生命倫理学への手引き   

生命倫理教育の補助教材

To English Bioethics Teaching Notes

ダリル メイサー
Eubios Ethics Institute 1995


著作権1996, Darryl R. J. Macer. すべての商業的な権利は登録されています。この補助教材は、1994年8月にオーストラリア、日本、ニュージーランドの高校へ配布した生命倫理教育の補助教材を改善したものです。


Topics included in the teaching notes

生命倫理
臓器移植
安楽死
動物の権利
生殖技術
遺伝子工学
ヒト遺伝病
遺伝子スクリーニング
遺伝子治療

 生命倫理学への手引き
生命倫理教育のための補助教材(改訂版)

先生方へ
拝啓 
 春暖の候、先生方には益々御健勝のことと拝察申し上げます。生命倫理教育のための改訂版補助教材を、今日、先生方にお届けできることを、非常にうれしく存じます。

 この改訂版補助教材は、1994年に国内の500校の高等学校へ試験的に配布させていただいた補助教材を、改訂したものです。今回の改訂版補助教材の作成は、1994年に補助教材を手にされた、生命倫理教育に熱心な先生方からの様々なご協力と、文部省からの助成金によって実現しました。補助教材を改訂するにあたりご協力をいただいたすべての方々に、この場を借りて感謝いたします。なお、英語版の同様の教材が、1994年からニュージーランド、オーストラリアでも試されており、さらに他の国々での使用も予定されております。また、インターネット上においても、日本語版、英語版とも同じものがご覧いただけます(www site: http://www.biol.tsukuba.ac.jp/macer/TMJ.html)。

 この改訂版補助教材は、教育が目的であれば、どなたにでも、ご自由にコピーしていただいて結構です。同僚の先生方や生徒に配布され、様々な状況で、生命倫理に関する様々な教育を展開していただければ幸いです。

 私たちは、この補助教材をよりよいものとしていくために、また、生命倫理に関する教育の評価方法を考えていくために、先生方からのご意見やご注文、ご質問をお聞きしたいと存じます。お忙しいこととは存じますが、同封のアンケートにお答えの上、ファックス、あるいは郵便でご返送ください。今年6月1日までにご回答をいただければ幸いですが、授業の進行状況等により補助教材のご使用の時期が、それ以降になることもあるかと存じます。その際には、時期を気になさらず、ご使用になられた後に、アンケートにお答えください。私たちは、いつでも、現場の先生方からのご意見を心待ちにしております。

 さらに、生命倫理に関する教育が、全国の多くの学校へ広まるように、先生方とのネットワーク作りも試みております。このネットワークに参加を希望される先生方は、同封の「学校における生命倫理教育ネットワーク」のお知らせをご覧ください。

 なお、この改訂版補助教材以外にも、生命倫理に関する授業に役立つ資料や書籍などをお探しでしたら、同封のユウバイオス倫理研究会の出版物のお知らせも、あわせてご覧ください。 

 先生方から、ご意見をお聞きできることを、楽しみにしております。 敬具 

1996年3月
ダリル メイサー(責任者、筑波大学 助教授)
Email < Macer@biol.tsukuba.ac.jp >.
浅田由紀子
〒305 つくば市 筑波大学 生物科学系
生命倫理に関する教育研究グループ ファックス番号:0298ー53ー6614


ユウバイオス倫理研究会の情報

どのような題材を付け加えるべきか、あるいは削除するべきか、また、生徒の反応、どの授業でこの教材を使用したか、それは何人の生徒の授業だったかなど、この教材に関する批評をお送りください。また、この教材の様式、使ってみたい教材を選ぶことができるという点を気に入られたかどうか、あるいは、小冊子のような様式の方がよいと思われるか、についてもご意見を頂ければ幸いです。さらに、この他にも、容易に手にいれることができるもので、この教材の中でも取り上げたほうがよいと思われる情報がありましたらお知らせください。ご意見はすべて私たちにとって、そして他の先生方にとっても役に立つものであると思います。先生方が特別にご希望されない限りは、ご意見は匿名で扱わせて頂きます。バイオテクノロジーや生命倫理に関する最新の情報を定期的に知りたいとお考えでしたら、隔月の、 Eubios Journal of Asian and International Bioethics の見本がありますので、お申し込み下さい。

 この補助教材は、1993年にオーストラリア、日本、ニュージーランドで実施された生命倫理教育に関する国際調査の考えを基に作成されています(生命倫理教育に関する国際調査(英語版))。この調査の概要(英語版)は、ご希望された先生方に送付しました。また、これらについても教育が目的であれば、ご自由にコピーして頂いて結構です。さらに、バイオテクノロジーに関する科学的、倫理的な問題を検討するために役立つ他の資料も、このワールドワイドウエッブ(WWW)において入手可能です。

Results summary: オーストラリア,日本,ニュージーランドの高校における生命倫理(日本語) / Bioethics in High Schools in Australia, Japan, and New Zealand(English) by D.R.J. Macer, Y. Asada, M. Tsuzuki, S. Akiyama, N.Y. Macer, Eubios Ethics Institute 1996)

 国際調査で行なった、自由回答の質問でお答え頂いたご意見の統計学的処理を施した結果の一部と、先生方が生命倫理をどのように考えておられるかという自由なご意見(日本語のご意見を英訳したものも含まれています)は、この5月に出版されたBioethics for the People by the People に掲載されております。この本には、10ケ国の一般の人々、大学生を対象に行われた国際生命倫理調査の結果と、生命倫理の分野における論文も、掲載されております。残念ながら、現在は英語版(452ページ)しか出版されておりませんが、日本語版の出版も考えております。先生方を対象にした調査の中で頂いたその他すべてのご意見を載せた詳しい報告書は、現在準備中です。


生命倫理


1. 選択すること           

 私たちの今日の生活は、科学技術の力なくしては語れません。そして、私たちは、科学技術の利用について、社会全体として、数多くの重要な決定をしていかなければなりません。私たちの下した決定は、環境や人間の健康、社会、そして国際的な政策に影響を与えます。科学技術の利用についての様々な問題を解決していくためには、また、私たちの意思決定を手助けする原理を発展させていくためには、人類学、社会学、生物学、医学、宗教学、心理学、哲学、経済学などが必要となります。そして、世界全体のことを考えていく視点を育むためには、生物学から得られるデータの科学的厳格さと、宗教や哲学に見られる価値の両方を必要とします。このような背景から、生命倫理は、人間生活のすべての側面に当てはまるように、意思決定に対する多面的な、思慮深いアプローチであるよう期待されています。 

 生命倫理という言葉は、私たちに、生物学と倫理学の組み合わさったもの、すなわちからみあった問題の組み合わせという印象を与えます。新しい技術は、生命の問題に対して私たちが考えてゆくきっかけとなるでしょう。例えば、ここ20〜30年の間、生殖技術への援助、生命維持の技術、臓器移植、遺伝学などが生命倫理研究の刺激となっています。その他には、環境問題もまた、刺激として挙げられます。

 倫理的な問題の中には、世界全体を巻き込む問題や、たったひとりの人だけを巻き込む問題など、大きなものから小さなものまであります。世界的な問題としては、すべての生物に影響を与える紫外線の増加をもたらすオゾン層の破壊が挙げられます。もしも、消費者が代用品を買うことができるのなら、オゾン層の破壊をもたらす化学製品の使用を個人個人がやめることによって、この問題を解決することができるかもしれません。しかし、この問題に取り組むために世界的な行動がとられました。オゾン層の破壊をもたらす多くの化学製品の生産を中止するための国際会議は、これまでユニバーサルな環境倫理が適用された中で、最もよい例の一つです。

 その他の世界的な問題の例としては、主にエネルギー消費から生じる地球温暖化です。この問題は、オゾン層破壊の例とは異なり、エネルギー消費を簡単に禁止することはできないために、エネルギー消費を減らすという個人個人の行動によってのみ解決することができます。例えば私たちは、電気を消すことやストーブや冷房の温度を調節すること、もっとエネルギー効率のよいビルを建てること、ドアを閉めること、急発進をしないことなどによってエネルギー消費を減らすことができます。このような行動はすべて、もしも私たちの地球のことを考えるならば、誰もが実行しなければならない簡単な行動です。けれども、実際には必ずしも多くの人が実行しているわけではありません。もしも私たちが望むのならば、現在の技術で可能な生活様式の変化によって、エネルギー消費を50〜80%減らすことができます。新しい技術もエネルギー消費を抑える手助けはできるかもしれません。しかし、個人個人の生活様式を変えることの方が、より的を得た解決方法だといえるでしょう。

                                     2.生命倫理において規範となるべきもの

 科学技術や医療がめまぐるしく発展し、環境破壊が叫ばれている今日、私たちはこのような問題に対して、意思決定をすることを避けては通れません。また、このような決定は、裕福であろうと貧しかろうと、すべての人によって行われなければなりません。様々な問題の秘める可能性が多ければ多いほど、下さなければならない決定も多いのです。幸運なことに、教育水準は上昇しています。しかし、私たちの身の回りを見渡せば誰もが納得するように、教育の高さと実際の行動の善し悪しは、いつも比例関係にあるわけではありません。それゆえ、教育水準が上がれば正しい決定が行われるという保証にはなりません。これから、生命倫理において規範となる考え方を簡単に紹介します。様々な問題を考えるときに、考え方が対立することはよくあることですが、これは生命倫理でも同じです。矛盾する規範どうしのバランスをどのようにとっていくかということは、意思決定をする上で基本となることです。

                      2-1. 自主性                 

 人はそれぞれ違います。私たちの顔、身体、着ている服を見れば簡単にわかることです。私たちの行う個人的な選択についても同じことがいえます。サッカーをするかもしれませんし、読書をするかもしれません、あるいはテレビを見るかもしれません。周りの人々によって特定の行動や振る舞いを強いられることもあるかもしれませんが、最終的には、ほとんどの場合、これも私たち自身の選択です。私たちには、他の人が、その人自身の選択をすることを認めるという義務があります。

 このことは、権利という言葉にも表わされています。つまり、個々の人が選択をする権利を認めるということです。確かに、新しい技術や知識について解決すべき問題は数多くあります。しかし、私たちにとって本当に問題なのは、それぞれの人が、その人自身の価値観を持った上で、他の人を等しく尊重することではないでしょうか。

 プライバシーの尊重や信頼など、その他のいくつかの生命倫理における規範は、自主性という概念から派生すると考えることができます。守秘とは、人々が個人的に与えた情報は秘密にしておくべきだという規範

であり、医学やビジネスの倫理において広く行きわたっています。秘密を守るということはまた、人々の信頼を保つという点でも必要なことであり、ビジネスや医学の倫理において一般的な特徴です。例えば、生命保険や医療保険の会社はお金を失わないようにするために、病気になる(あるいは死亡する)リスクの少ない顧客だけと契約しようとするかもしれません。また、保険申込者が、病気になりやすいことを示す何らかのサイン(遺伝子など)を持っていないかどうか、事前に調べることによって、商業上の競争に勝とうとするかもしれません。顧客は、このような事前の質問を断わる権利を持つべきです。商業上の競争を避けるためのよりよい解決方法は、すべての人が同じ医療手当を受けられるような国の保険制度です。しかし、ここで、この問題を別の観点からも考えてみましょう。つまり、自分がもう間もなく死ぬであろうということを知っていながら、その情報を生命保険会社に隠すことは、その保険制度に対して不正をすることではありませんか?私たちはここで、公正ということについて考えなければなりません。

                      2-2. 公正                 

 私たち自身の自主性は、社会や世界の他の人々の自主性を尊重することによって制限を受けます。もしも、あなたが、個人の自主性は社会の利益よりも大切だと主張するのならば、社会を守る主な理由は何だろうと考えてみて下さい。その理由は、社会が尊重されるべき多くの命から成り立っているからではないでしょうか。私たちは幸せになるべきであり、私たちそれぞれの価値観や選択は尊重されるべきです。しかし、同時に「みんなの幸せ」という点で、個人の自主性を追い求めることは制限されます。私たちは、この社会に住むどのような人々にも等しく公平な機会を与えるべきです。このことを、公正といいます。次世代の人々も社会の重要な一部分なのですから、「社会」には、将来の社会も含まれます。

 私たちがそれぞれの社会において、公正、つまり、その社会におけるすべての人に公平な機会を与えていくことを押し進めていく方法として、一般的な事例に法律やガイドラインを課すことが挙げられます。さらに、時として起こる難しい事例には、人間の「判断」により決定がなされます。また、日本の法律制度では見られませんが、陪審員により判断が下されることもあります(ニュージーランドやオーストラリア、アメリカ合衆国など)。しかしながら、倫理的によいことと、法的に要求されることは異なります。

                      2-3. 愛:よいことをすること、害さないこと               

 人々が理由づけをするときにとる基本的な方法は、よいことをすることと害さないことのバランスをとることです。このような人々の理由づけの過程は、愛という概念のもとにまとめられるでしょう。人間は愛や憎しみ、貪欲さや寛大さなどの感情を合わせ持つ精神的な生物です。このことを見落とした倫理的な制度は、失敗する運命にあります。

 社会の根底に流れる哲学的な考え方の一つとして、発展を押し進めるという考え方があります。発展を押し進める理由として最もよく引用されるものは、医療や健康の向上を求めることは、よいことをすることであるというものです。この「よいことをする」という考え方を、善行の原理と呼びます。また、善行の原理では、 よいことをしようとしたけれど、うまくいかなかったとき、それは、害を与えることと同じだと考えます。つまり、なすべきことをきちんとやらなかった罪があると考えるのです。この善行の原理の考え方は、健康や農業、生活の水準を上げるこれからの研究に対して、大きなはずみとなるでしょう。

 しかし、自然や医学への介入の結果がどうなるかは、いつも明らかであるわけではありません。この不確定さが、失敗の危険性あるいは成功の可能性だということができるでしょう。影響がわからないということは、新しい技術を使うことや私たちの行動について、注意を必要とします。そして、このような注意深い行動により、私たちは害をなす行動を避けていくのです。

                      3. 動物への義務           

 これまで述べてきたいくつかの規範は、主に人間と人間の関係について触れたものですが、私たちの生活の中で、私たちは動物や環境との関係も築いています。私たちは、動物や環境との関係において、人間中心の倫理だけではなく、他の倫理的な要因も考えなければならないでしょう。

 哲学者たちは、動物と植物の最も一般的な道徳上の違いは、痛みを感じることができるかどうかだと言うかもしれません。実際、動物を実験に使ってもよいかという判断をするために用いる重要な基準は、苦痛を与えないようにするということです。(動物の使用の項に、この件についての他の考え方が載っています。)動物の自主性については、例えば、「動物は考えることができるのか?」といった議論があります。人間には特別な道徳的意志があるいう考え方は、人々に受け入れられており、そしてこのことが自主性という考え方の基本となっています。動物もまた、道徳的な判断をすることができるのでしょうか?

