。特に、小泉先生の発表を伺い、それを強く感じました。日常、もう少し、つっこんで考える訓練を更に積み重ねていきたいと思っています。
■「健康と病気」という最も身近な問題について、多角的に掘り下げて考察した小泉先生の報告を聴いて、身近なだけに見えなかった根本的な問題がいくつもあることに改めて気づかされました。
第4回勉強会報告-「動物実験」をテーマに
<とき・ところ>
1997年5月17日午後3時〜6時30分
東京都立日本橋高校にて

<参加者>
社会科
石塚和美先生(千葉県長狭高校)
井上兼生先生(埼玉県立大宮中央高校)
黒澤敬先生(埼玉県立鷲宮高校)
小泉博明先生(東京都麹町学園女子高校)
杉山登先生(逗子開成中学校・高等学校 )
田中裕巳先生(名古屋大学教育学部附属高校)
山下亨先生(都立日本橋高校)

生物科
石黒隆文先生(埼玉県立杉戸高校)
佐藤ひな子先生(埼玉県立浦和第一女子高校)
白石直樹先生(都立足立新田高校)
鈴木宏治先生(都立南葛飾高校)
鈴木希彦先生(千葉県長狭高校)
橘都先生(東京都立羽田高校)
三森和哉先生(東京都立久留米高校)

板谷裕子さん(筑波大学教育研究科)
本吉佳奈さん
メイサー、ダリル(筑波大学生物科学系)
浅田由紀子(筑波大学環境科学研究科)

<ねらい>
1. いのちの大切さはどのようにして教えられるか?
2. 動物実験は必要か?有効か?
3. 動物たちをもっと尊重するためには、実験のどういった点を改善できるか?

勉強会の流れ

オリエンテーション(15:00〜15:15)
 まず、第4回勉強会のねらいを説明し、東京都立南葛飾高校の鈴木宏治先生のご協力により牛の眼の解剖を行うことと大まかな流れをお知らせしました。また、第3回目同様、参加者の先生から了承を得て、録音を開始しました。そして、これまでの勉強会同様、コメントシートを一人一枚ずつ配布しました。今回は、特に、実験をするということで、実験中、感じたことをできるだけ記録するようお願いしました。
 今回の勉強会では、残念ながら、リーダーシップを取っていただいた鈴木先生が、早めに勉強会を後にしなければならなかったため、通常、オリエンテーションに続いて行う自己紹介を含めたアイスブレーキングをここでは行わず、ひとりひとり名前と所属だけを言う簡単な自己紹介を全員で行いました。

牛の眼の解剖(15:15〜16:15)
 いつも使わせていただいている普通教室を離れ、生物実験室に移り、牛の眼の解剖を始めました。牛の眼は全部で4つ。この4つの牛の眼は、鈴木先生が業者から購入し準備してくださったものでした。鈴木先生の指示のもと解剖を行い、特に、普段、実験や解剖をする機会の少ない社会科の先生方にできるだけ多く解剖をしてもらいました。解剖は40分ほどで終了。終了後、全員であとかたずけを行い、もといた教室へ戻りました。解剖した牛の眼は、生ゴミとして東京都のごみ袋へ入れました。

全体で全員が解剖の感想を発表(16:15〜16:50)
 早退される鈴木先生が、参加者の先生方の感想を直接聞くことができるように、まず、全体で、ひとりひとりが感想を述べることにしました。解剖を終え、休憩もはさまず意見を述べあったので、かなり率直な意見が出ました。以下がここで出された感想と意見です。

社会科の先生方、普段、特に実験や解剖に携わる機会のない方から
■生き物の一部であるはずの牛の眼が「モノ化」していくのを感じた。この変化はこわいものなのだろか?
■牛の眼が「モノ化」していったのは何故だろう?気持ち悪く感じたのは、きっとこの「モノ化」に関係があるのではないか。実験や解剖を通じて、ありのままに見ることができる生物という教科がうらやましい。牛の眼を目の前に眼の構造を知り、それが実験書などの本に書かれた事柄と結びついていく過程には知識の質の変化があるのではないか。
■牛の眼が「モノ化」していくのを感じたが、一方で、神秘、感動といったものもあった。
■眼は独特だなと思った。鈴木先生が用意してくれた眼の構造を書いた絵を見ながら解剖をすすめるときに、デカルトが「内蔵が私の書斎である」と言ったことを思い出した。
■眼はデリケート、という先入観があり、他のことは考えられなかった。
■久しぶりに良い体験をさせてもらった。今回使った牛の眼は、この解剖のために命を終わらせていない。生物の授業のための解剖と医者のための解剖は、意味が異なるのだろうか。食べるために命を奪い、「命を終わらせる」ということと「食べる」ということが関係するとき、また別の意味があるのだろう。
■この牛の眼の解剖は2度目だった。「モノ化」するというのは、モノでないものがモノになるということ。つまり、私たち日本人は、眼などの体の一部分も「いのち」だと考えており、デカルト的捉え方をしていないのではないか。この牛の眼の解剖実験を臓器移植の問題へと応用できると思う。
■実験をやるということだけで、特に感想はなかった。自分は、脳死についてやっているが、もし脳を見せることができたら、と考えてみた。命のたいせつさについて感じることは、「全体」と眼など「部分だけ」では変わってくるのではないか。
■以前、NHKの教育番組で高校用の眼の解剖実験を見た。そのため、あまり新鮮さはなかった。この番組では、「組織」だったのでこわくなかったが、今回は、最初、牛の眼と目を合わせるのがこわかった。最初、牛の眼に触ったとき、鳥肉のようだと思い、解剖をしている最中は組織としてとらえ、そして最後はゴミになった。この感覚の変化は、自分で理由づけしようとしているからではないか?私は生きているものを実験のために殺すのは嫌で、もし今回もカエルだったら、来なかったと思う。

