学校における生命倫理教育ネットワークニュースレター
Vol.1(3) November 1997


編集:浅田由紀子
発行:ダリル メイサー(責任者、筑波大学 助教授)
生命倫理に関する教育研究グループ
〒305 茨城県つくば市 筑波大学生物科学
FAX:0298-53-6614 / TEL:0298-53-4662
Email < asianbioethics@yahoo.co.nz >.
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目次
編集室から
学校における生命倫理教育ネットワーク 第6回勉強会報告ー「脳死」をテーマに
会議報告
第3回つくば国際生命倫理円卓会議
第9回日本生命倫理学会年次大会
UNESCO Asian Bioethics Conference

教材発掘
第8回勉強会のお知らせ

学校における生命倫理教育ネットワーク とは
 教育における生命倫理の役割、生命倫理における教育の役割を探るために、1996年12月に発足したネットワークです。隔月の勉強会、ニュースレターを通じて、ネットワークは、生命倫理教育に興味を持つ人々をつなぐ場としての機能をはたします。
編集室から
 すっかり紅葉の美しい季節となりましたが、皆さん、お元気でいらっしゃいますか。
 私は、10月最終週から2週間、第3回つくば国際生命倫理円卓会議(筑波大)、第9回日本生命倫理学会年次大会(筑波大)、UNESCO Asian Bioethics Conference (神戸、福井)と生命倫理の3つの会議に携わり、この1年で一番忙しい時間を過ごしました。およそ30カ国から100名ほどの研究者が集い、大変ではありましたが、有意義な時間を過ごすことができました。生命倫理教育はどの会議でも話題にのぼり、ネットワークの活動にさらなる希望と誇りを感じた2週間でした。
 さて、第8回勉強会を12月6日に日本橋高校にて予定しております。学校全体として、総合教育に取り組んでいらっしゃる、名古屋大学教育学部附属高校の田中裕巳先生にご発表をお願いしています。次回は、ネットワーク発足から1周年記念の勉強会でもありますので、ぜひ多くの方にご参加いただければと願っております。
 最後に、生命倫理教育ネットワークに関するアンケート調査にご協力くださった方々、どうもありがとうございました。それでは、近々お会いできることを、楽しみにしております。 浅田由紀子
ご投稿、ご意見、情報提供をお待ちしています!
<ニュースレター第4号への掲載希望記事の締め切り> 1月15日
書式自由、字数制限特になし(4000字を越える場合は、事前にご相談ください)
できれば、Email < asianbioethics@yahoo.co.nz >.、あるいはフロッピーディスク(マッキントッシュ/ 720KB / 1440KB)でお送り下さい。
どんなに短くても、どんなテーマでの構いません。皆さんのご発言を心待ちにしています!

学校における生命倫理教育ネットワーク第6回勉強会報告-「脳死」をテーマに


<とき・ところ>
1997年9月6日(土)15:00〜18:30
東京都立日本橋高校にて

<テーマ>
脳死についてどう教えるか

<キーワード>
脳死、科学的生命観、経験的生命観、学力
<参加者>
社会科
井上兼生先生(埼玉県立大宮中央高校)
大塚啓一郎先生(郡山女子大附属高等学校、福島県)
小泉博明先生(東京都麹町学園女子高校)
田中裕巳先生(名古屋大学教育学部附属高校)
山下亨先生(東京都立日本橋高校)

生物科
斎藤三男先生(東京都立井草高校)
白石直樹先生(東京都立足立新田高校)
佐藤ひな子先生(埼玉県立浦和第一女子高校)