 動物の権利のような例は、価値という概念について考えを深めさせてくれます。ここで、もう一度、生命倫理は、生物学的なデータと価値の両方について考えていくということを思い出して下さい。人々は数千年の間、チンパンジーの心は人間の心と違うのか議論してきました。そして、このような問いは多くの宗教の中に見ることができますが、実際きちんと答えられたことはありません。これは神様、あるいは生命を生み出した何か不思議な力だけが答えることのできる問いであり、人間には答えることができません。また、このような問いは、生命倫理におけるその他多くの大切な問い、命の価値、愛の価値、存在の意義などと同じように、科学的ではない問いです。科学的な問いとは、実験によりその誤りを立証することができるものですが、立証できない問いもたくさんあります。例えば、ヒトとチンパンジーと花のDNAがどのくらい似ているのかという問いは、科学的な問いといえるでしょう。一方、ヒトとチンパンジーと花のDNAが「なぜ」違うのかという問いは、価値に関する問いということができるでしょう。

 ヒトやチンパンジーの心の違いなど、心理学的、進化的な問いに対して今日、より科学的な評価も試みられています。ここ1〜2年の間に、少なくとも10年以内にはきっと、私たちは、私たちの生命に関わるすべての人間の遺伝子の解読表を手にいれるでしょう。この中には、私たちの行動決定に関係していると思われる遺伝子が75%以上含まれます。行動は、遺伝子と環境の両方から影響を受けます。他の動物との遺伝的な類似点と相違点を比較することは、いろいろな意味を持つと思われます。そして、私たちの考え方を変え、生物学の発展を手助けすることとなるでしょう。すべての動物には行動様式があり、より複雑な行動様式をもつものは、いわゆる高等な動物です。私たちの、利己的な行動と利他(与えること)的な行動の起源は、私たちがどう振る舞うかという基本です。(ヒトの遺伝病の項、参照)

                       4. 管理責任            

 自然そのものに「権利」があろうとなかろうと、私たちには確かに、自然に対して多くの義務があります。私たちは、ただ人間の欲望を満たすためだけに、自然に手を加えるべきではありません。人間だけでなく他の生物をも愛することは、管理責任の概念だとみなすことができるでしょう。管理責任の概念は昔は忘れられがちでしたが、ユダヤ教とキリスト教の創造に関する教えを中心に、多くの宗教の中で長い歴史があります。たいていの場合、人々は、地球には少しの価値もないと思わせるような扱い方をし、私たちの義務を無視し、地球に対する人間の支配を考えがちです。しかしながら、このような考え方がどのような問題を引き起こしたかということはすでに明らかです。どこにでも見られる多くの汚染問題、この汚染は人間に、そして他の種に影響を与えます。

 生命倫理において生物の多様性の価値は、特別な注目に値するものです。すべての生物が相互に関係し合っているということは明らかです。すべての生物は水を必要とし、すべての生物は同じ遺伝暗号を持ち、同じような遺伝子をわけあっているのです。少なくとも大ざっぱに見ると、すべての生物は、束の間の生を受け、生き、そして死ぬのです。この相互関係は、「みんな生きている」という考えによって表されます。私たちは生物の多様性がもたらす、人間にとっての利益について論じることができますが、生物の多様性を維持すること自体に、倫理的な価値はあるのでしょうか?

                       5. 対立する規範どうしのバランスをとること            

 ひとりの人の自主性を守ることと、すべての人の自主性を守る公正の原理との間で、私たちはどのようにバランスをとっていけばよいのでしょうか。功利主義(最大多数の最大幸福、できるだけ多くの人にできるだけ大きな幸せを)は、いつでもこの「バランスの取り方」の手がかりとはなり得ますが、それぞれ異なる興味や好みに応じて価値を与えることは、非常に難しいことです。人々のそれぞれ異なる興味は対立を生み、それゆえプライバシーや守秘の保護といった例外が設けられているのです。医学や環境における技術は、利益と危険性の両方が関係しており、そしてこれからもずっと双方が関係していくので、これらの技術の使用は非常に難しいのです。人間は倫理的な決定を下すことを求められており、避けて通ることはできません。様々な技術から期待できる利益は大きなものですが、多くの危険性をもはらんでいます。様々な技術の使用に対して、何も反応を示さないことも、その危険性の一つだといえるでしょう。

 さらに、「すべり坂理論」という考え方もあります。時として私たちは、何かしようとして、それとは別のことをしてしまうことがあります。この「すべり坂理論」という表現は、一度道を誤ってしまえばもう二度と戻れない、そして初めの段階では充分に働いていた制御装置は圧力の増加にともなって、働くことができないだろうという坂道を心に思い起こさせます。何かを適用する際に、私たちは直接に害を与えなくても、それを超えれば害を与えるだろうという線に向かって、基準をどんどん下げるという結果に終わってしまうのです。一線を引くことができないということは、その問題が重要でないということではありません。むしろ、生命倫理や生命における最も基本的な問いのいくつかは、このような特色を兼ね備えています。

 人々は、それぞれに目的を持ち、様々な価値を持っています。この多様性は人間であるということの一つの証です。すべての人が同時に、同じように、同じ価値のバランスを取ることは決してありません。個々の人間の姿勢や性格のあらゆる多様性が、どの社会の中にも現われているということは、調査や経験から明らかです。例えば、中絶はいけないことだ、あるいは中絶は女性の権利であるといった意見を、あらゆる社会の中で、同じような比率でみることができます。人間の考え方の一つの失敗は、一般性を見つけ出そうとはせず、自分たちの社会は他の社会とは違うのだと思うところにあります。このような考え方は、しばしば差別意識と結びついています。

 生命倫理において前提とされていることの一つは、すべての人間は等しい権利を持つというものです。守らなければならない、そして認めなければならないユニバーサルな人権というものがあるのです。宗教とは関係のない哲学、あるいは宗教の立場から、人権の基礎を論じることもできます。このことは、誰でもこの世界にとって同じように有益だという意味ではありません。人権の考え方は、その人がどのくらい役に立つ人間かといった考え方とは別のところにあるべきものです。

 学者の間では、科学的な成果をよりどころとする世界観が一般的ですが、その他のほとんどの人々は、人生の指針の基礎として、科学よりも宗教に重要性を見い出しています。特に、倫理における問題については、ほとんどの人が科学よりも宗教を重んじています。世界中の人々に適用されるであろう生命倫理の理論は、どれも、主な宗教的思想に流れる一般的な考え方に受け入れられなければならず、また、様々な相違点について寛容でなければなりません。

 今まで見てきた規範や問題すべてについて、私たちはバランスを取らなければならず、多くの人々はすでにそのバランスを取ろうと試みています。バランスの取り方には、ある2つの文化の間でよりも、ある一つの文化の中でより多くの違いがみられます。おそらく、成熟した人間、成熟した社会とは、これらの生命倫理の原理についてバランスを取るための、社会的な、そして行動的な方法を発展させ、そのような方法を技術が生み出す新しい状況に適用する人や社会をさすのでしょう。

 持続可能な将来を得るために、私たちは生命倫理の成熟化を図らなければなりません。社会の生命倫理上の成熟とは、生物学的、医学的技術の適用における利益と危険性のバランスを取る能力だということができるでしょう。また、ひとりひとりのインフォームドチョイス(説明による選択)を保証するという、社会の義務を尊重しながら、人々の声を政策に組み込んで行くという点でも、ある社会の、生命倫理についての成熟度が反映されます。技術の誤用の可能性を少なくするためにも私たちは常に、問題点や危険性を認識し、話し合うべきです。自主性や公正といった生命倫理におけるその他の重要な規範は、守られるべきであり、利益と危険性のバランスを取る際に考慮されるべきです。

 次に、生命倫理における問題の2つの例、臓器移植と安楽死について述べます。この2つの例は、生命倫理についてさらに説明を与えるものです。別の用紙には、動物使用の倫理的制限、生殖技術、遺伝子工学、遺伝病、ヒトゲノム計画、遺伝子スクリーニング、遺伝子治療といった、他の問題についてさらに詳しい議論が述べられています。


                     

6. 臓器移植の問題

   マスコミの注目を集めている現代医学の技術の一つは、病気を治すために人から人へ臓器を移植するものです。「交換」の最も一般的な例は輸血で、たくさんの手術、事故の緊急事態で行われています。エホバの証人のような少数の人々は、輸血を拒否しますが、このような人々の輸血拒否という選択は、たいていの場合、自主性の原理を用いることによって尊重されます。しかし、時には、赤ちゃんの命を守るために両親の選択が却下されることもあるでしょう。骨髄移植はより新しい技術であり、白血病やいくつかの免疫系の病気の治療のために使われます。人間を作る可能性をもつ精子や卵子の提供の問題は特別です。この件については、生殖技術の項で論じます。

この難しい問題に対する基本的な選択肢は、
*くじを使うこと
*順番待ちのリストを作ること
*年齢を考慮すること
*生命と生活の質という点でその人が得るであろう利益を考慮すること
*その人が社会に対して与えることのできる利益を考慮すること
*その人の、他の人々に対する責任を考慮すること
などが挙げられます。

 臓器移植と聞いて、人々は普通、腎臓や心臓、肺、肝臓、膵臓、腸といった固体状の器官の移植を思い浮かべるでしょう。腎臓については、私たちには2つの腎臓があり、ドナー(提供者)から1つを取り出してレシピエント(患者)に移すことができ、そして、ドナーは残った腎臓の働きが悪くなる危険性がほとんどなく生きていけるという点で、特別です。新しい腎臓をもらったレシピエントは、長期間の生存率について確かな成功を示しています。(例えば、90%の人が5年以上生きています。)生きているドナーからの臓器提供が一般的ですが、死体からの提供もあります。しかし、死んでから移植のために臓器を提供する人々はほんの少数ですから、臓器は依然、不足しています。

 このような議論において、ある人は、その人の、他の人々に対する責任を考慮すること、あるいは、順番待ちのリストを作ることが最も好ましいことだと考えています。5人の子供を持つ母親や父親は、たいていの場合、一人身の人よりも責任があるといわれます。母親や父親の死は直接、よりたくさんの扶養家族に影響を与えるでしょうから、害を最小限に抑えるやり方が選ばれるのです。この意思決定の方法に対して、すべての人は等しい権利を持つという反論があり、この意見に従うならば、5人の子供を持つ母親や父親も一人身の人も、順番待ちのリストに従うべきです。

 この他に、この問いに関連した問題点としては、臓器移植を受ける機会とお金を払う能力の板ばさみという問題があります。移植を行う病院側の経済的問題のために、オーストラリアとニュージーランドのいくつかの病院では、お金を払えば患者が心臓移植を受けられるようにしました。これにより、心臓移植の手術を行う施設は援助を得ることとなり、お金を払えない(少なくとも全額を払うことのできない)ほとんどの患者に公共の保健制度のもとで、共通のサービスを提供することができるようになりました。特別の助成金がないということは、場合によっては、その手術全体が打ち切られてしまうことを意味します。  

 将来的には人工臓器を期待できますが、ここ10年から20年の間は、ほとんどの臓器は生物体からのものでなければならないでしょう。他の臓器源としては、動物が挙げられますが、たいてい、人間の臓器を使った場合よりも免疫拒絶反応が多く起こります。将来の臓器源として、人間の臓器を持ったブタが遺伝子工学を用いて作られています。動物を、臓器提供者として用いることと、食のために用いることには、違いがあるのでしょうか?