生物科の先生方、普段、実験や解剖に携わる機会のある方から
■何度もやっていることなので、何も特別に感じなかった。
■動物を食べてしまい、食べられないところを単に捨ててしまうよりも、実験に使う方がよい。
■ブタの眼とまた違って面白かった[ブタの眼の方が小さいそうです]。
■眼は美しかった。その美しい眼を、最終的に東京都推奨のごみ袋に入れたことに相反するものを感じた。
■解剖の後、食するというのは、いいアイデアなのではないか。部分を統合している命がすばらしいのであって、臓器は物質として見てもよく、「モノ化」も構わないのではないか。
■「食べる」という考え方は新鮮だ。実験や解剖では、やるのが精一杯で、感想は特にない。生徒との実験の最中に「命」という言葉は使わない。

ここで出された「モノ化」という言葉は、参加者である先生方から、この時点で自然に出てきた言葉であり、このあとの話し合いのキーワードのひとつになりました。

休憩(16:50〜17:00)

グループに分かれてのアイスブレーキング、話し合い(17:00〜17:40)
 3〜4人のグループに分かれ、話し合いをしました。まず、解剖のあいだ何を感じたか、ということをひとりひとりポストイットに書き込みました。その後、1グループに1枚ずつ配布した模造紙に、ポストイットを張り付けながら、今回の勉強会の3つのねらい、(1)いのちの大切さはどのようにして教えられるか?(2)動物実験は必要か?有効か?(3)動物たちをもっと尊重するためには、実験のどういった点を改善できるか?について話し合いをしました。

全体でのわかちあい(17:40〜18:15)
 意見を書き込んだ模造紙を囲みながら、各グループで話し合ったことを全員に説明し、それをもとに全員での意見の交換をしました。

まとめ(18:15〜18:30)
 予定では、全体でのわかちあいを踏まえ、もう一度、それぞれのグループでの話し合いをし、個人個人が今日の勉強会を振り返ることになっていましたが、時間の関係上、これは、「コメントシート」と「ふりかえりシート」を後日提出してもらうことで補うことになりました。参加者から寄せられた「コメントシート」、「ふりかえりシート」の意見は次のようなものでした。

参加者からのコメント(「コメントシート」「ふりかえりシート」から)

動物実験について
■他の動物を殺すことと、人間同士の争い(殺人、いじめなど)が関係するとすれば、どう関わるのかと考えると「生命の大切さ」が「殺すな」ということで良いのかと、疑問を感じます。
■自分自身を振り返ると、年齢を重ねてからの方が、解剖の意義を理解した気がする。眼のなかは、私たちが眼を通して見、感じる記憶と同じように美しい。このような眼が、器官の発達の例としていつもとりあげられるのは、何か意図があるのか、あるいはただの偶然か。眼をゴミとして捨てるのは残念なことだが、動物を食べていかなければならないことも残念なことである。いのちに目的はあるのだろうか?機能するため?見るため?信じるため?私たちは、答を得ることができるのだろうか?答が何であろうとも、その答は、心が私たちに語りかけるものである。どの時点で、いのちはものになるのだろう?いつ、「それ」はいのち、あるいは魂を失うのだろう?
Living being →living things 器官のいのちは、生き物全体としてのいのちほどのものではない。
■(1)「解剖」という「現物」の「リアルな」「ありのまま」のすがたを確認できることは、大変うらやましいところです。科学と「(科目としての)倫理」の大きな違いですね。最終的には、「私の人生」という一回性の話になるのが、「倫理」だと思いますので。(2)「意外とやわらかい」という「意外と」、「水晶体くさくないよ」「なるほど」「うまそー」「おいしそー」。こういう「コトバ」は重要な気がします(ヒントがあるのでは)。(3)座学で学んだ「知識」が、解剖というものでどういう「知」に質が変わるのでしょう。知りたいです。(4)「倫理」にもこの発想が応用できないだろうかと考えています。
■牛の眼の解剖実習は、初めての経験ということもあり、なかなか印象強烈でした。五感全体で感じた体験が、解剖図に象徴されるような、眼の構造と機能に還元されてしまうと、何か体験の重要な部分がすっぽり抜け落ちてしまうような気がしました。大げさに言えば、デカルト以降の近代自然科学で生命そのものを取り扱うことの限界を感じたように思います。
■人間という1生物種が、自分本位に作り上げた「権利」という言葉への解釈が生命倫理のキーワードになるのかな、という気がした。解剖実験については、結論は出せていない。が、1つの解剖実験だけで「生きる」ことの大切さや命の大切さを伝えようと気張る必要はなく解剖実験前、とその後の指導が大切かもしれない。実験後食べるという意見には共感を覚えた。解剖は生命の大切さを学ばせるだけではない。解剖の意義をトータルでみた場合、命をこちらの勝手で奪うだけの価値があるのか。命の大切さ、は「必要以上に他の生命を奪わないこと」で表現できる。これを教えるには、豚を殺してソーセージを作る、といった作業を通して理解したほうがより有効だと思う。解剖にはそ
れ以外の意義があって、その意義と動物の命とどちらが重いか、と言われれば「動物」の方である気がした。また、社会科の先生方の、科学とはまた違った考え方の推移に興味をおぼえた。どう消化していくかはまだわからないが、少しずつ考え、煮つめていきたいと思っている。いずれにせよ、生命倫理というカテゴリーの学問がリードしていかないと今後、どうしようもない事態が起ってくるような気がする。
■牛の眼球の解剖で、初めは牛の目で、恐怖(?)の対象であったものが、解剖が進み、肉らしいところが削がれていくうち、組織となり、好奇心の対象となった。素手でさわるのが嫌だったのに、進むにつれ、どんな感じか触って確かめたくなった。自分の中で(牛に対する)罪悪感があったはずなのに、それを完全に打ち負かすような好奇心が出てきたことに、科学者が暴走してしまう心理もこんなものかと軽い恐怖を感じた。
■鈴木先生同様、必死でやるあまりマヒしていたかもしれないことをもう一度考えるチャンスがあってよかった。しかし、同じ人間どうしならともかく、他の生物の痛みをどこまでわかるのか、わかろうとする必要があるのか、甚だ難しい問題だと思う。しかし、生徒には疑問を常に提示して、あくまでも「すべてが決定ずみ」ではなく、一人一人が考える必要のある問題であることを伝えていこうと思う。少しずつ。また、自分の容量の許す限り、いろんな視点を吸収し、考えていきたい。
■解剖することで得られてきた医学的知識、解剖、動物実験等の上に人間の健康を欲する生活が成り立っていることを再認識。けれど、それは例えば動物に対して食したときにありがたいと一般的に思う感情とは同じものではないとも思う。今回の実験は血のでない、死んでいる、しかも食肉利用の残りということもあって動物実験、特に高等教育ではない時の“生きている”動物に対する実験には、依然、疑問が残る。