本吉佳奈さん

浦田奈緒(筑波大学第2学群生物学類)(
メイサー、ダリル(筑波大学生物科学系)
浅田由紀子(筑波大学環境科学研究科)
勉強会の流れ

オリエンテーション、アイスブレーキング(15:00〜15:15)
 まず、第6回勉強会のねらいを説明し、東京都立足立新田高校の白石直樹先生に発表をしていただくこと、その後グループに分かれて話し合いをすること、話し合ったことや思いついたことは積極的に紙に書く方法を取ることなど、大まかな流れをお知らせしました。また、このとき、勉強会の様子を録音してもよいとの了承を参加者の先生から得、録音を開始しました。そして、コメントシート(報告書に載せてみたい提案などを書く欄と、報告書には載せないけれども勉強会の間に気づいたこと、気になったことなどを書く欄からなるA4サイズの紙)を一人一枚ずつ配布しました。コメントシートは勉強会終了後、回収しました。
 また、白石先生のレジュメ(「白石先生の授業実践報告」を参照してください)とともに、「臓器の移植に関する法律」(官報第2181号、平成9年7月16日)と脳死・臓器移植についての世論調査(読売新聞、1992年12月11日14ー15頁、1994年12月15日18ー19頁、1997年5月9日29頁)、植物状態、昏睡状態、脳幹死、閉込め症候群の各症状を記したイギリス王立医師協会のガイドライン(Lancet) などを資料として配布しました。
 その後、参加者全員で、2人1組となり、自己紹介をしました。この自己紹介では、一方が自己紹介をし、一方は聞き、時間を区切って行いました。最も、もうすでに初対面ではない場合が多かったため、その場合は、お互いに近況報告をしあいました。その後、2組ずつの4人のグループを作り、パートナーを他の人たちに紹介する他己紹介をしました。このときできた4人のグループを、この勉強会で話し合いをするグループとしました。
白石先生の授業実践報告 「生物学と生命観 脳死の授業から」 (15:45〜16:50)

●脳死の授業を行ってきた理由●
 白石先生はまず、生物学を教えるにあたって白石先生がずっと疑問に思っていることをお話ししてくださいました。それは、生物学は他の学問同様、事実だけではなく価値観を引きずった学問である、生物学を教える際に、生物学的事実と価値観のあいだに関わりを持たせながら教えるべきか、あるいは、事実は事実として価値観から切り離して教えるべきか、というものでした。そして、脳死をこういった疑問を端的に表す例と感じ、白石先生は脳死について授業で扱うようになったそうです。脳死の授業を行ってきた理由として、白石先生は(1)生物学的に正しい理解をした上で、将来、このような問題に直面した場合に、生徒たちに判断を行ってほしい、(2)生徒たちからのフィードバックを通して、脳死とは何か、自分自身の理解を深めたい、という2点を挙げられました。

●どんな授業を行ってきたか●
 白石先生が教員になられた当時、日本医師会の生命倫理懇談会の答申では、脳死を尊厳死として取り上げていました。そのため、白石先生も、脳死を尊厳死のひとつとして扱い、1987年、都立K高校で脳死を授業で扱いはじめました。この年は、倫理を学んでいた3年生の選択授業のレポートとして学年末の最後の授業で総括的に触れられたそうです。2年目からは、生徒数の多い1年生の理科I(必修)で脳死問題を取り上げ、アンケート調査も開始されました。理科Iでは、細胞について学んだ後、組織、器官、個体との関連を学ぶなかで脳死について触れているそうです。具体的には、年度初めの授業で、まず、1988年に日本テレビのドキュメンタリー特集「生命と移植1 阪大特球部からの報告」というビデオを生徒に見せ、アンケート調査を取るという形を取られているそうです。この番組を使い続けている理由は、脳死を尊厳死として扱っている点と、高校生のバイク事故の例を扱っているので、生徒たちに身近に感じてもらうことができる点とご説明されました。