 臓器移植を受ける機会とお金を払う能力の板ばさみという問題は、発展途上国の貧しい人々を不当に利用する可能性を秘めています。しかし、私たちはどのようなサービスも売ることができるといった意見もあります。現在の医学では、肝臓の一部だけを移植することも可能です。肝臓はその後、再生するのです。しかし、この方法はまだ、日常化しているとはいえません。心臓移植はもっと広く行われており、通常、よい結果が得られます。

 現在の臓器源は、死体です。オーストラリアやニュージーランドには、ドナーカード(提供者カード)のシステムがあり、また、運転免許証には臓器提供を希望するかそうでないかが、はっきりと書かれています。臓器を提供することを選び、死んだときにそうすることを、「関わることを決めるシステム」と呼んでいます。ほとんどのヨーロッパの国々では、「関わらないことを決めるシステム」、あるいは、特に申し出がない場合は同意を仮定するシステムがとられています。これは、もしもあなたが臓器を提供したくないのなら、そのことを言わなければならないというものです。このシステムは、多くの人は意思決定に関して無関心であるということをふまえての、より多くの臓器を得るための試みです。

To News on Organ Transplants


7. 生命や生活の質と安楽死

   ほとんどの人にとって、生命や生活の質はいのちの長さよりも大切です。もしも、生命や生活の質がひどいものならば、生きていることにはあまり価値がありません。このような意見に関しては、多くの人の同意を得ることができます。安楽死の問題が議論を呼んでいますが、安楽死の文字本来の意味は「よい死」というものです。私たちは自らの命を絶つ権利を持つべきかどうか、そして、いつ自らの命を絶つべきなのかという問題は、私たちの価値観を問う意思決定の問題です。もしも、あなたが、神様の存在を信じるならば、私たちの命は神様のものだと思うでしょう。たとえ、あなたが神様の存在を信じなくても、自然死をよいと思うのではないでしょうか。

 安楽死には、基本的に2つの種類があります。消極的安楽死と積極的安楽死です。積極的安楽死とは、医師の援助のもと、あるいは医師の援助なしに、薬や自殺などの積極的な方法をとることを意味します。オランダの法律では、同意を確実に得るという制限された状況のもとで、安楽死が望まれれば、積極的安楽死を認めています。1992年のオランダにおける全死亡数の約2%が、この積極的安楽死によるものです。 

 消極的安楽死では、過度の医療処置を行うことをやめます。過度の医療処置と通常の医療処置の区別に関する初期の声明の一つは、ピウス7世教皇によるものでした(1957年)。

 他にも病院で手当を受けることを必要としている人が大勢いる中で、回復の望みがほとんどない人に対して集中医療を続けることを、あなたはどう思いますか?集中治療をやめることは、公正の原理とも関連しています。公正の原理について考えるということは、限りある医療資源を分配するという点を考慮した上で、生命や生活の質を考えるということです。実際、もしも公正の原理について考えないとしたら、私たちは他の人のいのちを無視することになります。限りのある医療予算のもとでは、私たちは難しい選択をしなければなりません。臓器だけが限りのあるものなのではなく、ほとんどのサービスやお金には限りがあるのですから。

 生命と生活の質はそれぞれの人によって決まり、そしてその考え方は時間や状況によって変化します。人には、それぞれ願いや望みがあります。そして、与えられた状況により、人間的に成長していく能力は大切です。最近、リビングウィルが紹介されています。これは、生命と生活の質がとてもひどく、望みがなくなる状況になる前に、あらかじめ選択をしておくというものです。リビングウィルはまた、家族が患者本人のために行う意思決定の重荷を減らします。さらに、集中治療を自発的にやめる際に、法的にもリビングウィルが必要とされるでしょう。いのちの質はさておき、ただやみくもにいのちの長さを延ばすことは、患者の一番の望みではないでしょうから、すべての代償を払って、いのちを維持する必要はないのです。

To News on Euthanasia


                           

生命倫理 <質問用紙>  

                

Q1 あなた自身が毎日直面している、倫理的な問題のリストを作ってみましょう。将来、今よりもたくさんの 倫理的な問題を抱えると思いますか?なぜ、そのように思いますか? 

Q2 安くて利用価値が高いけれども空気を汚してしまう、石油の場合のように、経済的な利益と環境における 利益の矛盾について考えてみましょう。エネルギーを節約できる方法を、本文中の例以外に、何か提案で きますか?

Q3 どのようにしたら、他の人の自主性をもっと尊重することができますか? 個人的な選択の限界とは、ど こにあるのでしょうか? 自分自身の身の周りを見渡して、考えてみてください。また、どのような要素 を考慮して、このようなことを考えていったら良いのでしょうか?

Q4 「倫理的に公正」であることと、「法的に公正」であることの違いについて、何か、例を挙げて考えて みましょう。

Q5 もし、ウサギの遺伝子が人間の遺伝子と、たった100個しか違わないとしたら、あなたのウサギに対す る考え方は変わりますか? 行動はどれくらい、遺伝的に影響を受けていると思いますか? このことに ついて、どのように研究したらよいでしょうか?

Q6 生物の多様性には、どのような利点があるのでしょうか?あなたの学校の周りで、どこが一番、生物の多 様性に富んでいますか?

Q7 今まで見たことのある差別の例を挙げてみましょう。その差別の原因は何だと思いますか?その差別を減 らすために、私たちはどのようなことができるでしょうか?

Q8 人々が腎臓を売ることができるようにするべきでしょうか?先進国と発展途上国の間での腎臓売買につい ては、どう思いますか?

Q9 日本の国民皆保険制度など、公共資金の健康保険制度では、死んだときの臓器提供のために、「関わるこ とを決めるシステム」と「関わらないことを決めるシステム」のどちらであるべきでしょうか?

Q10 直接的に死を招く行動すること(例えば、呼吸機器からプラグを抜くこと)と、間接的に死を招く行動を しないこと(例えば、終末期の患者に対し、肺炎と戦うための抗生物質を使うことをやめること)の間に 違いはありますか?このような問題について、倫理的な意思決定をするために考えていくべき要因には、 どのようなものがありますか?


動物使用の倫理的限界

                      1. 動物の権利とは            

  動物の権利とは、動物がある種の権利を持っているということを意味します。そして、人間は動物に対して、それ相当の義務を持つということも意味します。動物に対して何らかの義務がある、ということでは意見が一致しても、どの程度の、そしてどのような義務があるのかということになると意見は大きく分かれます。動物の扱い方には、誰にでも一応の限界があります。ここでは、動物の権利や人間の義務にまつわる問題について考えていきたいと思います。肉や卵、牛乳を食べたり飲んだりするときや、ペットを飼うとき、動物を利用した製品を使うときなど、私たちは、このような問題に、毎日出くわしています。

 誰かの人生観に同意はしなくても、その人を理解しようと努めるのは、他の人を尊重するという義務の一つかもしれません。ほとんどの人は、動物と植物は何か少し違うと思っています。すべての人は、地球という惑星上に住んでいる何百万という種の一つである、ホモサピエンスという種に属しています。そもそも、人間とは、他の生物とは異なった特別ないのちの形をしているのでしょうか?また、人間と他の種を比べ、どこに違いがあるのかということも考えてみなければなりません。

                      2. 動物の扱い方を決定する要因             

 もしも私たちが、害を与えないという生命倫理の規範から離れて生命を傷つけようとするならば、十分な動機があるからに違いありません。その動機とは、生き残るためかもしれません。すべての生物は競い合っているのですから、これは当然なことといえます。植物は成長のスペース確保のためにお互い競い合い、動物は植物や他の動物を食べ、バクテリアやカビも、資源とスペースを得るために、競い合っているのです-時には他の生物を殺しながら、そして、時には直接殺すことはないにしても。

 人間による自然と生命の破壊は、必要性と欲望という、人間の持つ二つの動機によって引き起こされます。基本的には、同じ害を与えるにしても、欲望からだけのときよりも生き残るために必要なときのほうが、倫理的に受け入れられやすいといえます。この違いを認識することは、人間の欲望が地球を支配しつづける限り、ますます必要となってくるでしょう。

 動物をどのように扱うのかということを決めるときに、動機という基準以上に使われるもう一つの重要な基準は、苦痛を与えないようにすることです。動物と植物を比べたとき、最も一般的に道徳上著しく異なる点は、痛みを感じる能力であると哲学者たちは言うかもしれません。痛みとは、外部環境を感知する感覚機能だけを指すわけではありません。植物は、痛みに反応してイオンによる電位シグナルを送りますが、これは、動物神経の活動電位に似ています。植物の電位シグナルと動物神経の活動電位の違いは、それぞれのシグナルが痛みを認知するようになる過程にあります。痛みと「苦しみ」を区別する人もいますが、どちらの概念も、害を与えないという規範からは外れています。苦しみとは、一定の強さの痛みが長引いたものと定義することができます。また、痛みを感じることができない生物は、苦しむことはないといえます。苦しんだり楽しんだりできるということは、何かに興味を持つために欠くことのできないことと考えられてきました。

 痛みの判断は主観的ですが、動物と人間の反応の仕方は同じです。高等動物と人間に見られる多くの神経伝達物質は、似かよっています。人間の大脳皮質の前頭葉は、不安や危惧といった感覚、さらには、痛みを生み出す様々な要因に苦しむといった感覚に関係していると考えられています。それゆえ、動物が、異なった質の「痛み」を持つということもありえます。大脳皮質の前頭葉は動物ではずっと小さく、また、もし人間のこの部分に外科的処置をすると、痛みを感じさせなくすることができます。痛みの受け取り方には、機械的刺激に反応するもの、有害または刺激性の化学物質に対するもの、そして非常に寒かったり熱かったりすることに対して反応するものなど、様々なものがあります。シグナルはただのシグナルでしかありません。一方、痛みとは、神経回路でシグナルを受け、そのシグナルを変化させた後のものです。これが、(動物のような電気的刺激を含む)植物の反応と動物の反応の違いです。

 私たちは、様々な倫理的要因を、生物が生物であるがゆえに生じる本質的な倫理的要因と、生物とその周囲の関係から生じる付帯的な倫理的要因とに分けて考えることができます。ここで、動物をどのように扱うのかということを判断するための要因を、いくつかあげてみます。

本質的な倫理的要因
*痛み
*自己認識
*将来について計画を立てる能力
*生存の価値

 付帯的な倫理的要因
*人間にとっての必要性/人間の欲望
*動物の苦しみに対する人間の思いやり
*人間の持つ残虐さ
*他の動物の動揺(例 家族性の哺乳動物)
*動物の宗教的地位
*自然であるとはどういうことか

実際的なレベルでは、動物の扱い方について一番最初に考えるべき重要な原理は、痛みの感覚です。二番目に重要な原理は、自主性の考え方によりますが、(イルカなどもおそらくそうでしょうが)類人猿のように、動物が自己認識をしているかどうかということです。私たちは、どの動物がどれくらい自己認識しているのかという研究結果も、考え合わせていかなければなりません。高等動物は自己を認識しているという考え方を支持する研究結果が増えてきていますが、このような研究は、今後、遺伝学や行動学によって促進されるでしょう。

                       3. 実際の生活の中では            

 動物を食べないという価値観を選択をして、菜食主義者になる人がいます。エネルギーは、植物から動物ヘと移行するときに消耗されるのですから、これも何か環境に対してプラスになっているのかもしれません。しかし、これに対し、動物を食べることは、自然の摂理にかなっていて全く自然なことであり、私たちは、ただ、動物に対する害を最小限にとどめるだけでよいと言う人もいます。多くの人は動物を食べ続けるでしょう。そして、実践的な倫理学は、すべての動物に対して倫理的な取り扱いをしなければなりません。

 動物の使用と特に関係のある分野の一つに、動物は野外にいるべきか、おりの中か、それとも工場の飼育場かという議論があります。狭いおりの中で、食肉用の子牛や豚、鶏などを監禁することは、この種の議論の主な倫理的焦点になっています。スイスで、1992年から鶏舎の使用を禁じているように、鶏舎の鶏を使うことを禁じた国もいくつかあります。私たちは、動物にとってよりよい環境のために、どのくらいお金を払う気があるのかということを決めなければなりません。例えば、動物のからだ一つがやっと入る程度の狭いおりを使った家畜の飼育をやめる費用や、動物に対してウシ成長ホルモンを使って安い牛乳や肉を生産するなどの、動物に対する新しい処置法を使わない場合の費用なども考えなければなりません。さらに、このような決定のもとに行われた農業、家畜業が、それぞれの社会に与える影響についても考えてみる必要があります。それぞれの社会が受ける影響には、いろいろな要因が含まれると思いますが、このことについては、後で論じたいと思います。

 生命を理解することによって、私たちは生命の大切さをより認識することができます。動物園の中に動物を閉じ込めておいてもよいかという問いかけもあります。動物園や野生動物園は、絶滅の危機に瀕している動物の保護や、保護運動に一般の人からの支持を得るという点では価値があります。しかし、実際のところ、このようなことを現実的に行っている動物園は、世界中にあまり多くはありません。あなたは、動物園をどのように評価しますか。あなたの住んでいるあたりには、野生動物公園がありますか? 私たちは、動物園で飼うために、動物を捕まえるべきでしょうか? どういった条件のもとでなら、動物を捕まえることが倫理的であるといえるのでしょうか?