その他
■大変有意義な勉強会を体験させていただきました。各々の学校(例えば高校でも、学校のレベルの差)によって、取り組み方などもずいぶん違うことがわかりました。
■KJ法的な分類(デイスカッション→シート記入→分類・・・)は、ぜひ授業に取り入れたいと思います。
■社会科と生物科の教員が、一緒に勉強会をすることの意義を実感しました。貴重な体験を、今後の授業に活かしていきたいと思います。
■班に分かれて行ったワークショップがうまく本来、そう行われるべきであったモデルが私には想像できず、うまくできなかったことが残念。ある意味機械的に行われた観もあるし、参加者にとって受動的過ぎたのではと思う(実験授業を除く)。お互いの意見を出し討論
することで、他の意見の存在を知り、討論の中で刺激されて出てくる自分自身の新たな考えもあると思うので、“朝まで”的討論もいいのではとも思う。準備をした上でのディベートもいいかもしれない。
高校における生命倫理教育ネットワークの発足
浅田由紀子 メイサー、ダリル
Yukiko Asada & Darryl Macer, "Establishment of High School Bioethics Education Network", Eubios Journal of Asian and International Bioethics , May 1997, 7 (3), 73-77. の翻訳

●背景●
 科学技術の利用について民主的な議論のもとに意思決定を行うということは、生命倫理の目指すもののひとつであり、この実現のために、生命倫理教育は重要な役割を担う。1993年に行った国際生命倫理教育調査では、回答をよせた日本の高校の生物科、社会科の80%以上の教師が、生命倫理教育が必要だと答え、この調査からも、生命倫理教育の必要性は支持されている(1、2)。生命倫理教育を支持する一方、同調査において、多くの教師が、生命倫理を授業で扱うための資料や教材を必要としていると答えた。そのため、私たちは、1994年に生命倫理教育に関する補助教材を作成し(A4サイズ、16頁)、500部を、先の調査の要約を希望した教師に配布した。英語版の教材もオーストラリア、ニュージーランドの教師に配布し、日本語版共々、インターネット上でも公開した
  補助教材についてのコメントを、ごくわずかな教師からだけしか得ることができなかったため、教材の使用に関する追跡調査を行った。追跡調査から明らかになったことは、多くの教師は、補助教材は難しすぎると感じていたということだった。追跡調査に加え、教材の改善点についても意見を求めるために、数名の教師とインタビューも行った。教師自身が作成した教材や、私たちの補助教材に設けた質問に対して生徒が綴った回答を送ってくれた教師もおり、こういった資料は保管している。1996年1月に、より楽しいものとなるよう図や絵を取り入れ、補助教材を改訂した。日本全国の高校(5000校以上)に改訂版補助教材の無料配布の情報を郵便、あるいはファックスで提供し、これまでに、要望のあった800校以上の高校に配布した。改訂版補助教材を使用した生徒からのコメント、意見などを引き続き受け取っているが、フィードバックが十分にあるとは言えない。

●ネットワークの発足●
 改訂版補助教材の情報提供をした際に、国際生命倫理教育調査(1)の報告書の入手についての情報と、生命倫理教育に関するネットワークの発足についての情報も提供した。現在、生物科、社会科の40名強の教師がこのネットワークに参加しており、インターネット上でも公開している
 ネットワークの主な目標のひとつは、意見や情報を交換することによって、孤立感を味わいつつ生命倫理教育を進めている教師を支援することである。40名強の教師が、14都道府県、主に関東県内から名を連ねている。ネットワークでは、2カ月に1度のペースで勉強会を開いており、毎回、12〜20名ほどの教師が参加している。本稿では、これまで勉強会から学んだいくつかの点を紹介したい。この私たちの経験は、別の地域で同じような興味を持つ人々にも役立つものだろう。

●第1回勉強会●
 1996年12月7日土曜日の午後、筑波大学にて第1回勉強会を開いた。7名の生物科の教師と7名の社会科の教師が、東京から約60キロのつくばへ足を運び、勉強会に参加した。ほとんどの教師にとってこの勉強会は、お互いが顔を合わす初めての機会であり、それゆえ、第1回目の勉強会はオリエンテーション的なものとなった。
 それぞれ異なる経歴を持つ参加者が、生命倫理教育という共通の興味を深めることを目的に集まったわけだが、第1回勉強会においては、自由に意見を交換し話し合いをする雰囲気はなかった。予定していた3時間がたった時点で、やっと参加者全員が自己紹介を終え、それぞれの持つネットワークへの期待や今後のあり方を述べたにすぎなかった。生命倫理にかかわる話題についてより深く話し合うためには、話しやすい雰囲気を作ることがひとつの鍵である。様々な分野の人が、学際的に集まるということそのものが、日本の伝統において比較的めずらしいことだが、第1回勉強会に参加した教師もまた、自由に意見を交換することに慣れていなかった。ここに参加した教師は、例えば、最近の生命倫理における論議は専門家によってなされることが多く、一般市民は議論についていくことが難しいといった点を危惧するなど、権威主義に強い抵抗感を持っているようであった。しかしながら、教師たちは、勉強会において私たちに議論を先導することを期待しているようであり、権威に依存しているようにも見受けられた。
 和やかとはいいがたい雰囲気にもかかわらず、参加した教師たちは、勉強会が2カ月に1度程度のペースで続けられることを望んだ。この頻度は、ほとんどの参加者が、忙しい日々の仕事の合間をぬっていくらかの時間をかけて勉強会の会場に赴くことを考えると、2カ月に1度程度で十分だろう考えたためである。また、多くの参加者の移動の便宜を考慮し、次回から会場を東京都内の学校に移すことも決定した。
 教師からのコメントを以下に記す。第1回勉強会で明らかになった重要な課題のひとつは、教師たちが建設的な会話のもとにお互いに率直に意見を述べ合い、ともに学び合うことができるような勉強会の進め方を見つけることだった。