●ビデオ●
 ここで、白石先生が授業で教材として使われている1988年の日本テレビドキュメンタリー特集「生命と移植1 阪大特球部からの報告」を、参加者全員で見ました。時間は全部で25分、内容は次のようなものでした。
 番組は、1982年夏の盛りのある日、大阪大学附属病院特殊救急部に血塗れの少年が救急車で運び込まれる場面から始まりました。13歳のこの少年は、友人の運転するオートバイに乗っており、乗用車と衝突、激しく道路にたたきつけられ、脳死状態になりました。少年の家族である父親と妹が病院に駆けつけ、医師から父親への診断説明がありましたが、医師は、「経験的には回復がかなり難しいケースだが、100%ダメと言うにはさらに検査結果を必要とする」といった慎重な言葉で、暗に少年の脳死状態を示唆しました。その後、「脳死は、人工呼吸器の普及がもたらした新しい死の概念」というナレーションと、脳死状態の説明、脳死に陥る原因、予後、判定基準の説明が入りました(白石先生は、授業では、ここでビデオを一度止め、生徒に配布したプリントの穴埋めをさせるそうです)。脳死の判定基準に疑問を唱える声もあるとし、立花隆氏の脳死の判定基準を批判するインタビュー、大阪大学特殊救急部、杉本医師の、脳死判定基準は世界的基準にも合致する何ら問題のない判定基準というインタビューが紹介されました。ついで、日本移植学会での、脳死者からの臓器移植についての意見の紛糾の模様、1968年、札幌医科大学で行われた日本で初めての心臓移植とその疑惑について触れられました。
 場面は、大阪大学特殊救急部に戻り、先の13歳の少年と類似したケースが紹介されました。これは、オートバイに乗っていた16歳の少年が乗用車と接触し6メートルはねとばされ、ガードレールに激突、脳に多大な損傷を負うというケースでした。医師がこの少年の母親へ診断状況を説明する様子、少年の頭にくも真下出血が見つかり、すぐ手術が行われる様子が映し出され、少年の容態はこの2〜3日が山でいつ脳死に陥ってもおかしくない状況とのナレーションが入りました。
 ここで、同病院に入院して10日たつ、13歳の少年の心臓死を待つ状態、事故以来、病院に寝泊まりしている父親の様子が映し出されました。
 次に、医療過誤問題に取り組んでいる弘中弁護士の、従来の死の三兆候で十分であり、脳死判定により死亡時刻が動かされることに対する懸念を述べたインタビュー、先の大阪大学特殊救急部、杉本医師の、人が人として生きているのは脳の活動があるかどうかであり、大切なことは脳死に陥らないよう治療を充分に施すことで、その後の手続きは問題ではないというインタビューが紹介されました。
 13歳の少年が、病院に運び込まれ2週間がたち、少年が14歳の誕生日を迎えた日、医師から心臓停止の宣告がなされた場面が映し出されました。「この2週間、この少年は生きていたというべきか、死んでいたというべきか」というナレーションがあり、そして、この少年のお葬式の終わったあと、少年の自宅での父親とのインタビューが紹介されました。少年の父親は、1日でも1時間でも長く生きていてほしかった、なんとか14歳の誕生日までもたせてくれた病院に感謝したい、そしてこの2週間のあいだに、こちらも覚悟をしなければと思ったと静かに語りました。
 場面は変わり、1982年12月、大阪脳神経外科病院に、自ら体を支えるためにリハビリは必要ながらも順調に回復しつつある16歳の少年を、少年の母が見舞う様子が映し出されました。少年のリハビリの模様を紹介した後、母親とのインタビューに移りました。「臓器を提供していただけますかと言われていたら、どうされましたか」との問いに、心臓が止まりもう本当にだめならば、誰かの役に立つのなら臓器提供もいとわないが、まだ心臓が動いており本当にだめかどうかわからない時点でそのような判断は誰にもできるはずはない。それは医学や科学ではわからないことで、人間の生命力には底知れないものがあると、少年の母親は答えました。また、心臓は動いており体もあたたかい息子が、いつの日かまた「お母さん」と言ってくれるのではないかと期待し信じ、それが現実となり本当にうれしいと涙ながらに少年の母親は語りました。
 1983年、日本医師会の生命倫理懇談会が「脳死は人の死」と結論を出した模様が紹介され、人為的な機材により事実上の死者を生きているかのように扱うのことは、人の尊厳に反するとの意見を紹介しました。そして、この答申の後、脳死者からの臓器移植を支持する姿勢が各医療機関から示されたが、はたして国民は、これを持って、脳死を死とする社会的合意を得たかと疑問を投げかけ番組を終えました。

●アンケート調査と生徒の反応●
 白石先生が授業で生徒を対象に行っているアンケートは、自分と家族の場合について、脳死を死として認めるかどうか、Yes、No のかたちで答えてもらうものです。具体的な質問項目は以下のようなものです。

脳死を人の死としてよいと思いますか
(1)自分が脳死になった場合 Yes No
(2)大切な人(家族など)が脳死になった場合で
(2ー1)本人が脳死を自分の死として認めていた場合 Yes No
(2ー2)本人の考えが不明の場合 Yes No
(3)感想。脳死を人の死として法律で決めることをどう思いますか。
1990年までは、設問(2)は(2ー2)のみに限定して、設定