 動物実験の問題は、今まで見てきた問題よりも、もっと多くの議論を呼んでいます。このことは、ある意味では、少し皮肉です。なぜなら、ほとんどの人は動物を食べますが、これは必要性よりも欲望に基づいた選択であり、人間の病気や治療のモデルとしての動物実験のいくつかは、欲望というよりも必要性に基づいているからです。過去10年間に行われた動物実験の数は減ってきています。また、今後、動物実験に代わる、より倫理的な方法が開発されていくことが期待できるでしょう。動物実験に代わる方法を選ぶ上基準としても、費用と効率が、少なからず考慮されています。

 動物が実験で使われるべきかそうでないかを判断するために、ガイドラインで考慮されている点には次のようなものがあります。
  *実験の目的
  *目標達成の現実性
  *動物の種
  *予想される痛み
  *不快や苦痛の持続
  *実験の持続(寿命の長さという点から見て)
  *動物の個体数
  *動物の世話の質
  *実験に代わる方法

 1993年に、オーストラリア、ニュージーランド、日本で実施された生命倫理の問題に関する調査の中では、動物実験は必要か必要でないかで、意見が賛否両論に分かれました。高校で生物を教えるためには動物実験が必要かどうかという問いに、どちらかの側に立って強い姿勢を示した先生もいました。野外や授業の中での観察、解剖など、実験には多くの種類がありますが、調査の中では、脊椎動物が痛みを伴って死にいたるような実験もいくつか報告されました。私たちが、今、ここで動物実験について論じている目的は、動物実験に反対か、賛成か、どちらか一方の立場に立つためではありません。どういった種類の実験が必要なのか、そして、その実験から、どの程度のこと学ぶことができるのかということを考えなければなりません。

 1993年に、チンパンジーとゴリラ、オランウータンに人間と同じ権利を主張する本が出版されました。この本では、人間だけを頂点に置くのではなく、これら四種の高等霊長類は、科学的、遺伝学的、心理学的に似かよっているのだから、同じグループに属すべきである。それゆえ、私たちは、人間に対してだけでなく、ほかの三種の高等霊長類に対しても同じように倫理的義務をもつということが主張されています。

                      4. 片寄ることなくバランスをとること         

 実際には、この教材を読んでいるあなた方のうち誰も、人生の中で、チンパンジーの実験に関わることはなさそうです。しかし、ハエを殺し、魚を食べ、ステーキを焼き、動物実験で開発された製品や薬品を使ったりすることは十分ありそうなことです。私はこんなことはしないと思っていても、動物を使った製品の輸

出によって支えられているお金が、あなたの教育のために使われているとなると、これは極めてありそうなことです。生物学を学ぶ時、どのように動物が生活しているかを理解したいと思うでしょうし、生きている動物で、あるいはビデオで、また本の中で、動物実験を見る必要もあるでしょう。それぞれの学び方から受ける印象は異なります。

 私たちの生命倫理は、道理や哲学、生物学的知識を含むすべての情報を基礎としなければなりません。絶対的であることは時として困難ですが、バランスのとれた選択をすることは、倫理的に大切なことです。もしも可能ならば、動物実験に下等動物、細胞、コンピューターモデルを使おうとすることは、倫理的にかなったことですが、テストのある段階では、動物と人間の両方を使った試みが必要となります。

 おそらく、私たちが、まず何よりも学ばなければならないことは、人生とは、それほど簡単ではないということでしょう。そして、生命倫理についても同じことが言えます。生命倫理も、それほど簡単なものではないのです。倫理的な決定をするということは、可能な範囲でバランスを取ること、つまり、利益と害を与える危険性とのバランスを取るということを意味します。倫理的に意思決定をする一つの方法は、賛否両方の意見に含まれる要因について考え、決定を下すことです。それぞれの人が、少しずつ違った方法で違った決定を下すことでしょう。おそらく、動物の権利に関する最終的な問題は、私たち人間自身の権利に関するものだと思われます。例えば、私たちには、これほど動物を食べる権利があるのでしょうか?私たち人間は、それぞれ異なった選択をするために、どのくらいの権利を持つのかということを考えていかなければならないようです。


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動物使用の倫理的限界 <質問用紙>  

           

Q1 なぜ生物に害を与えてはいけないのでしょうか?なぜ庭の植物を引き抜いてはいけないと思うのでしょう か?雑草とは何ですか?

Q2 痛いということは、いつも悪いことですか?痛みを引き起こすことは悪いことでしょうか?どんな人も同 じ痛みを感じるのでしょうか?

Q3 実験で解剖をしたことがありますか?そのときの動物の扱い方について考えてみましょう。まず、動物に 痛みを与えることなど、生物が生物であるがゆえに生じる本質的な倫理的要因を挙げてみましょう。また、 あなたたちにとっての、その実験の必要性など、生物とその周囲の関係から生じる付帯的な倫理的要因を 挙げてみましょう。

Q4 動物実験を必ず必要とする医学の進歩の例を挙げてみましょう。

Q5 授業で行った動物実験で得たものは何か、何を学んだかについて話し合ってみましょう。その実験によっ て、動物に対する態度は変わりましたか?事故死した動物を使うことと、特に実験のために育てられ、殺 された動物を使うことでは何が違うのでしょうか?

Q6 The Great Ape Project (4種の高等動物は同じ権利を持つという主張)についてどう思いますか?あな たが、他の霊長類に対してよりも人間に対して、もっと義務があると思う理由は何ですか?イルカやクジ ラについてはどうでしょうか? 


生殖技術

                      1. 不妊症治療             

 子供を持つことのできない夫婦はたくさんいます。そのような夫婦が、1年間ごく自然に子供を作るよう試みて、それでも子供が持てない場合、この夫婦は不妊症であるといいます。おおよそ、10%ぐらいの夫婦が不妊症です。遺伝的につながっている家族を持つことを望み、けれども自分たち自身ではこの望みをかなえられない夫婦のいらだちに、私たちは理解を示すべきです。私たちの社会においては、夫婦に子供を持たせようとする圧力があり、養子となる子供の数も少ないといえます。最近では、子供を作らないという選択をする人も多く、子供を持つ時期を遅くすることを選ぶ人もいますが、大部分の人は子供を持つという自然な願望を抱いています。

 世界で初めて体外受精によって赤ちゃんが生まれた(イギリス)1978年以来、人間の生殖に関するマスコミの注目は体外受精に集まっています。この技術は、不妊症の夫婦に何万人もの子供の誕生をもたらしています。排卵の誘発、外科手術、そして不妊症治療の85%以上に用いられているであろう人工授精など、不妊症を克服するには様々な方法があります。体外受精や体外受精に関連した技術によって、不妊症の10%から15%が、治療されていると思われます。不妊症治療を始めても、およそ、半数の不妊症の夫婦しか妊娠できませんが、これはお金をすべて使い果たしてしまい、これ以上治療を続けることができないためでもあります。

 結婚したカップルだけを配偶子源として扱った最も古い方法は人工授精であり、この方法では夫の精液が妻の体内に入れられます。最も古いものとしては1790年の記録があります。

 体外受精の技術においては、いくつか主な段階があります。女性は初め、卵胞成長の刺激治療を受けますが、その後、卵母細胞あるいは卵細胞が吸引によって取り出され、集められます。卵母細胞は通常、卵巣内の卵胞から、腹腔鏡検査と呼ばれる技術によって吸引され、集められます。卵子を受精させるために、男性の精液はこの卵母細胞と組み合わせられます。患者の卵子を受精させるこの段階においては、89%という高い成功率が期待されます。これらの胚は着床される前に、多細胞期まで分裂させられます。そして、着床には、たいてい3つの胚が選ばれます。残りの胚は子供を作るまた別の機会のために冷凍保存されます。赤ちゃんを手に入れる成功率は病院によりまちまちですが、だいたい、一回の着床につき15%ぐらいでしょう。何も技術を用いない、通常の自然着床の場合、30〜40%です。

 体外受精に変わる最近の方法としては、ギフト法(配偶子卵管内移植)があります。この方法においては、母親は排卵を刺激するためのホルモン治療を受け、いくつもの卵子を作り出します。これらの卵子のうちのいくつかは、濃縮された精子とともに母親の卵管内におかれます。受精は通常、体内で起こります。成功率は少なくとも、体外受精と同じくらいです。

 妊娠可能な人でも、不妊症治療が必要になることがあるかもしれません。例えば、放射線治療を行っている人々、特に女性は、放射線治療後のために卵子を保存することを望むかもしれません。化学療法のなかにも、卵子に突然変異を引き起こす可能性のあるものがあります。

                   2. 体外受精における倫理的問題点            

 もし、すべての胚が体外受精に使われなければ、使われなかった胚は捨てられてしまうのでしょうか?ここで、胚の道徳的な立場について考えてみましょう。予備の胚は冷凍保存可能であり、胚を別の体外受精の機会に使用することができます。そして、予備胚の冷凍保存は、いくつかの病院では日常化しています。多胎児妊娠の危険性を減らすために、通常、一回の試みに対して3つの胚だけが使われます。冷凍保存は胚を無駄にしなくてもすみ、しかも胚の生存率は卵母細胞の生存率よりも高いのです。また、この方法では、毎回の試みの度に、母親から卵母細胞を取り出す必要がなくなります。冷凍保存した胚の、子供に対する危険性は見つかっていません。夫婦が子供を得ることに成功した後、(使われなかった精子と卵母細胞の処理と同じように)、冷凍保存された胚の処理について、倫理的、法的に重要な問題がいくつか浮かび上がります。冷凍保存された胚は、その夫婦本人によって、将来、別の機会のために用いられるかもしれませんし、別の夫婦に提供されるかもしれませんし、捨てられるかもしれません。あるいは、捨てられる前に研究のために使われるかもしれません。次に挙げるものは、体外受精についての論議に見られる様々な意見です。 

体外受精に賛成するもの
*家族を作るという「人間の権利」の尊重
*人間の命を作る手助けをするという愛のもとに行われている

体外受精に反対するもの
*自然でない
  *生きていくために必要不可欠ではない望みをかなえている
  *子供を消費物質として見ている
  *社会を変えてしまう
  *この世の中には子供は多すぎるくらいいるのだから、もういらない
  *お金がかかりすぎる(いくらかかるか知っていますか?)
  *胚を使う実験のいくつかは、実験の成功率を高め、将来の優生学へつながる可能性を 秘めている
 
 フェミニストからの体外受精に対する反対運動があります。フェミニストたちは、次のように考えています。
*(女性は子供を産む道具であるとする固定概念とともに)女性は生物学的な親でなければならないとい  う社会的な姿勢が、体外受精によりますます強くなる 
*体外受精により、女性を利己的に利用する機会が増やされる危険性がある 
*男女産み分けのような可能性が増える(男女産み分けはたいてい、男尊女卑の考え方に基づいている)
*配偶子や胚、女性を市場に出すことは、これらを商品とみなすことである 
*この技術自体が実験的性格を持つものだ 

このような意見には、これまでに私たちが見てきた議論もいくつか含まれています。

 原則的には、体外受精や人工授精は、結婚しているパートナーの精液と卵子を使い、このような人たちの不妊症の治療を助ける手段として、ほとんどの人に受け入れられています。しかしながら、体外受精は必要を超えた願いであるとみなされ、限りある予算は、他の医療やより切羽詰まった救命医療へ与えるべきだと考えられているために、多くの国で、体外受精は公共の資金では行われていません。

 近い将来、親になるであろう人は、子供を持つことがふさわしいかどうかを事前に調べるべきかという、興味深い問題があります。独身の人や同性愛のカップルに子供をもうけることを援助することは、ほとんどの国では、明らかに子供を育てるにはよくない状況を作り出してしまうことになるかもしれません。しかし、今日産まれる4分の1あるいはそれ以上の赤ちゃんは、結婚というかたち以外のところで産まれ、離婚率も非常に高いことを、忘れてはなりません。

                      3. 精子と卵子の提供            

 夫婦のうちどちらかが、受精可能な配偶子を作り出すことができない場合が時々あります。また、ある夫婦は不妊症ではありませんが、どちらかが顕著な遺伝的欠陥を保因しており、遺伝病で苦しむ危険性を、子供に与えたくないという場合もあります。もしこのような夫婦が、養子を可能性の一つとして考えず、それでもやはり子供がほしいと思うのなら、提供された精子を用いる非配偶子間人工授精(AID)、あるいは他の人から提供された卵子や精子を使っての体外受精を利用することを考えるでしょう。

                       3-1. 非配偶子間人工授精 (AID)                 

 医学的なAIDの最も古い記録は1884年ですが、今世紀後半になるまで、この技術が使われることはめったにありませんでした。AIDを試みた3ケ月後の、患者一人当りに対する成功率は約40%で、世界中で利用されています。

 多くの人がAIDに反対する理由は、夫婦間への第3者の介入です。しかしながら、どちらかが最初の結婚でできた子供を連れての、2度目の結婚は AID と似たようなものです。フランスでは、AIDにより子供をもうけた夫婦の離婚率は、一般的な場合よりも低い2%で、子供の心理的研究からも、悪い影響はないと報告されています。

                      3-2.代理母                 

 代理母の場合のように、生理的な親と、遺伝的、社会的な両親を分けることは可能です。代理母を用いることに対しては激しい議論があり、多くの国で、また、同じ国でも違う州では、相反する法律があります。誕

生後、社会的にも親となった遺伝的な親と暮らしている子供がすでに、千人以上産まれています(主にアメリカ合衆国)。

 一般的に使われている、夫婦以外からの配偶子は、親戚や友達から提供されたもの、あるいはまったく匿名のものの2つです。誰が遺伝的な父親かということがわかったときに、その子供に対する周囲の人々の接し方が対立する危険性があるため、匿名の提供がより好まれています。スウエーデンでは、養子の子供と同じようにAIDの子供が遺伝的な親を見つけ出すことができます。もしも、両親が子供に、自分たちは遺伝的な親ではないということを話さないとしたら、親子関係は偽りのある関係になってしまうと言う人もいます。

                      3-3.精子と卵子の提供、代理母に対する規制             

 体外受精には技術的な援助が必要なので、規制を設けることもできます。しかし、精子提供や、代理母を用いる技術は、最終的には、医学的権限による規制を超えています。例えば、ある男性の精子で受精することや、提供された卵子による代理母、遺伝的な父親に引き渡すための子供の取り決めなど、精子の提供や、代理母に関して様々な形をとることが可能です。

 それぞれの国の法律は様々で、このような問題について決定を下す難しさを反映しているといえます。例えば、ドイツでは卵子の提供は違法ですが、精子の提供は違法ではありません。代理母などが闇で行われないよう、緩やかな法律を作り、医学的な助言や援助を、将来の赤ちゃんや母親の利益を守るために役立てる必要があります。しかし、反対に、私たちの社会において、道徳上受け入れられていないものへの医学的援助は、すべきではないと反対する意見もあります。

                      4. 胚の実験とクローニング              

 人間の胚を操作する技術は進歩しています。着床前診断や生体組織片の検査(バイオプシー)では、初期胚(1細胞期から8細胞期の胚)を取り出し、約6時間で遺伝病の有無を調べ、遺伝病を持たない胚が母親に着床されるために選ばれます。1990年から、この技術により子供が産まれています。