期待
第1回勉強会でぜひ、話し合いたいこと、期待することなど、ご意見をお書き下さい。
■「倫理教育の再生としての生命倫理教育」→教育過程(文部省)への働きかけ
■本校では生命倫理教育ははじめたばかりなので、右も左も分かりません。さまざまな知識・授業法などを勉強したいと思います。

第1回勉強会後のコメント
■もう少し、論点を明確にする必要がある。まず、現在、みんなで考えなくてはならない最も大きな問題は何か、それに関してどんなことが行われようとしているのか。ここまで話が進まないことには、どんな会になるのか見えない。
■自己決定ということがよくいわれますが、それは本当に可能なことなのでしょうか。未成年を預かっている私の立場からすれば、少なくとも生徒の自己決定は危なくて見てられません。

●第2回勉強会●
 1997年2月15日に第2回勉強会を開き、4名の生物科の教師と9名の社会科の教師が参加した。勉強会の資料と当日の予定表は、前もって配布した。私たちが何よりもの目標として掲げたことは、教師たちが「話し合う」ことであり、そのため、開発教育や環境教育でたびたび使われる討論形式を導入した。第2回勉強会で設定した新たな試みは、ねらいをはっきりと定めたこと、参加者に考えたことや話し合ったことをできるだけ紙に書き出してもらうようにしたこと、あるひとつのテーマのもとに発表者をひとり立てたこと、まず小さなグループ(例えば1グループ4人)に分かれて話し合い、その後、グループ間で意見を交換したこと、話し合うときや考えるときに時間制限を設けたことだった。
 第2回勉強会のねらいは、「生命倫理教育において根本的な課題を見つけ出し、今後、ネットワーク/勉強会で取り組むべき課題を探し出すこと」と「課題を持ち帰り、自分の日常の中で意識できるようにすること」の2点とした。発表は、ネットワークのメンバーのなかでも、私たちが生命倫理教育についての研究を開始した1991年以来、交流を持っている大谷いづみ先生にお願いした。大谷先生は、公民科、倫理・現代社会で10年にわたり生命倫理教育を実践している。
 勉強会では、ねらいをまず説明し、グループに分かれて話し合いをする方法を提案した。また、勉強会で話し合ったことや考えたことを積み重ねていけるように、そして、勉強会に参加したくとも参加できない多くの教師とも理解を深められるように、積極的に考えたことを紙に書いていくよう促した。さらに、よりよく記録を残すために、教師の了解を得、勉強会の様子を録音した。勉強会の最中、いつでも、教師がコメントを書き出せるよう、コメントシートを配布した。コメントシートには、第2回勉強会の報告書に掲載を希望する提案などを書く欄と、報告書には掲載を希望しない意見を書く、2つの欄を設けた。コメントシートは無記名で、勉強会終了後、回収した。
 アイスブレーキングとして、すべての参加者が2人1組となり、1人1〜2分で自己紹介をした。この自己紹介では、まず一方が自己紹介をし、一方は聞くという、時間を区切ったやり方を試みた。その後、2組ずつ4人のグループを作り、パートナーを他の他の人に紹介するという他己紹介をした。第2回勉強会以降、この方法を毎回とり、なじみのない人と2人組になることで、お互い知り合う機会を設けている。
 大谷先生は、非常に熱心な生命倫理教育者であり、発表では、生命倫理教育における大谷先生自身の豊かな経験を踏まえ、生命倫理における教育の役割、教育における生命倫理の役割を問われた。40分の発表の後、45分間、先の自己紹介でできたグループで作業をした。まず、生命倫理教育において根本的な課題は何か、また、ネットワークとして、どのようにそういった課題に取り組むことができるか、という問いかけについて、それぞれひとりずつ張りつけ可能な小さな紙(7センチ四方のポストイット)に書き出した。そして、書き出した言葉について説明を加えながら、各グループに1枚ずつ配布された模造紙に張りつけていった。さらに、ひとつひとつの意見の関連性を見つけだしながら、グループ内で話し合ったことや新たに浮かんだ考えを、随時、模造紙にマジックで書き込むようにした。
 次に、作業をした模造紙を、参加者全員で囲みながら、各グループで話し合ったことを紹介し、意見を交換した。4つのグループ、それぞれが違った視点から話し合いをしていたことがわかり、意見を自由に交換することができた。その後、もう一度、もとの4人1組のグループにもどり、全体でのわかちあいを踏まえ、グループで話し合ったことを紙にまとめて書いた。時間の関係上、個人的に参加者ひとりひとりが勉強会を振り返る時間を設けることができなかったため、「ふりかえりシート」は後日、送り返してもらうことにした。
 第1回勉強会とは異なる、第2回勉強会での活発な意見交換は、これが2回目の勉強会であり、教師たちに、お互い話をするという準備があったことに負うところが大きいだろう。しかしながら、この討論形式は、教師たちが自然に声を発するために、非常に有効に働いたように思われる。この討論形式の効果は、勉強会に参加した教師からのコメントにも現れている。いくつかのコメントを以下に記す。

第2回勉強会後のコメント
■大谷先生の素晴らしい実践例や多数の印刷物を拝見して、生命倫理が意思決定の問題であること、自己愛と他者への愛のせめぎあいになることも多々あることを実感しました。生命倫理にかかわる場面では、より良い選択をするために、人格が養われることが是非必要であり、人間も他の動植物同様、生態系の一員にすぎず、やがて死すべきものであるという、謙虚な人間観を持つことが必要だと思いました。
■小グループに分かれて討論し、そのまとめを、それぞれ発表していくという方法は、いろんな形で活用できそうです。