 1987〜1993年は、都立K 高校で脳死について授業を行い、アンケートを取られたそうです。1987年は3年生の選択授業で、1988年以降は、1年生の必修教科である理科Iで、200人ほどの生徒を対象に授業を行われました(約46人/1クラスx5クラス)。授業は2時間続きのため、1時間目には、日本テレビのドキュメンタリー特集「生命と移植1 阪大特球部からの報告」を生徒に見せ、2時間目には同じ特集の第2編、臓器移植を扱ったものを見せ、授業を行われました。
 1994年は、教育課程移行期間のため、生物の授業がなかったので、脳死に関する授業も行わなかったそうです。
 1995年に、白石先生は都立A高校へ異動され、脳死を授業で取り上げることはされましたが、継続した形でのアンケートは実施されませんでした。1996年以降、k高校と同様の授業とアンケート調査を行われているそうです。A 高校では、5〜7クラスある1年生を対象に約100人ほどが毎年アンケートに答えているそうです。これは、1クラス35人の生徒がいるなか、学校に出てきている生徒が30名ほど、授業に出席する生徒は25名ほど、アンケートを提出する生徒は20名ほどという事情から、と説明されました。
 1988〜1993年まで、K 高校で行ったアンケート調査から、白石先生は以下の点を見つけられました。
(1)自分の脳死を死とすることに、過半数は賛成(ほぼ7割前後)
(2)脳死者本人の意志が不明の場合、家族の脳死を死とすることに、6割以上は反対
(3)脳死者本人が脳死を自分の死として認めていても、家族の脳死を死とすることに、3割前後    は反対

 1996年以降、A 高校で行ったアンケート調査からは、以下の点を見つけられました。

(1)自分の脳死を死とすることに、賛成が半数未満
(2)脳死者本人の意志が不明の場合、家族の脳死を死と認めない傾向が強い
(3)脳死者本人が脳死を自分の死として認めていても、家族の脳死を死とすることに、4割から    半数は反対

 K 高校で脳死について扱っていたときには、白石先生は、高校生の生命観は授業によらずある程度一定なものなのではないかと感じていたそうです。これは、また、自分自身の脳死については認めても家族の脳死は認めたくない、という社会にある程度みられる意見の反映なのではないか、とも感じられていたそうです。しかし、学力的にも差のあるA 高校に異動されてからは、以上のアンケート集計結果から、学力レベルが変わると、脳死の受け入れ傾向も変わるのではないかと感じるようになり、「脳死を理解するということはどういうことなのだろうか」という疑問を抱くようになったそうです。白石先生はまた、以上のアンケート結果は、生徒の生命観を反映したもので、脳死の理解度からは独立しているとも考察されました。そして、高校生の生命観というのは、生物学的科学的というよりも、経験的体験的なものなのではないか、と述べられました。さらに、生物学的科学的生命観という視点から、ある特定の生命観から離れて授業を進める場合と、望ましいと思われる生命観を作り上げていこうと授業を進める場合では、脳死を認める生徒の割合は変わるのかどうか、また、どちらの姿勢が生物学を教えるものとして望ましいのか、そもそも、ある特定の生命観から離れて授業を進めることは可能なのかどうかといった疑問を発せられました。また、経験的体験的生命観という視点からは、高校生の生命観には、社会の意識が反映されているに違いなく、生徒を取りまく地域の状況(親の生活水準)などはどのように影響するのだろうか、といった点についても疑問を投げかけられました。
 最後に、白石先生は、脳死の問題は、脳死状態の人の問題というより、残される側の問題ではないかと感想を述べられました。そして、参加者の先生方の協力で、さらに多くの学校で同様の調査を行うことができるならば、さらに有効な手がかりが得られるのではないかとご提案し、日本テレビのドキュメンタリー特集「生命と移植1 阪大特球部からの報告」ビデオをダビングしたものを数本、提供され、発表を終えられました。