 体外受精の先駆者である、ロバート・エドワードは、双子を移植するほうが一人の場合よりも着床の成功率が高いので、人間の一卵性双生児を作ることは体外受精に役立つということを1984年に提唱しています。集めた卵子の中から、たった一つの胚を手にいれることだけが可能な場合、分裂した胚をそれぞれ分離させることで妊娠の可能性を高めることができるでしょう。胚を分離させることは、産まれてくる赤ちゃんに、通常心配される以上の危険性を与えるものではないとい

うことが、動物実験によって示唆されています。1993年には、科学者は、人間の胚の分離とこのようにしてクローンされた双子の成長についての実験を報告しました。あと何年かで、分裂した胚の分離も技術的には可能になるでしょう。ほとんどの哺乳類の胚は、2つから4つの胚に分裂した段階でしか分離できず、それ以後の段階では、細胞は、成熟した個体への成長を始める能力を失ってしまいます。

 糖尿病やパーキンソン氏病の人々に対して、胎児の組織を移植することが効果的かもしれないと言われています。このことから、人々は、中絶した胎児の組織を使ってもよいのかどうかと考えるようになりました。もしも、この治療法が効果的ならば、中絶した胎児の組織を使おうとする要求はとても大きなものとなるでしょう。そして、中絶した胎児の組織を使う規模は、これまで行われてきた限られた数の実験と比べると、とても大きなものとなるでしょう。中絶した胎児の組織は、長年にわたり使われてきました。胎児の組織は、死亡した胎児からのものでなければなりませんが、その点をのぞいては、胎児の組織の利用には、対外受精で余った胚の利用といくつもの共通点があります。中絶から得られた死亡した胎児は、研究のために売られ使われてきました。中絶に反対する人たちは、この胎児の組織を手に入れるという行動にも反対することでしょう。しかし、手に入れた知識から何の利益も生み出せないようにするなど無茶な話だと論議されています。少なくとも、いくらかの研究結果から、研究に使われなければ、ゴミとなった命ともとれるものから、医学的に価値のある知識が引き出されています。

 たとえ、胎児の組織を移植するという治療法が医学的に意味を持つとしても、倫理的な問題が残ります。現在のところ、中絶をしてもよいとされる年齢における中絶の数は、この治療を行うのに十分です。しかし、将来、中絶で得られる胎児の数が不足することもありえます。そのため、例えば、倫理的により受け入れられやすいと思われる神経幹細胞系列など、中絶から得られる胎児とは別の手段を考えていかなければなりません。この種の胎児の利用が、倫理的にも理にかなったものとなるためには、中絶や移植についての意思決定が、それぞれ独立したものでなければなりません。女性が中絶を決意する際に、どのような動機もあってはならないのです。


To News on Assisted Reproductive Technology

生殖技術 <質問用紙> 

                 

Q1 いわゆる「普通の親」とは違った状況の人々に対して、子供をもうけられるような医学的な治療を、援助 するべきだと思いますか?

Q2 自分のルーツを知りたいと思う人は多いことでしょう。提供された卵子や精子によって生まれた子供たち に、自分の生物学的な親を知る権利はあると思いますか?両親は提供書を選ぶときに、どのくらいの特徴 (例えば、人種など)を選択してもよいと思いますか?

Q4 代理母が「誕生後、子供は遺伝的な親にわたす」と契約書に書いた後、子供を手元に置いておきたいと決 めたとしたら、誰が、子供を育てるべきでしょうか?

Q5 商業的な代理母は、道徳的に悪いことでしょうか?子宮の提供は血液の提供と違いますか?

Q6 自然に産まれた一卵性双生児と、人工的にクローンされて産まれた一卵性双生児に違いはあるのでしょう か?

Q7 双子の子供が、胚の冷凍保存の技術を使って、何年かの時間的な間隔をおいて生まれることについて、ど う思いますか?

Q8 人口問題を考えたとき、生殖技術は資源のむだ使いだと思いますか?

Q9 もしも、あなたのおばあさんが、アルツハイマー病を患っているとします。そして、胎児の組織を使うと、 50%の確率で治療が可能だとします。あなたは、あなたのおばあさんが、この方法を試してみることに 賛成しますか?


遺伝子工学


                     1. 遺伝子工学の基礎                

 遺伝子工学において、酵素は非常に重要な役割を担っています。まず、制限酵素でDNAを特定の塩基配列ごとに短く切断します。制限酵素により、DNAを短く切ることができるわけです。そして、DNAリガーゼで目的の断片を、他のDNAに結合させることができます。切断箇所の識別の目印となるヌクレオチドの配列には、ほとんどの場合、切断が生じる特定のヌクレオチド含まれています。これらの酵素を用いることによって

できた新しいDNAの断片は、ベクターと呼ばれるキャリアー(運搬者)に組み込むことができます。ベクター内に挿入されたDNAがベクターと結合するためには、それぞれの接着末端が一致しなければなりません。挿入されたDNAが正しいヌクレオチド配列を持っていなければ、挿入されたDNAがベクターに結合する前に、リンカーと呼ばれる短い合成ヌクレオチド配列が、挿入されたDNAに結合してしまいます。

 遺伝子工学に用いられるベクターは、ほとんどが、普通、細胞内で増殖し、どんなDNAを組み込まれても同じように増殖をするウイルスか(バクテリア細胞内の)プラスミドです。哺乳類の細胞にDNAを組み込むためには、ほとんどの場合、DNAは、その細胞の染色体DNAに取り込まれなければなりません。これは、普通、自分自身を染色体内に挿入する性質を持つウイルスのような、仲介役のベクターを用いることで解決されます。DNAの結合は組換えと呼ばれます。遺伝子を転移させるときにぶつかる自然の障壁を克服する方法さえあれば、この組換えDNAの技術により、地球上の全ての遺伝子資源を利用することができるのです。ある種間で「遺伝子工学」が自然に生じてきたこともわかってきています。DNAは、当初考えられていたよりも、ずっと流動的であるといえます。

 他にも、直接、DNAを染色体内に組み込む方法があります。直接、DNAを染色体内に組み込むためには、相同組換えと呼ばれる自然な現象を利用します。つまり、相補性のDNA配列が一致していて、なおかつ、DNA内で欠損が生じたとき、欠損の生じた部分にDNA断片を組み込むことができます。この相同組換えを利用したDNA挿入の場合、染色体上でDNA配列が一致している、組換え部位の間のDNAだけが新しく組み込まれたものです。先に述べた、プラスミドやウイルスをベクターとして利用してDNA挿入をする場合には、挿入を意図したDNA断片以外にも、ベクターDNAのウイルス性の配列が一緒に組み込まれます。さらに、相同なヌクレオチド部位の間で、塩基配列を自由に選んで新しい配列に置き換えることも可能です。これこそ、遺伝子工学の精密さを示すよい例でしょう。今までのところ、哺乳類で直接的に遺伝子を置き換える成功率はまだ低いままです。そのため、目的とする遺伝子の変化をする細胞を選び出す方法が求められています。

                      2. 医療への利用         

 多くのヒトのタンパク質は、バクテリアや酵母菌のような微生物に遺伝子を導入することによって、商業的に製造され、医療に用いられています(下図)。最も需要の高いタンパク質の一つは、糖尿病の治療に用いられるヒトインシュリンです。

商業的に製造されているヒトのタンパク質の例
血液凝固因子
インターフェロン
成長ホルモン
エリトロポエチン
インシュリン
様々な成長因子

  組換えDNA技術は、ワクチンの製造にも使われています。最終的な目標は、安くて簡単に保存できる、子供ならば誰でもかかるような、子供の病気に対するワクチンを作ることです。世界的な免疫プログラムの戦略は、製造よりも、移送や保存、配送といった要因に左右されます。B型肝炎のワクチンの入ったレタスやバナナ(料理用バナナ)のように、経口ワクチンも作られています。経口ワクチンならば、ワクチンを管理するための医療従事者を必要としなくてもすみ、第三世界においても、十分安価で製造工場を作ることができるかもしれません。ワクチンの入ったレタスやバナナの中では、まだ遺伝子は充分に発現されていませんが、改善されつつあります。

 遺伝子工学によるウシダニ用のワクチンが、オーストラリアで大量に生産されています。このワクチンは、ダニ感染の予防に貢献できるものと期待されています。ダニは外部寄生虫ですが、血を吸います。ワクチンは、ダニの腸の細胞から取った、ダニタンパク質を操作(部分的に改良)したもので、ウシの免疫反応を促し、ダニの繁殖を防ぎます。

 自然界における酵素の触媒反応の特性を、遺伝子工学を用いて変えることによって、「操作されたタンパク質」を作り出すこともできます。これは、タンパク工学と呼ばれています。タンパク工学によって、多くの薬の製造が期待されるようになりました。医療における、組換えDNAによるタンパク製品の重要性は増しています。このような製品が手に入るようになったおかげで、今まで治療できなかった多くの病気の治療が可能となってきています。

 遺伝的に操作した製品は、工業や環境、農業への応用でも使われています。これらについては、後で述べたいと思います。

                      3. 遺伝子導入の危険性         

 遺伝子工学は、言うまでもなく、私たちに利益をもたらしますが、その使用にともなう危険性や、影響の大きさも正しく評価しなければなりません。これは、技術アセスメントと呼ばれることもあり、生命倫理で取り扱うものの一つです。

 1973〜1976年には、外来DNAをバクテリア内に組み込む実験の一時的な停止期間が、科学者たちによって自発的に設けられました(アシロマ会議)。遺伝子を広く操ることで、悪い影響が生じるかもしれないと、科学者たちは恐れたのです。例えば、微生物の間で、抗生物質に対する抵抗性や毒素の形成が広まるかもしれません。あるいは、腫瘍を形成したり、ヒトに感染する病気の遺伝子がバクテリア内に入り、その後、そのような病気がヒトに感染するかもしれません。

 遺伝子操作をした生物が、不用意に実験室の外へ広まることがないように、物理的、生物学的封じ込めの両方の方法が使われています。「生物学的」封じ込めとは、「ある部分がはじめから損なわれた」宿主細胞とベクターを使用することです。このような宿主細胞とベクターは、たとえ封じ込められた実験室から抜け出ることができたとしても、実験室外では生育できないようになっています(例、大腸菌K12)。一番初めに物理的封じ込めの枠組みが決められて以来、実験を繰り返すことによって蓄積された経験が、危険度の低下につながりました。そして、使われる封じ込めの方法も緩やかになりました。生物学的封じ込めの原理は、特に、ヒトの遺伝子や腫瘍誘発剤を扱うときなど、今でも研究室で行われる実験の多くに適用されています。物理的封じ込めは、それほど厳密ではありませんが、腫瘍や病気を誘発する薬剤を研究するときには、今でも利用されています。

 遺伝子操作生物(GMOs)が作られるまでは、実験室から偶然、生物が逃げ出すことによる悪影響がありました。1958年にタバコアオカビ(Peronospora tabacina)がイギリスの研究室に持ち込まれました。その年、そのカビは、カビが最初に持ち込まれた研究室以外にも、イギリスで3つの研究室、オランダで1つの研究室に広まり、さらには、イギリスの商品用タバコ農場にも広まったのです。次の年には、ベルギーとオランダのタバコ畑へもその病気が現われ、そこから、残りのヨーロッパへも急速に広まりました(ドイツでは5〜20km/週の速さでした)。数年後には作物の抵抗力が増したのですが、このことは、新生物が偶発的に逃げ出す可能性を示す、インパクトのある例といえるでしょう。

 日本にも、新しく持ち込まれた動物がもたらす悪影響の例がありますが、アメリカシロヒトリもその一つです。GMOsを含めて、どのような新しい生物でも環境へ導入する際は、環境やヒトの健康を保護しうる適切な安全装置の中で、慎重に行われるべきです。自然の生息地には、自然の巧妙なバランスによって形作られた生物集団がすでに存在しており、そのバランスは維持していく必要があります。近年、生物農薬の導入が、生態系にやさしいという理由から、以前にも増して成功を収めています。ほとんどの食料作物や花などの鑑賞用の植物は新たに持ち込まれた種であり、世界中のほとんどの地域で、経済の繁栄のために必要不可欠であるということも心に留めておくべきでしょう。

                      4. 遺伝子操作生物(GMOs) の農業への利用         

                      4-1. 遺伝子操作生物(GMOs) を環境へ放つ際の安全性           

 遺伝子操作生物(GMOs)を環境へ放つことは、今では監視機関によって事前評価がなされており、日本を初めとして、多くの国々で試験が行われています。今日では、鶏舎にニワトリを閉じ込めて卵を産ませているように、私たちの日々の生活において大切な生産物のいくつかは、ある程度、閉ざされた環境の中で生産されています(そのやり方には倫理的な問題が生じています)。しかし、ごく小規模の農業においてでしか、そのような方法をとることはできません。

 1984年に、カナダでトランスジェニック植物の野外での実験が行われて以来、多くの野外試験が行なわれてきました。組換え生物を自由に環境へ放すことに人々の関心が集まっています。私たちは、どの程度、注意を払うべきなのでしょうか?それは、生態系のバランスやヒトに及ぼすかもしれない危険性が、どのくらいかによります。様々な科学的手法や実験が、遺伝子導入の危険性や、新しい雑草を生み出すような交雑の危険性など、組換え生物を環境へ放す際の危険性を計るために使われています。

 導入された遺伝子が、放たれた環境で生き残るためには、例えば、次のようないくつかの要素が必要です。
*他種の細胞へ導入すること
*受け入れた細胞にとって利益になること
*淘汰圧がかかることなどにより、組換えた個体数がランダムに減ってしまっても、組換え体全体として、  生き残るのに安全な数にまで増殖するかとができること