●第3回勉強会●
 1997年4月19日に、熱心な生命倫理教育者であり、数年来、交流のある小泉博明先生を発表者に第3回勉強会を開いた。この勉強会では、私たちは、「病気」とは何か、授業で「病気」の子どもや家族、「差別」についてどう扱うことができるかということについて検討した。討論形式は、第2回目と同じものを導入した。
 小泉先生は、日本史を教えているが、歴史は、何人かの教師が生命倫理教育に一役かう教科かも知れないと期待している教科である。小泉先生は、発表の中で、歴史、特に日本史という教科の中で生命倫理を扱う可能性を示唆した。つまり、生物、社会、倫理といった教科は、生命倫理について未来について考える機会を与えてくれる場合が多いが、歴史は過去をも視野に入れる重要性を投げかけ、それゆえ、広い視野にたった見方を与えてくれるという利点である。
 少し引用が長くなるが、以下に、第3回勉強会で寄せられた教師のコメントを記す。(この部分は、今回ニュースレターに載せた、第3回勉強会で寄せられたコメントと重複するので、省きます。)

●第4回勉強会と今後●
 5月17日には、動物実験をテーマに第4回勉強会を予定している。生物科の鈴木宏治先生に、牛の眼の解剖を実際に行ってもらう予定である。カエルの解剖にするかどうか、といった議論もあったが、動物実験の大枠を感じとるためには、1〜2個の牛の眼で十分であり、牛の眼の方が害を与えることも少ないだろうと結論を出した。この解剖では、はじめ生物実験室を使い、解剖後、通常使用している普通教室に戻り話し合いをする予定である。普通教室では、テーブルを自由に動かすことができ、討論を促進することができる。
 生命倫理教育よりも幅広く成功をおさめ普及しているように見える環境教育においても、教育者が専門家や権威者から受動的に情報を受け取る事態に陥ることがある(3)。生命倫理教育においても、例えば、研究者と教師の間に、あるいは教師と生徒の間に、封建的な枠組みを持ち込む危険性はある。このような構図を避けるためには、教育者自身が、どのように学ぶかということを再検討しなければならないだろう。私たちは、この生命倫理教育に関するネットワークが、実践的な情報を交換するための場だけでなく、参加者全員が自らを振り返る場でもあることを切に願っている。

●謝辞●
 この研究は、文部省科学研究費 (0860195)からの助成を受けています(1994、1995、1996〜1998年)。第1、2回勉強会の準備に際し、小幡寛子さんにはご協力をいただきました。また、ネットワークを支援してくださっているすべての先生方、補助教材についてご意見をくださったすべての先生方に感謝しております。ネットワークの発足に関しては、特に、小泉博明先生、井上兼生先生、大谷いづみ先生にご支援いただきました。さらに、東京都立日本橋高校を勉強会の会場として提供してくださっている山下亨先生のご厚意にも感謝いたします。

●参考文献●
1. Darryl R.J. Macer, Yukiko Asada, Miho Tsuzuki, Shiro Akiyama, Nobuko Y. Macer (1996), Bioethics in High Schools In Australia, Japan & New Zealand (Christchurch: Eubios EthicsInstitute, 1996), 200pp.

2. Yukiko Asada, Miho Tsuzuki, Shiro Akiyama, Nobuko Y. Macer and Darryl Macer, "High School Teaching of Bioethics in New Zealand, Australia, and Japan", Journal of Moral Education, 25 (1996) 401-420.

3. 原子栄一郎「テクノクラシーへの依存から学校教師のイニシアチブへ:オルタナテイブな環境教育 の進め方を求めて」、東京学芸大学環境教育実践施設研究報告「環境教育研究」、6、33ー43、1996
イベント情報
 このコーナーでは、セミナー、勉強会、会議などをお知らせします。みなさんからの、情報をお待ちしております。

第9回日本生命倫理学会年次大会
「地球共同体の生命倫理:人類学、哲学と社会的正義」
1997年11月1〜2日 筑波大学にて

●生命倫理教育分科会●
これまでのところ、以下の方々が発表を予定されています。

健康・病気をテーマとした生命倫理教育(麹町学園女子高校、小泉博明)
ホームルーム野外合宿の生命倫理的意義、高校の事例から(羽田高校、橘都)
AIDSについてどう教えるか〜人間の生き方と社会のあり方を考えるために〜(国分寺高校、大谷いづみ)
山口大学一般教育における生命倫理教育の実践(山口大学、川崎勝)
日本における高校での生命倫理教育ネットワーク(筑波大学、浅田由紀子、メイサー、ダリル)

●生命倫理教育分科会、発表者募集!●
ネットワークからも、数名の先生方が発表を予定されていますが、まだ1〜2名発表者の余裕がありますので、他の先生方もぜひご発表ください。詳細は、 Email < asada@bombyx.biol.tsukuba.ac.jp >.

●教員・市民・企業の環境教育をサポートする環境教育情報センター オープン●
<オープンタイム> 
水・木・金 13:00〜21:00 / 第2、第4土 10:00〜17:00
<利用料金> 
会員無料 会員外 1回500円
〒171 東京都豊島区目白3-17-24 地球市民ひろば内
TEL: 03-5982-8098 / FAX: 03-5982-8549

環境問題、環境教育についての図書が1500冊ほどあり、借りることができます。
教材発掘
 このコーナーでは、授業で生命倫理に触れる際に参考となる本や論文、記事、テレビ番組、インターネット上のホームページなどを紹介します。みなさんに紹介したいものを見つけたときには、ぜひこのコーナーにお知らせください。今回は、第5回勉強会の発表者である井上先生のご推薦図書と、第4回勉強会のテーマでもあった動物実験に関するものを紹介します。

加藤尚武著
●「環境倫理学のすすめ」●
(丸善ライブラリー)

鬼頭秀一著
●「自然保護を問いなおす−環境倫理とネットワーク」●
(ちくま新書)  
両書とも環境倫理思想の概要と論点を明快に紹介しながら、それぞれ独自の視点から問題を掘り下げて深く考察している。新書版ながら、たいへん密度の高い環境倫理の必読書。生命倫理を考える上でも示唆に富む。2冊併せて読むことを薦めます。(井上兼生)

A.N. ローワン(関裕子訳)
●「論争 動物実験の是非を問う」●
(日経サイエンス1997年5月号、109ー127頁)
Scientific American (February 1997) で特集された記事の全訳。高校での実験授業に関する情報はほとんどないが、1970年代以降の研究における動物実験の扱われ方が概観できる。

鳥山敏子
●「いのちに触れるー生と性と死の授業」●
(太郎次郎社、1993年、270頁)
動物を殺すのはかわいそうと言う一方で、他人がさばいた肉をスーパーマーケットで買い、何のためらいもなく食する私たちの感覚に疑問を持った小学校の教師である著者が展開した、鶏を殺し食べる授業や、一体の豚を解剖し、最終的にソーセージを作り食べる授業の報告。

実践生物研究会メーリングリスト
< jissen@hamajima.co.jp>
第4回勉強会にも参加された東京都立井草高校の斎藤三男先生がよびかけたメーリングリスト。生き物や生物教育に興味がある人ならば、誰でも参加OK。動物実験について意見が交わされたこともある。
学校における生命倫理教育ネットワーク 第2回勉強会報告
1997年2月15日 午後3時〜6時 東京都立日本橋にて
当日の進行予定
15:00ー15:30 近況報告
15:30ー16:30 大谷いづみ先生の実践報告
16:30ー17:30 質疑応答、討論
17:30ー18:00 次回勉強会についての事務連絡など
大谷いづみ先生の実践報告
公民「倫理」「現代社会」での「いのち」を扱う
人工生殖技術と家族 〜ベビーM事件をめぐって〜
無知は身を滅ぼす? 〜脳死・安楽死・尊厳死〜
生命の質と<選択> 〜胎児診断と人工妊娠中絶〜
以上の実践例をご報告いただきながら、10年間の実践を経て思うところ、感じるところについてお話をうかがいます。
第1回勉強会を終えての先生方の感想、提案
勉強会の進め方について
〜論点の明確化、時間の効率化、年間テーマ、具体的な発表者、授業の実践報告、事例研究〜

ーもう少し、論点を明確にする必要がある。まず、現在、みんなで考えなくてはならない最も大きな問題は何か、それに関してどんなことが行われようとしているのか。ここまで話が進まないことには、どんな会になるのか見えない。
ー時間の効率化。
ー年間テーマを決めて、勉強会をする。例えば、「遺伝子治療」。そのときに、研究者による講演や発表などを聞く。現場の教員と研究者との交流ともなる。
ー第2回目からは、具体的な発表者を決めて、授業の実践例、資料、問題提起などを行ってもらい、それをもとに議論を進める。
ー授業の実践報告、事例研究が必要。できれば、倫理と生物で各1名のレポーターの報告が望まれる。具体的な授業の展開で、どのような問題がるのかを提示する。そして、質疑応答により、理解が深まる。
ー授業の実践例を公開してほしい -前回はおおよその授業内容しかわからなかった。50分の授業を、あるいは数回の授業をどのように組み立てたのか、教材は何を使ったのか、生徒はどういう反応をしたのか、試験の結果はどうだったのか、などをすでに実践をされている先生がたに公開していただけると助かる。

勉強会での長期的なプロジェクト
〜国際比較・協力、学校間協力、ワーク・シートの作成、データ・ベース確立〜

ー欧米の生命倫理教育は、どのように展開されているのか。できれば、テキストを取り寄せて検討したい。
ー授業で使えるワーク・シートの作成。内容は、外国でも使用可能なもの。国際比較が後にできるもの。
ーデータ・ベースの確立の急務。
ーマスコミへの連絡によるPR。
ーメイサー先生の情報とネットワークを活用して、他の国々の生命倫理教育の実情を紹介してもらい、実際に海外で実践に取り組んでいる教員との交流、ネットワークの形成へと発展させていく。
ーせっかくネットワークを作るのだから、発表は個人的なものでなく、多くの学校が参加していけるような方法をとれたら良いと思う。全国の生命倫理教育について実践されている方々の手法をモデルに、多くの学校で実施し、その結果や効果を持ちよることができれば、ネットワークによる全国的な広がりや効果が期待できると思う。具体的には、どのようなことが多くの学校で実施できるテーマかを考え、方向を決めたい。その際には、アンケート等の実施だけでなく、授業の実践を通しての効果を報告できればさらに良い。また、学校構成についても、バラエテイーに富んだものとなるよう配慮する必要がある。これらの準備を3学期中に決め、協力を事前に各校に要請できないか。

ネットワークの広げ方
〜情報発信の手段の多様化、海外への発信、関東近県以外をも含む全国化〜

ー毎回、勉強会の内容を要約して、ファックス、インターネットなどさまざまな方法で発信し、全国からアクセス、活用、交流が可能なようにしていく。英語の要約が作成できれば、海外への発信も考えられる。
[ネットワーク、勉強会の情報(お知らせ、報告などすべて)は、近々インターネット上の、ユウ バイオス倫理研究会のホームページでも見ることができるようになります(日本語と英語の両方)]
ー関東近県だけでなく、関西方面や全国的な集まりにできたらさらによい。
今後、話し合うべき根本的な問いかけ
〜生命倫理教育の目指すもの、生命倫理教育のあり方、学習を支援するプログラム〜