 真核生物と原核生物間での遺伝子交換も報告されています。花粉を作る作物の場合、花粉は野外で分散するので、ある種と野生型の近縁種とが交雑することもあります。

 安全性を調べるために考えていくべき要素としては右のようなものが上げられます。実際には、野外で試験が行なわれ注意深く観察されるまでは、危険性を予測するのは難しいでしょう。

安全性を調べるために考えていくべき要素
   *生物の種類
   *遺伝子
   *遺伝子の生産物
   *環境や他の生物へ遺伝子が導入される可能性
   *野外で遺伝子が他種へ導入されることによる影響
   *あらゆる段階で生態系へ及ぼす影響の重大性

 アメリカでは1994年半ばまでに、2種類の遺伝子操作をされた作物が、自由市場に出されることが認可され、1995年12月までには、12種類の遺伝子操作をされた作物が認可されました。また、さらに多くの作物が自由化されることも期待されています。自由市場に出されることが認可された作物は、熟すのが遅いトマトと、徐草剤に耐性を持つ綿花です。どちらもカルジーンというカリフォルニアの企業で作り出され、異なる環境下で、莫大な数にのぼる野外試験が行なわれました。次に、現在行われている、遺伝子工学の手法の一例を紹介したいと思います。

 新しいトマトの品種は、いらないタンパク質のmRNAに結合する、アンチセンスRNAを使う技術で作り出されました。熟したトマトから出される、トマトを柔らかくする酵素(ポリガラクツロナーゼ)の濃度を99%減らすことによって、トマトを硬いままにしておくことができます。この酵素はトマトの細胞の細胞壁を壊すため、この酵素がないと細胞壁が硬いままでいられるのです。このトマトは、店頭に並べておける期間を長くするため(約3倍長い)と味を良くするために開発されました。つまり、作る側は刈り入れを熟すまで遅らせることができるので、味もよくなるわけです。

 ニュージーランドでは、リンゴが熟したり柔らかくなるのを調節する研究が行なわれています。研究の目的は質(歯ごたえ、色合い、糖分)を良くすると同時に、保存寿命を長くすることです。果物や野菜の保存性を全体的に高めることは、言うまでもなく、オーストラリアやニュージーランドの食品輸出業者にとっても有益です。しかしそれ以上に、資源がなく、輸送の過程や店頭で冷蔵保存する資金のない第三世界の人々にとって、とても大きな利益をもたらすことでしょう。もっとビタミン含有量が多く、もっと栄養価の高い食品も期待できるでしょうが、これについて「6. GMOsから作った製品は食べても安全でしょうか」の項を見て下さい。

                      4-2. 農薬使用の削減                

 すべての作物が食べるためというわけではなく、その良い例が綿花です。BXN(ブロモキシニル)に対して耐性を示す綿花の品種は、栽培しても安全であると判断されるまでに、5年にわたってアメリカの12の州で約100回もの野外試験を受けました。アメリカの綿花栽培業者は、毎年2億ドルに相当する1万トンもの徐草剤を使いますが、この新しい品種では、徐草剤の使用を現在の4分の1にまで減らすことができます。1994年には、約4000エーカーに植えられることになっています。そのうち3000エーカーが種子用です。残りの1000エーカーは30〜50の綿花農家に振り分けられ、自由に使ってもらう代わりに、徐草剤の使用や収穫などのデータを提供してもらうことになっています。アメリカの綿花産業には毎年40億ドルの利益があり、雑草や害虫による損失は6億ドルであると見積もられています。今後のさらなる挑戦としては、青い綿花の開発が挙げられます。青い綿花を使うことで、衣類を作る際の化学染料の使用を避けることができ、さらには、お金と環境汚染の両方を減らすことができます。

 バクテリアは、農薬として使用することができます。例えば、ある枯草菌(Bacillus thuringiensis)に見られる、殺虫剤のような働きを持つタンパク質は、蛾や蝶の幼虫を選択的に殺します。この殺虫剤のような働きを持つタンパク質には様々な種類があり、それぞれのタンパク質は、このバクテリアのそれぞれの系統に特異的です。また、このタンパク質は、自然界での生物による分解が可能です。このバクテリアの胞子は長年の間、マラリアを媒介する蚊の繁殖を防ぐために使われてきました。広範囲で効き目のある殺虫剤は、すべての虫を殺してしまいます。すなわち、このような殺虫剤は、病原虫の捕食者として有益であるクモや甲虫類をも殺してしまうのです。

 この殺虫剤のような働きを持つタンパク質に対する、昆虫の抵抗性に関する問題は、化学農薬に対する抵抗性と同じです。つまり、時間が経つと昆虫も抵抗性を持ち始めるのです。この抵抗性を抑えるためには、畑の中に、殺虫剤のような働きを持つタンパク質を導入していない植物を数%紛れさせる方法があります。このことによって、結果として、この植物に抵抗性を持つ昆虫が、畑の中に増えるスピードを抑えることができます(このことを、淘汰圧を下げるといいます)。 

 オーストラリアでは、遺伝的に操作したバクテリアを使って、植物に浮腫ができないようにするという遺伝子工学の農業への利用例があります。そして、これこそが、世界で初めて、商業用の使用に認可されたGMOsです。他の微生物を使った応用には、窒素固定細菌のように、植物との共生を試みることなどがあり、肥料の使用を減らすことができます。菌根性の菌類は、植物の根の栄養摂取効率を向上させることができます。つまり、菌根性の菌類を、植物の成長速度を増加させるために使うことができるのです。

                      5. 環境への応用         

 公害問題の主な原因は、私たち自身の生活様式や経済体系にあります。また、公害問題は、人口が増えるに連れて悪化しています。公害を減らす努力や、浪費を少なくしたりやめたりすることは、遺伝子工学やバイオテクノロジーを用いることでも行われています。最もグローバルな計画としては砂漠の緑化がありますが、これは、

干ばつや塩害に耐性の促成植物を作り出すことで促進されるでしょう。

 例えば、ポリハイドロキシブチレートのように、自然界で生物が分解できる生体高分子に加工することが可能な高分子を作り出すために、バクテリアを使うことができます。高分子を作り出す遺伝子は、ジャガイモの塊茎など、食用作物に組み込むことができます。高分子を利用することによって、再生ができずエネルギーのかかる生産技術を使わなくてすみます。高分子の製造コストは、一般に普及するにはまだ高価ですが、医療に応用されるプラスチックなどが現在作られています。

 動物の抗体はトランスジェニック植物中で作ることができます。抗体はウイルス性の病気から植物を守るために使われたり、環境から、例えば毒素のような、微小な有機的汚染物質を取り除くために用いられます。その他の汚染物質と結合する、たくさんの種類の新しい抗体を作ることもできます。

 微生物は一度、環境に出ると、捜し出すのが非常に難しくなります。文字どおり数千もの微生物種を含む生態系は、今だにほとんど分かっていないので、その微生物がある環境で生存できるかどうかは、土壌や水系やその複合体といった環境における淘汰圧に左右されます。環境における微生物の利用には、多くの将来性があり、その応用範囲は、遺伝子工学によって広げられつつあります。バクテリアは重金属、有機化合物、リン、アンモニア、その他の汚染物質など、有毒な化合物を分解するために使うことができます。生物鉱業は環境にとって好ましいだけでなく、低品質の鉱物からも安価で金属を抽出できます。この方法は長い間、銅に使われてきており、今では金やリンにも使われています。

 1988年にアラスカのプリンス・ウィリアム海峡で起きたエクソンの原油流出事故の際に、初めて、バクテリアの分解作用が原油流出に利用されました。この時には、遺伝子操作をしたバクテリアは加えられていませんでした。しかし、その代わりに、どんな土壌中にでもいて、炭化水素化合物を分解して増殖するバクテリアに、化学肥料を与えることによって、少数でも増殖できるようにしました。この化学肥料はイニポルと呼ばれています。この化学肥料、イニポルは、岩の表面に付着することができないため、この技術を使うことができるのは砂浜に限られています。この処理を施された地域は、15日のうちに驚くほど改善されて、30cmの深さにある土壌でも、原油は40〜50日の間に分解されました。特に、原油の分解にとても時間がかかる低温の極部地域では、このような技術の重要性が増します。1990年6月に、メキシコ湾で起きたオイルタンカーの事故では、外海でも原油を分解するバクテリアが使われました。原油が陸地にたどり着く前に、また、海の生物を殺してしまう前に、原油が分解されることは大きな利点です。現在使われている洗剤は油膜となって分散するため、一見、海や河川、湖などを汚染していないように見えますが、水中で分散した小さな滴は水中に暮らす生物にとっては、より有害なのです。

                       6. 遺伝子操作生物 (GMOs) から作った製品は食べても安全でしょうか?      

 遺伝子操作生物(GMOs)から作った製品は、自然のものではないと思う人がいます。しかし、私たちはここで、現在存在する食物の種類や、私たちの周りにある食物がGMOsから作ったものと違うのかどうか、考えてみる必要があります。たくさんの食品に対してアレルギーを持っている人がいますが、アレルギーを持つ人は常に出てくるものです。

 組換えDNA技術によって作り出されたタンパク質の薬には、安全性と有効性(効能)の両方において認可が必要です。このような薬に対して心配される不純物には、様々なものがあり、考えられるものとしては、内性毒素、宿主細胞と培地のタンパク質、単クローン抗体、DNA、感染因子などがあります。不純物には、免疫学的と生物学的影響のうち少なくともどちらか一方があります。しかし、新しい製造方法によって、ヒトの治療へ応用できるほど高純度のタンパク質を作り出すことができます。この技術を用いて作ったタンパク質では、血液製剤で問題になっている、ウイルスの感染を防ぐことができます。

 1990年8月には、日本の大手の化学会社である昭和電工で製造された、一群のアミノ酸トリプトファンと好酸球増多症性筋肉痛症候群(EMS)との関係が報告されました。トリプトファンは、不眠症や鬱病、月経前の精神的な不安定さを治療するために用いられ、また、食事で補われる成分の一つでもあります。1989年の間に、アメリカで発生したEMSによって27人が死亡しましたが、EMSと関連性を持つ、特定のアミノ酸トリプトファン一群を突き止めることができました。同様の事例が、他の国でも起こりました。問題のアミノ酸トリプトファン一群では、活性炭が少ない状態でろ過したため、混入物が残っており、その上、別の系統のバクテリアを用いて製造されていたのです。EMSの原因は、遺伝子操作ではなく、むしろ混入で、浄化装置に責任があったのです。しかし、アメリカ食品医薬局(FDA)がまとめたように、この事例によって、栄養補給剤でなくても、いかなる製品も使用前に検査される必要があることが強調されました。

 今まで見てきたように、アメリカでは、いわゆる、「おいしいトマト」や「味な味(味覚風味:Flavour Savour)」を売り出すことがFDAから認可されました。このトマトはアメリカのスーパーマーケットで売られています。カルジーン社によると、トマトは普通のものより一週間長く新鮮さを保ち、マックグレゴーという名前がついています。他の国でも、このトマトが望まれることは間違いないありません。国際的な意識調査の結果にも見られるように、特に、新鮮な野菜を輸送することが難しい国では、広く人々に支持されています。

 1994年にアメリカで認可された、その他の遺伝子工学の製品には、牛の成長ホルモン(牛ソマトトロピン:BST)があります。これを毎日牛に投与すると、10〜20%牛乳が多く出ます。しかし、動物の体に若干の影響があり、そのため、牛への抗生物質の使用が増えたり、抗生物質の剰余分が牛乳の中へ出てくることも考えられます。厳密な研究の結果、この製品はヒトには安全だということで認可されましたが、論争はまだ続いています。アメリカでは、牛乳のホルモン成分表示をするべきではないとなっていますが、あえて「ホルモン無添加」の牛乳であるという宣伝をしている乳業もあり、この表示内容についてはアメリカの法廷で論争されています。主に心配されているのは、社会的、経済的影響です。すなわち、BSTを投与するという技術は、農場の大規模化の傾向をさらに進め、小規模な農場は経済的に競争できなくなってしまう危険性を持っています。小規模な農場が生き残るためには、ラベルを張ることで製品を区別し、BSTを投与された牛から作られた牛乳に反対する人々に、製品を選んでもらうようにするしかないのです。小規模農場を保護するため、アメリカのいくつかの州では、BSTの使用を禁止する法律があります。ヨーロッパではBSTの使用が延期されています。牛乳に困っていない国々では、なぜ、今以上の牛乳が必要なのかという声もあります。パキスタンのように、粉乳を輸入している国では、自国での生産を増やす方法としてこのホルモンは歓迎されています。

 アメリカのFDAは、「遺伝子工学によって作られた製品を含む食品である」と表示する必要はないとしています。状況は国によって異なるのでしょう。ある民間の団体は、消費者にとってはできるだけ多くの情報を得ることが大切であり、製品の出どころについては誰もが興味を持つものだと主張しています。イギリス政府は、ヒトの遺伝子や、宗教上食べることが制限されている動物の遺伝子を含む製品、動物の遺伝子が植物や微生物に含まれている場合には、表示を行うとしています。ラベルには、「何々遺伝子の複製が含まれています」と表示されることでしょう。


To News on the Safety of recombinant DNA products

遺伝子工学 <質問用紙> 

                

Q1 私たちの腸内にいるバクテリアは互いにDNAを交換し合い、死んだ腸の細胞からDNAを吸収します。この 遺伝子の混ぜ合わせと、実験室内で行われる遺伝子工学と、どこが違うのでしょうか?

Q2 あなたが使っている洗濯石鹸には、遺伝子操作をした酵素が含まれていることを知っていますか?日常生 活の中で使われている、その他の、遺伝子工学による産物を挙げてみましょう。

Q3 「ジュラシックパーク」を本で読んだり、映画で見たことがありますか? 物語の中で、遺伝的に作り出 された恐竜をコントロールするために、どのような生物学的封じ込めや物理学的封じ込めが使われていた でしょうか?