ー「脳死は科学的で正しいか」という発言を中心に「授業で扱うのがコワイ」「生命とは、倫理とは」「どれが正答かと聞いてくる看護系生徒」「授業で扱うことの意味は」といった発言をされた方々の考えをさらに聞きたい。ここには、次に挙げるような、根本的な問題が示されていると思う。
1)生命倫理教育は何を目指すのか。「科学的生命観」を広めようとするのか、科学をコントロー  ルする生命観を求めるのか。また、その生命観を社会的に統一することを求めるのか、個人の選  択権を広げることを求めるのか。
2)生命倫理教育とはどうあるべきか。ある倫理を伝えよう、広めようとするのか、生徒個々人の  倫理を育てようとするのか。
ー生命倫理教育の教育方法に関して、川上正光氏のES型教育の必要性が高いと思った。従来の教授パターンは、教える側と教えられる側との知識の量の非対象性を根拠とした情報の伝達が中心となるが、生命倫理という問題の性質上、教える側も教えられる側もともに参加しあい、学びあうという側面が強調されると思う。その学習を支援するプログラムが求められているのではないか。
ー生命の尊さはどうすれば教えられるのか ー羊の頭蓋骨を斧の峰で割ったとき、生命の尊さを知ったというご発言がありった。現在の少年犯罪の凶悪化を見ていると、羊を殺したとき、生命の大切さを学ばずに、殺戮に快感を覚える青少年もいるのではないかと危惧してしまう。生命の尊さはどうすれば教えられるのだろうか。
ー自己決定権 ー自己決定ということがよくいわれるが、それは本当に可能なことなのだろうか。未成年を預かっている私の立場からすれば、少なくとも生徒の自己決定は危なくて見ていられない。では、大人はどうかでが、個人を重視してきた近代ヨーロッパの人間観が必ずしも正しいとは思えない。個人が集まって社会ができたとよくいわれるが、最初に社会ありきだという考えも実は戦前のヨーロッパで登場している。ただ、このテーマは勉強会で扱うには大きすぎて、議論が拡散してしまうおそれがある。雑談のときにでもふれるくらいがよいかもしれない。

今後、話し合いを望む題材 〜死、親子、差別、環境倫理〜

ー「科学的生命観」の現実に差し迫っている問題について、1)「死とは何か」、2)「親子とは何か」という2点に多くの方々の関心を感じ、私自身の関心が他の方々とも共通したものであることを知ることができ、この2点に、授業でどうアプローチするのかの具体例の交流を望む。
ー差別とどう取り組むかという点から、それぞれの問題を考える必要を感じた。特に、この点では、社会科の方々の考えを聞きたい。また、色覚「異常」に代表される教科書のなかの差別について、特に生物教員の意見を知りたい。
ー環境倫理について何も知らないので、特に、生命倫理と両立しないという点について勉強会があればうれしい。

授業実践報告 〜解剖〜

 講義中心の授業ではなかなか生徒がついてこないので、観察や実験をなるべく取り入れるようにしている。ただ生物を眺めているだけならいいが、中にはどうしても生物を殺さなくてはならない場合がある。特に解剖では自分の手で目の前の生物を殺すことになる。
例:カエルの解剖の場合、生徒からポロっとでる言葉は
<解剖前>
初めから死んでないの?自分で殺すの?何で殺さなきょいけないの?解剖すると死ぬの?解剖した後、お腹を縫うの?など
<解剖後>
このカエルどうするの、埋めるの?こんなことして何になるの?なにも殺さなくたっていいじゃん
その他、カイコ(5齢幼虫)、イカ、ウシの眼などの解剖でも似たような声が聞かれる。
教壇に立っている以上、これらの素朴な(しかし大切な)問いかけに対して答えを持っていないとならないだろう。一方では生命の大切さを説きながら、他方では生き物を殺している矛盾をどうとらえればいいのだろうか。かといって、実験をまったくやらないのも問題があるだろう。「解剖」をどう位置づけて実施していくか自分なりの答を持っていないと、この先、解剖をやっていくのにためらいを感じる。この問題は、人間が他の生物とどうかかわっていくか、自然とどう関わっていくかという問題を含んでいるように思える。
[生徒が解剖をどうとらえているのか過去のアンケートもいただきました。興味がある方は、浅田までご連絡ください。]

その他

ー他の先生方の発言をお聞きして、素朴な点で、身近に感じたり、考えさせられたりした。また、確固としたご意見も伺い、圧倒された。
ー「倫理」と「生物」それぞれの参加者が、生命倫理に関心を持ったり熱心に取り組んだりしていることがわかって、大変心強く思った。関心を持っている教員は、滞在的には相当いるのではないかという気がした。広く情報を発信して、そうした教員の関心を掘り起こしていくことも今後の課題かと思う。
ー自分自身、「生命」というものをさほど大切にしているとも思えないなかで、どれほど深く的確に「生命」を実感としてつかめるか、興味は尽きない。
学校における生命倫理教育ネットワーク 第1回勉強会報告
1996年12月7日 午後3時〜6時 筑波大学にて

参加者

理科の先生方   
捨田利謙(しゃたり・ゆずる)先生 石川県立小松高校   
石塚和美先生 千葉県立長狭高校
刈屋香津子先生 東京都立池袋商業高校   
石黒隆文先生 埼玉県立杉戸高校   
くわ子正博先生 埼玉県立杉戸高校   
白石直樹先生 東京都立足立新田高校   
鈴木宏治先生 東京都立南葛飾高校
  
社会科の先生方
加藤正和先生 東京都荒川商業高校
小泉博明先生 麹町学園女子高校(東京都)
大谷いづみ先生 東京都立国分寺高校
井上兼生先生 埼玉県立大宮中央高校   
井出知綱(いで・ちづな)先生 埼玉県立鷲宮高校
山下亨先生 東京都立日本橋高校
杉山登先生 逗子開成中学・高校(神奈川県)

筑波大学
メイサー、ダリル (生物科学系)
小幡寛子 (第2学群生物学類4年)
浅田由紀子 (環境科学研究科1年)
  先生方がこれまでに携わった生命倫理に関する教育について
 今回、お集りいただいた先生方のバックグラウンドはさまざまなものでした。ほとんどの生徒が高校卒業後、就職を希望する学校で教えている先生、進学校で教えている先生、そのなかでも、看護系を希望する生徒に教えている先生、文系の生徒に教えている先生、また、教えている学年も1〜3年までさまざまでした。また、ご担当の教科も、生物1A 、生物1B 、公民、倫理、歴史、現代社会といろいろで、授業枠も、これらごく普通の教科のほか、課題研究、公開講座というかたちで携わっている先生もいました。

 生命倫理に関する教育として、先生方が、取り上げたり触れたりしたことのある題材は、脳死、生殖技術、動物実験、臓器移植、安楽死、エイズ、優生学などでした。最近のいじめ、自殺に対する社会的注目度から、生徒自身が、死というテーマに対して興味をもっているという大谷先生からの指摘もありました。取り組み方は、教科、授業枠によりさまざまで、例えば、鈴木先生は、1学期間に3回行う動物実験をとおして、また、石塚先生は、倫理の授業でデカルトと脳死の問題を結びつけて話していることを紹介してくださいました。また、杉山先生は、生命倫理を大きな思想の流れとして捉え、歴史という科目で生命倫理を扱うことも面白いのではないかとお話ししてくださいました。このような、生命倫理に関する教育の授業形態としては、講義形式がほとんどでしたが、ビデオを使う先生も多くいました。使われる映像は、NHK のものが多いようですが、より効果的で、なおかつそれほど授業時間を割かずにすむビデオ教材を、どの先生方も探していました。また、新聞記事、自作プリントを使われる先生も多くいました。さらに、捨田利先生は、生徒が作成したアンケートを用いたことや、保健所の職員の方に訪問してもらい話を伺ったことを紹介してくださいました。石塚先生は、日本の脳死に関する法律はどうあればよいか、生徒がロールプレイを行ったことを紹介してくださいました。生徒に感想文、作文などを書いてもらい一方通行になることを防いでいる先生方が多くいましたが、生徒に対してどのようなコメントを返せばよいのか分からないといった意見もありました。また、わたしたち、生命倫理教育に関する研究グループが作成し配布した補助教材は難しすぎるといった指摘を受けました。

 生命倫理に関する教育を行う上で難しい点として挙げられたものは、次のようなものでした。限られた時間でどのように扱うことができるか、生徒が自分のこととして問題意識を持つにはどうすればよいか、「脳死」「自主性」といった言葉だけがひとり歩きしているのではないか、生命倫理における問題について理論的、理性的には受け入れられても、感覚的に拒絶感をもつ場合、どのようにその状況を生徒と共有していけるか、問題提起をしたまま、放りっぱなしにするようなやりかたでよいのか、「生命倫理教育」先が見えないことが多く、重く、教師としてびくついてしまう、先が見えないと教育はできないのか、生徒の問題に対する理解度はどのようにはかることができるのか、輸入ものではない日本の生命倫理を教えるにはどうしたらよいか。

 先生方ご自身が、生命倫理に興味をもつようになり、その必要性を感じたきっかけとして、NHK の番組が多く挙げられました。また、大谷先生からは、生命倫理教育は現在の教育を再生する力を秘めていると、力強い指摘をいただきました。

第9回日本生命倫理学会、高校での生命倫理教育分科会について
 1997年11月1〜2日に、第9回日本生命倫理学会が筑波大学で開催されると決定したこと、その学会で高校での生命倫理教育分科会をぜひ持ちたいという、わたしたち、生命倫理教育に関する研究グループの希望を述べました。突然の話だったこともあり、この件については、日本生命倫理学会がどのような組織なのか(10年ほど前に坂本百大先生(哲学者、現在、日本大学名誉教授)によって設立、その後、星野一正先生(医者、京都女子大学教授)をへて、今秋から坂本先生が会長。全国におよそ1000人ほどの会員がおり、会員は、医者、哲学者、倫理学者、宗教学者、科学者、法律科など)を説明するに留まりました。

今後の勉強会について
 今後、2ヵ月に1度ほどのペースで集まることができないかということになりました。場所は、できるだけ多くの人が参加しやすい場所ということで、東京の中心部に近い高校を選択することにしました。次回の詳しい日時、場所については、現在、調整中です。

 次回の勉強会までに、参加者は、今回の勉強会についてのコメント、今後話し合いたいことなどを生命倫理教育に関する研究グループまで提出することになりました。これをもとに、次回のレジュメを作成し、第2回勉強会に望む予定です。第2回目の勉強会では、今回ご参加いただけなかった先生方にもお越しいただくことを願っております。


学校における生命倫理教育ネットワーク第5回勉強会のお知らせ

<とき・ところ>
7月12日(土)15:00〜18:00
麹町学園女子高校にて

<テーマ>
環境倫理教育と生命倫理教育

<ねらい>
(1)環境倫理教育の課題と論点は何か?
(2)環境倫理教育と生命倫理教育の連携の可能性はどこにあるか?

<キーワード>
人類は地球のガン細胞?/自然の権利/世代間倫理/サイキックナミング(心的無感覚)

<当日のスケジュール>
15:00〜15:30 オリエンテーション、アイスブレーキング
15:30〜16:30 埼玉県立大宮中央高校、井上兼生先生(倫理)の発表
16:30〜17:00 グループに分かれての討論
17:00〜18:00 全体でのわかちあい、まとめ

参加される方は、 Email < asianbioethics@yahoo.co.nz >.まで、参加の旨を事前にお知らせください。話し合いを有機的なものにするために、できるだけ、最初から最後までご参加ください。やむを得ず、遅れていらっしゃる場合は、事前にお知らせください。

<最寄り駅から麹町学園までの徒歩時間>
JR線:四谷(10分)、市ヶ谷(10分)
地下鉄(有楽町線、半蔵門線、新宿線、千代田線、東西線):麹町(3分)、半蔵門(4分)、市ヶ谷(10分)
都バス:麹町2丁目、麹町4丁目(2〜4分)

生命倫理に関する教育研究グループ
浅田由紀子 ダリル メイサー(責任者、筑波大学 助教授) 
〒305 茨城県つくば市 筑波大学 生物科学系
FAX: 0298-53-6614 / TEL: 0298-53-4662
Email < asianbioethics@yahoo.co.nz >.
学校における生命倫理教育ネットワーク
オーストラリア,日本,ニュージーランドの高校における生命倫理(日本語版)
Teaching materials in English/生命倫理教育の補助教材(日本語版)
To Eubios Ethics Institute Bioethics Resources