Q4 新しい生物を環境へ放すことの安全性は、どのようにすれば調べることができるでしょうか?

Q5 遺伝子工学で作られたトマトには、腐りにくいことや味がよいことの他に、どのような利点があるのでし ょうか?また、本文中に紹介されていた以外には、どのような遺伝子工学の農業への利用があるのでしょ うか?

Q6 どんな種類のバクテリアが植物の遺伝子工学に使われていますか?本文中に紹介されていた以外に、どん な遺伝子操作の方法が一般に使われているでしょうか?持続可能な農業とはどのようなものだと思います か?

Q7 遺伝子操作生物(GMOs)の環境に対する利点をまとめてみましょう。本文中に紹介されていた以外には、 どんな利点がありますか?例えば、農薬の代わりにGMOsを使用するように、何かの代わりにGMOsを使用 することによって生じる利益と危険のバランスは、どのように保つことができるでしょうか?

Q8 遺伝子工学によって作り出された植物や動物から食物を作ることには、本質的に危険があるのでしょう か?

Q9 農業において、遺伝子工学が及ぼす経済的影響について、思いつくものを上げてみましょう。それによっ て、世界中の食料危機を救えると思いますか?


ヒトの遺伝病

                      1. 遺伝病のメカニズム        

 一卵生双生児を除けば、すべての人の遺伝子配列は異なります。遺伝子はDNAから作られます。DNAは塩基と呼ばれる単位がつながった長い鎖で、塩基はたったの4種類しかありません(ATCG)。DNAのどの位置も、この4つの塩基のうちの1つから成り立っています。DNA配列とは、すなわち塩基配列を意味し、塩基配列とはこの4種類の塩基の並ぶ順序なのです。文章のつながりがその内容を左右するように、DNAは生物に何が起こるかを決定します。塩基自体はたったの4種類しかありませんが、塩基が20つながったの短い配列でさえも、塩基の様々な組み合わせ方によって、多くの並び方が可能です。DNAは、この塩基という単位が連なった長い鎖なのです。

 DNAにおいて、機能を持つ部分を遺伝子といいます。どの遺伝子も表現型の段階では、1つの特定の機能や特徴を決定する働きを持っています。私たちの遺伝子は、染色体と呼ばれる、長い1本の紐の中にあります。ヒトは23対、総計で46の染色体を持っています。すべての人は、同じ染色体のセットを持っており、それゆえ、どのタイプの遺伝子が、どの順序で染色体上に並んでいるかという点では同じです。しかし、それぞれの遺伝子には、対立遺伝子と呼ばれる様々なタイプがあります。対立遺伝子の塩基配列には、それぞれ違いがありますが、同じ機能をします。私たちには、たくさんの種類の対立遺伝子があります。例えば、フェニルアラニンハイドロキシラーゼの遺伝子には、少なくとも、46種類の対立遺伝子があります(対立遺伝子が突然変異を起こすと、フェニルケトン尿症(PKU)を引き起こします)。[46種類のどの対立遺伝子にも突然変異が起こりうるので、PKUの完全な遺伝子診断は行えませんが、安価で簡単な酵素のテストが行われています]


 突然変異とは塩基配列中の変化のことで、頻繁に起こります。突然変異は、化学物質や放射線、そして多くの場合、通常の代謝過程で作られる活性型の化学物質(遊離基)によってランダムに生じます。紫外線や喫煙が原因で、特異的な突然変異が引き起こされることがあります。突然変異が起きても、修復酵素によってほとんどが修復されますが、修復を逃れたものが、がんなどの異常を引き起こします。突然変異が接合体や生殖細胞中で起こると、新しく生まれてくる子供が、その突然変異を保有してしまうことがあります。体細胞中での突然変異は、ほとんどのがんの進行過程における1つのステップになっています。ほんのわずかな突然変異だけが有害であって、その他の突然変異は害を与えません(下図)。この複雑なシステムは微妙なバランスを保っており、たった1つの遺伝子が欠損するだけでこのバランスが崩れてしまい、死を招くこともあります。あ

突然変異によるアミノ酸配列の変更
DNA配列      タンパク質配列

原型
AACTAATTGCGTA   Leu-Ile-Asp-Ala-

中立突然変異
AACTAGTTGCGTA  Leu-Ile-Asp-Ala-

1つのアミノ酸が変化
AACTACTTGCGTA  Leu-Met-Asp-Ala-

欠失、フレームシフト
AACT/ATTGCGTA Leu-Ile-Thr-His-

挿入、フレームシフト
AACTAGATTGCGTA   Leu-Ile- 終止


原型DNA配列と突然変異が起こったDNA配列が同じアミノ酸を作り出すこともあれば、異なるアミノ酸を作ったり終止してしまうこともあります。フレームシフト突然変異はアミノ酸配列を全く意味のない信号に変えてしまいます。

 多くの遺伝病の原因は、塩基1つが置換してしまうことにあります。このような置換は、DNAの複製中に低い確率で生じます。この塩基の変更による影響は、先の図にまとめてあります。塩基の置換による影響は、いつも欠失の大きさに左右されるわけではありません。それよりも、結果として生じた配列において、タンパク質を作り出す暗号の枠組みに変更があるかどうかに大きく左右されます(右図)。例えば、筋ジストロフィーの患者では、ジストロフィンというタンパク質を作り出す遺伝子の一部が欠損しています。

フレームシフト突然変異の影響
原型    ことばが かわると いみまで かわる。
1文字欠損 ことばか わるとい みまでか わる。
1単語欠損 ことばが いみまで かわる。

 DNAの大きな断片が他の染色体へ移ってしまう、より大きな突然変異もあります。染色体は通常、2倍体、つまり、2つずつ複製を持っていますが、3つも複製があるような、染色体数の異常が生じることもあります。この異常は、あるタンパク質を作り出す遺伝子の対立遺伝子の数を変えてしまうため、大きな影響を及ぼし、ほとんどの場合死に至ります。第21染色体が3本あるトリソミー21はダウン症候群を引き起こしますが、これは必ずしも死に至らない例です。他のトリソミー(三染色体)のほとんどは、胎児の間に死亡するか、あるいは自然に流産してしまいます。

 病気の重さは、どのくらい欠失しているかよりも、どのくらいタンパク質を作り出す暗号の枠組みからはずれいるかで決まります。ある種のタンパク質が作り出されている限り、筋細胞は機能できるのです。

 遺伝子が正常に機能するためには、各遺伝子の対立遺伝子の対のうち、片方だけあればいい場合がよくあります。対立遺伝子の中には、正常な塩基配列と著しく異なるため、作り出したタンパク質や酵素が機能しないものがあります。このような場合には、個体は遺伝子対のうち、機能する対立遺伝子の方を選ぶことで、全く正常な生活や表現型が得られます。時に、対立遺伝子の片方が、通常の生産物ではないけれども機能しているものを作り出していることがあります。この場合でも、個体はおそらく通常の生活を送れるでしょう。しかし、ある遺伝子に対して、対立遺伝子の両方ともが機能しなかったり、間違って機能する場合、遺伝病が生じます。通常、対立遺伝子のどちらか一方が正常に機能するのなら、欠陥のある方の対立遺伝子は使われることはありません。それゆえ、その対立遺伝子は劣性形質であるといえます。

 何の影響も現われていないけれども、病気を引き起こす劣性の対立遺伝子を保有していることがあり、この場合、この劣性の対立遺伝子が子供へと伝わる可能性があります。時に、欠陥のある対立遺伝子の方が優性の場合があります。この場合、正常な遺伝子と欠陥のある遺伝子の両方を持っていても病気になります。優性でX染色体上の突然変異は、頻繁に、重大な病気を引き起こしたり、生殖機能がうまく働かない原因となるため、何世代も続くことはありません。病気を引き起こす対立遺伝子を1つ、劣性形質として持っているだけなら、何も問題はないのでキャリアー(保因者)となるだけです。それゆえ、劣性の突然変異は、個体群の中で維持されることがとても多く、第一世代で除去されることはありません。劣性の突然変異は何世代にも現われることになるでしょう。嚢胞性繊維症において、最もよく見られる突然変異の起源は、5万年も前にさかのぼると考えられています。

 遺伝病は、たいていは致命的ではなく、多少の異常など、ほとんど影響がありません。約3〜4%の子供が出生時に何かしらの遺伝病にかかっています。すべての人が、遺伝子と呼ばれる多くの単位からなる固有のゲノムを持っています。どの遺伝子も、特定の体の部位を構築するための指示を出しています。私たちの体は、普通、タンパク質からできていますが、このタンパク質のうち、遺伝学の研究に最も重要なものは酵素です。すべての人が、それぞれ新しい突然変異を持っており、病気を引き起こしうる対立遺伝子を保有しています。私たちは誰もが約20もの劣性対立遺伝子を保有していますが、このような劣性対立遺伝子は低頻度でしか現われないので、劣性対立遺伝子を2つとも持った子供が生まれてくる確率は低いのです。私たちは、みんな、突然変異を持っています。突然変異は、生殖細胞中に見られることもあれば、体細胞中に見られることもあります。どちらのタイプの突然変異もがんを引き起こす可能性があります。


                   2. 遺伝子スクリーニング       

                      2-1. 遺伝子スクリーニングの方法                 

 DNAは通常二本鎖です(二重らせん)。4つの塩基はA、T、C、G、という文字で表わされ、次に示すように、こうした長い鎖の中で、塩基AはTと、塩基GはCと結合します。

---ATTCCGAAGCTGACTGA---  親鎖
---TAAGGCTTCGACTGACT---  相補鎖

細胞内のDNAは通常ペアで存在し、安定しています。遺伝子スクリーニングを理解するにはAとT、CとGという形で塩基が結合することを知っていれば大丈夫です。

 遺伝子スクリーニングは、この相補的な結合という性質を利用します。DNAのサンプルを細胞から取り出し、一本鎖に切り離します。一本鎖のDNAの塩基をペアになる塩基と結合させます。テストを簡単にするため、この一本鎖のDNAをプラスチックのフィルターに張り付けることもあります。張り付けたDNAにテスト用一本鎖DNA(プローブ)の溶液(一種の蛍光染料で標識をした短い配列のDNA)を加えることにより、特定の配列をテストすることが可能です。サンプルとプローブを混ぜ合わせた後、相補鎖に結合したプローブ以外は洗い流します。サンプル中にその配列のコピーが存在する場合は、フィルターを紫外線の下においたときにプローブを蛍光で見ることができます。サンプルに相補鎖がない場合は、蛍光は現われません。このようにして多数のサンプルをプローブでテストすることができます。これを遺伝子スクリーニングといいます。様々な遺伝子を代表する、特殊なDNA配列の有無をこのように検査するのです。このスクリーニングは、例えば、胎児が遺伝病を引き起こすような突然変異を持っているような場合など(出生前診断)、突然変異を探し出すのに利用できます。また、遺伝子スクリーニングは、どの種類のバクテリアが食物の中にいるのかを突き止めるのに使われたり、患者の医療診断にも使うことができます。

 ある人が、特殊なDNA配列や遺伝子を持っているかどうかという情報は、遺伝的疾患の診断にとても役立ちます。例えば、発病前スクリーニングとは、ハンチントン氏病のように年令的に遅く発病する遺伝病を、発病する前にテストすることです。このような将来を予言するようなテストには、心理カウンセリングが必要でしょう。プライバシーを尊重することは非常に大切です。個人の遺伝情報は私たちが病気になることも明らかにしてしまうので、保険会社や雇用者はそれを理由に人々を差別することもできるからです。北アメリカではすでに遺伝子テストの結果、人々を差別待遇するケースが出ています。

 糖尿病やがんのような多くの遺伝病は、複数の遺伝子や、環境と遺伝子の関係によって引き起こされます。遺伝子羅病性とは、1つの特定の遺伝子のみが、複雑な病気の進行を決定するということです。例えば、ApoE4(約10%のコーカサス人とアジア人が持っています)と呼ばれる1つの対立遺伝子を持つことによって、アルツハイマー病の進行の危険性が増します。もし、この対立遺伝子を2つとも持っていたら、若い時には羅病性がとても強くなりますが、この遺伝子のもう一つの対立遺伝子であるApoE2はアルツハイマー病を防ぐ働きを持っているようです。

                      2-2. 出生前診断                 

 出生前診断、もしくは、出生前スクリーニングは、ほとんどの先進国ではあたりまえのように、出生前ケアと一緒に行われるようになりました。遺伝子以外にも重要なスクリーニングのプログラムがあります。例えば、風疹の予防をしていない女性がいたら、妊娠前に予防をしておくべきです。1982年に初めて、出生前に鎌状赤血球症を見つけ出すために、組換えDNA技術が使われました。しかし、現在行われている最も一般的なスクリーニングは、タンパク質のスクリーニングです。その理由は、多くの病気は、重要で機能的な酵素を欠いているために起きるのであり、何かしらのタンパク質が作られている限り、どんな対立遺伝子を持っていようと問題はないからです(前述のPKUの例を参照)。

 研究が進み、たくさんの遺伝病の存在が明らかになるのにつれて、胎児の早い段階で、遺伝子の欠陥を見つけ出す方法が開発されてきました。この方法では、胎児からサンプルを取り出し、分析を行います。胎児の成長過程によって、どの遺伝病や異常についてのスクリーニングが受けられるかが違ってきます。しかし、母体への苦痛や健康上の危険性を問題を考える限り、スクリーニングは、早ければ早いほど良いのです。

 胎児からサンプルを取り出すのは難しいため、たとえ必要であるとみなされても、現在では、ごくわずかな割合でしかスクリーニングは行われていません。超音波がよく使われていますが、超音波には母体に負担をかけないという利点があります。また、様々な方法を組み合わせて診断が行われています。例えば、最初のスクリーニングとして、母親の血液検査を行うこともあるでしょう。もし、この血液検査において、あるタンパク質(例えばαーフェトプロテイン)のレベルが異常であれば、胎児が、二分脊椎症、あるいはダウン症候群のような染色体異常といった問題を抱えている危険性があります。しかし、異常なタンパク質レベルの場合でも、大抵において胎児は正常なので、さらに検査を行い、先のテストの結果を検討する必要があります。

 何らかの遺伝子の欠陥を持っている危険性が高い(つまり、母親が高齢であったり、両親が遺伝病にかかったことがある)とみなされた胎児からは、胎盤や胎児の細胞のサンプルを取ります。以前使われていた羊水穿刺では、羊水から細胞をとり、実験室で培養して解析に用います。胎児の成長に伴い、不必要となった細胞は羊水へと捨てられます。胎児は、羊水の中で、この捨てられた細胞に囲まれているため、羊水穿刺は胎児に対して何の害も与えません。受精後11〜16週たつと、この方法に使うサンプルを採取することができます。今では絨毛膜絨突起抽出法により、6〜9週目たつと絨毛膜絨突起(胎児の周りの膜)のサンプルを取ることができるようになりました。採取したサンプルの中に含まれる胎児のDNAを、高感度の遺伝子プローブを用いて、直接解析することで、特異的な遺伝子の欠陥があるかどうかが分かります。羊水穿刺ではサンプリングした後で、1〜2%の割合で流産する危険性があるため、高齢出産や特に希望がある場合を除いては、この方法はあまり使われていません  以上述べたような技術を使って、すべての胎児を、数多くの病気を対象にしてスクリーニングすることは、今だに経済的、倫理的、社会的に不可能です。最近では、スクリーニングの対象は危険度の高い両親の方に向けられています。しかし、最新のスクリーニング技術では、一度に数100のサンプルを100以上の異なる遺伝病に対して検査することができるようになりました。それゆえ、スクリーニングは、安価でごく普通に行われる検査となりつつあります。また、将来、母親の血液中にあるほんのわずかな胎児の細胞を、分離して解析する技術を利用することが日常茶飯事になるかもしれません。体外受精の医療費が高額なため、一般に用いられる方法ではありませんが、体外受精が用いられる場合には、母親の子宮内に胚が着床する前に調べる着床前診断が、すでに可能になっています。着床前診断を行った上で体外受精を試みることは、遺伝病を子供へと遺伝する危険性が高いけれども、中絶は望まない親にとっては、一つの選択肢なのかもしれません。

                      2-3. 出生前診断の倫理的問題               

 出生前診断の主な目的は、自分の胎児が何らかの病気を持っているのではないかと心配している母親を安心させることです。自分の胎児には何の遺伝病も遺伝していない、といった安堵感を得る可能性があるのに、妊娠を拒む人もいるかもしれません。また、妊娠していると気づく前に使った薬の影響で、胎児が何らかの病気を持ってしまったのかもしれないと心配して、中絶したりする女性もいるかもしれません。

 出生前診断は、必ずしも、病気を持った胎児を中絶することを意味するわけではありません。実際に、診断と中絶は医学的に分けられるべきです。胎児の状態に関係なく子供を産みたい親にとっては、出生前診断には多くの利点があります。まず第一に、何らかの治療によって、問題を解決できるかもしれませんし、あるいは、病状の厳しさを緩和できるかもしれません。胎児に手術を施して、母親の子宮内へ戻す場合さえもあります。さらに、それ以外の利点としては、子供の誕生前に情報を得られることや、感情的にも準備ができることが挙げられます。

 遺伝的要素が構成され直される際には、よく手違いが生じるため、ヒトの出産にもかなりの失敗が伴います。受精した胚のうち、遺伝的異常を持っているものは約70%もあります。遺伝的に異常な胚のほとんどは着床しないか、妊娠の早い段階で自然に流産してしまいます。しかし、産まれてはきたものの、その後、死んでしまう赤ちゃんもいます。苦痛に満ちた人生を送ることになる赤ちゃんもいれば、そうでない赤ちゃんもいます。胎児にひどい遺伝的損傷がある場合、精神的にもひどい欠陥を持つことがあります。「正常な」人には人生があるのに、その子には「人生」が今も将来にもない、という人がいるかもしれませんが、人生の可能性は、それぞれに違っているはずです。

 多くの宗教では「価値のない」人生はないとされています。私たちが出生前診断の利用を受け入れる、受け入れないにかかわらず、差別のない社会を作り、遺伝病を抱える人々のような社会的弱者が生活しやすいようにすることが必要です。

 出生前診断の問題については、拒み続けている人もいて、意見が分かれ続けるでしょう。しかし、倫理的に考えると、家族のインフォームド・チョイスを重視するような体系が必要です。家族は、今の扶養家族や将来の子供に対する責任について決断しなければなりません。また、家族は、子供自身の人生の質について

まず第一に考えなければなりません。正しい決断とは、中絶するとかしないとかではなく、事前に十分に説明を受けた母親が下した決断であるといえるかもしれません。出生前診断について考えるとき、性の選別や悪用に対する不安感なども浮かび上がります。将来の子供に対して、私たちは、どのくらいの選択をすることができるのかということについては、社会的な規制が加えられることでしょう。

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                      3. 優生学       

  優生学という言葉はフランシス・ガルトン卿によって造り出された新語で、ギリシャ語の「良い遺伝子」という意味の「eugenes」に由来します。優生学は、環境や他の生物を変えようとするのではなく、私たち人間自身を変えようとする行動であるという点で、特徴的です。

 人々は長い間、「良い遺伝子」を持った人間を増やすために、選択して子供を産むという考えを持っていました。プラトンは、「適している」と思われる人間同士が結婚したりや連れ添うことを、間接的あるいは直接的に手助けすることで、「適している」と思われる人間を増やすことができるだろうと考えました。このプラトンの考え方は、私たちの言う、積極的な優生学と同じものだと考えることができるでしょう。積極的な優生学は、遺伝的な病気の発生を減らすような、消極的な優生学とは異なります。

 「優生学者」は高い教育を受けた家族の遺伝的「家系」からは、あまりたくさんの子供が産まれていないことを知り、そのような家族の子孫が、大多数の、教育を受けていない階級の子供達に圧倒されることを心配しました。「優生学者」は、教育を受けていない階級の人々は遺伝学的には「適さない」、といった間違った考えを持っていました。1910〜1920年に迎えた優生学の絶頂期には、優生学の概念が生物学の教科書の中で、科学的な概念として教えられました。また、「適さない」とされた移民が移民法で制限されたり、精神薄弱の女性が強制的に不妊されたりしました。ドイツのナチスは主にアメリカの移民法の考え方を取り入れ、障害を持つ人々を安楽死させたり、ユダヤ人、スラブ人、ジプシー、その他の人種を大量に殺す結果となった、大量虐殺や人種衛生法といった極端な政策を行いました。


Val - His - Leu - Thr - Pro - Glu - Glu 鎌形赤血球のヘモグロビンのアミノ酸配列
1 2 3 4 5 6 7

Val - His - Leu - Thr - Pro - Val - Glu 正常赤血球のヘモグロビンのアミノ酸配列

6番目のアミノ酸が、グルタミン酸からバリンになるだけで、赤血球は鎌形になります。

正常赤血球と鎌形赤血球


 このような差別に対して、もちろん、倫理的にも多くの反対がありました。しかし、それ以外にも、優生学においては効果的と見なされていた不妊手術に反対する、有名な科学的根拠がありました。それはハーディー・ワインベルグの法則です。この法則は、不妊手術が科学的に見て適当でない理由を、次のように説明します。アフリカで多く見られる鎌状赤血球症を例に考えてみましょう。「望ましくない」遺伝子、この場合、鎌状赤血球症を引き起こす遺伝子は、病気を患っている人々の間で見つかっています。つまり、鎌状赤血球症を引き起こす遺伝子を2つ持っていると、鎌状赤血球症を患ってしまいます。しかし、鎌状赤血球症を患っている人だけが、鎌状赤血球症を引き起こす遺伝子を持っているわけではありません。病気やその兆候が現われていない人の間にも、この遺伝子は劣性対立遺伝子という形で広まっています。その理由は、鎌状赤血球症を引き起こす遺伝子を1つ、正常な赤血球を作る遺伝子を1つ持っていると、赤血球の機能としては正常で、さらにマラリアに対して抵抗力を持つことができるからです。このマラリアに対する抵抗力という点で、鎌状赤血球症を引き起こす遺伝子は、ヘテロの状態で、人々の間で保存されてきました。ヘテロの状態で、病気の形質を表わす劣性の有害な対立遺伝子を持てば、保有者にとって何らかの利益になるということは、鎌状赤血球症に限ったことではありません。今では、私たちは約15もの、死に至る劣性対立遺伝子を保有していることが分かっています。ですから、優生学の論理では、誰も子供を持てなくなってしまうのです!

 優性学を考える際に、鍵となる倫理的な問題は、次のようなものです。すなわち、私たちは、誰もが将来生まれてくる子供の健康に対して責任があります。しかし、子供を持つか持たないかという選択は、個人によってなされるべきであると、社会的に合意されています。人権についての国際会議で認められた基本的人権の一つに、家族を持つ権利があります。子供を持つ持たないという問題に、社会的制限はあってはならず、また、将来生まれてくる子供でも、一人の個人として考えるべきなのです。病気になるのは望ましいことではありません。そのため、遺伝病を持っていることは「悪い」遺伝子のせいだから、ある意味で、それは悪いことであって、逆に普通に機能する「良い」遺伝子を持つことは、良いことであるといえるかもしれません。しかし、この基準は人々が子供を持つことに対する歯止めとしては使えません。 

                      4. DNA フィンガープリント        

 DNA配列は、個人を識別するために使うことができ、これは法廷でも利用されてきました。制限酵素で分解され、独特のパターンに分けられたDNA断片は、DNAフィンガープリント(指紋)と呼ばれています。これは血液型判定よりもずっと正確なので、世界的にも多くの法廷で使われてきました。二人の人間が同一のDNAフィンガープリントを持つ可能性が論議され、最近になって、その確率の計算が訂正されはしましたが、このようなDNAフィンガープリントの一致(制限酵素により分解されたDNAの断片の大きさが二個人の間で同じ場合)は依然低いと思われます。

 アメリカではFBIにより、犯罪者の遺伝子登録が行われ、イギリスにもデータベースがあります。DNAフィンガープリントは人々が移民した場合の遺伝的親子証明にも使われます。個人を守るための重要な倫理的論点としてプライバシーが挙げられます。個人のプライバシーを保証し、情報が悪用されないことを保障できるようになるまでは、広範囲にわたる遺伝登録を始めるべきではありません。

                      5. 遺伝子治療              

 多くの遺伝病は、遺伝子治療により欠陥のある遺伝子を訂正することで治療することができます。遺伝子治療とは「先天性の遺伝的誤りを治すために、または、細胞を新しく機能させるために、機能する遺伝子を患者の体細胞に挿入する治療の技術」のことです。何種類かのがんを含む、様々な病気の治療のために、ヒトの遺伝子治療の試みが現在、多く行われています。アメリカでは、遺伝子治療など医学上の新しい試みは、組換えDNA実験諮問委員会(RAC)やFDAによって認可されなければなりません。RACの会合は一般に公開されており、遺伝子工学に対する恐怖感を和らげるのに役立っています。

 遺伝子治療はまだ、実験的治療ですが、もし安全で効果的ならば、現在行われている多くの治療よりも、より良い治療となるでしょう。遺伝子治療は単に病気の症状を治すのではなく、むしろ、病気の原因そのものを治すからです。それに、多くの病気は、他の治療法では依然、治療が不可能なのです。すでに知られている成功例の一つには、免疫不全の病気、ADA欠損症の治療があります。これは正常な遺伝子から作られる酵素を、その酵素を欠く子供の細胞中で発現させることで治療します。

 現在のところ行われている遺伝子治療は、遺伝するものではありません。遺伝しない(体細胞の)遺伝子治療で患者を治療することには、他の治療法と、たいした違いはないと考えられます。もし、遺伝しない遺伝子治療が安全で、従来の他の治療法よりも効果的なら、遺伝子治療に同意する患者には、適用されるべきです。遺伝するような遺伝子治療を始めるためには、私たちは、倫理的影響や社会的影響についてもっと広く議論する必要があります。


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ヒトの遺伝病 <質問用紙> 

            

Q1 あなたは遺伝病をいくつ知っていますか? あなたには突然変異がいくつありますか? あなたのゲノム は、いくつの、死に至る劣性対立遺伝子を保有していますか?

Q2 20歳のときに、アルツハイマー病の発病前スクリーニングをすることに、利点はあるのでしょうか?60 歳のときではどうでしょうか?

Q3 ある夫婦が、すでに女の子を4人、産み、育てているとします。次に、男の赤ちゃんを産むために、この 夫婦は、男女産み分けの技術を使うことができると思いますか?

Q4 親は、生まれてくる子供に対して、目の色、背の高さなど、どのくらいの望みをかなえてもよいと思いま すか?

Q5 悪い遺伝子とは何でしょうか?良い遺伝子とは何でしょうか?その他の遺伝子とはどのように違うのでし ょうか?

Q6 日本で、優生学的政策がとられた出来事について、例を挙げてみましょう。

Q7 遺伝子治療以外の治療と、遺伝しない遺伝子治療には違いがあると思いますか?

Q8 1995年夏から、北海道大学で始められた遺伝子治療について、知っていましたか?どのようなことを、 どのようにして、知りましたか?

Q9 遺伝する遺伝子治療と、遺伝しない遺伝子治療との間には、どのような倫理的違いがあるでしょうか?


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