 白石先生のご発表のすぐ後、いくつか質問がありました。まず、1つは、アンケート調査の脳死を認めるかどうかの理由について、生徒どうしが話し合う機会を設けているのかどうか、また、アンケート調査について生徒にフィードバックを行っているのかというものでした。これは、自らの判断は、自分の知識だけに基づく判断であり、話し合いの後、意見が変わることも多々あるということを踏まえての意見でした。白石先生は、討論の時間は特に設けていないそうですが、アンケートを書く際に、生徒どうしが相談をしたり、先生に聞いたりしながら答えていくので、他の意見を聞く機会は与えられていると答えられました。生徒に対するフィードバックについては、それぞれの生徒が脳死に賛成・反対する理由を紙に書き出し、中間テストや学期の終わりに配布する形を取っていると紹介されました。それ以上のフィードバックは、時間の制約などから、授業という形ではなく、個人的なものになってしまうともおっしゃられました。次に、生徒の脳死に反対・賛成するという価値観を知るためには、脳死の科学的理解をどこまで進めようとするべきなのか、という質問がありました。これについて、白石先生は、生物学的事実も、必ずしも信じなければならないものではなく、誤った知識に基づく価値判断も、それなりに尊重するべきなのではないかと答えられました。

休憩(16:15〜16:30)

グループに分かれての話し合い(16:45〜17:15)

 アイスブレーキングのときにできた4人1組のグループに分かれ、話し合いをしました。白石先生から次の2点を話し合いのテーマとして挙げていただきました:「脳死を理解する(させる)ということはどういうことか?」「生物学は生命観とどういう関係をたもっていけばいいのか」。まず、ひとりひとりが、この2点について白石先生の発表を踏まえながら、ポストイットに考えを書き込みました。そして、1グループに1枚ずつ用意された模造紙に、ポストイットを張り付けながら、それぞれの関連性を探り問題点を明らかにしていく、という形で話し合いを進めました。気づいたこと、話し合ったことは、随時、模造紙にマジックで書き込むようにしました。以下が、模造紙に張り付けられた意見です(話し合いで加えられたコメントを含んだ模造紙の写しは、11月発行予定のニュースレターVol.1(3)に掲載します)。

●第1グループ●
■脳死の理解=自分が(家族を含め)直面した時の対処のために必要
■とりあえず、いろいろなケースetcをVTRで触れるのは大切。しかし、教え方で変わるであろうから不安 あり。
■生物学以外の学問の要素が増えてくるとどうcareして良いかわからなくなる。
■家族と討論するのか?意見は変わるのか、家族の反応はどんなものか。
■知識を増やすと共にそれらを消化する能力が必要。その能力が不十分なら?
■学力レベルと脳死をめぐる理解(?)の関係。何か大事なことを示唆しているような気がする。
■科学のリミットは?
■人工呼吸器、肺の解剖、脳の解剖、動物の死を授業で見ること
■原始的生物と高等な生物との間の生死の基準をどう考えるのか。「脳死は動物としての人の死か」とい う設問に人々はどう答えるのか。
■理解することと死を受け入れることは別。
■脳死状態=/=死(本人の中だけに存在しない)
■単に必ず死ぬと言うだけならすべての人にあてはまる
■脳死は医療の進歩によって生み出された概念であることを理解すること。
■臓器移植のために脳死という概念が必要になってくることを理解すること。
■脳死になると生き返れないことを理解すること。
■不可逆、蘇生限界を超えていることの理解
■ただし限界点は変わる(低体温療法)。
■一般の人にもっとわかりやすい情報を(どこが限界か?など)
■脳死の時点を分単位で特定することは困難であることを理解すること。

●第2グループ●
■生物学と生命観。生物学は個人の生命観を作り出す1つの材料に過ぎないのでは。
■生物学は生命観を教える学問なのか。生命観は教わるものなのか。
■何のために、何の目的で生物を教えるのか。→生徒の欲求?社会的なもの?
■脳死を理解するということは「法律」を理解することなのか
■私の死、他者の死
■自分の死と他者の死。死の受容。
■脳死は臓器移植があるからこそのものなのか。
■臓器移植とのかかわり。ドナーの善意。延命と奪命。
■脳死、レシピレータ、医学の発展の結果としての死。<歴史性、医学>
■脳死論の背後にある人間観=身心二元論(→倫理)
■脳死、植物状態、免疫的自己の死の区別は大切。
 「人」の死の意味
 生物としてのヒトの死
■中立的なものを選ぶより両極を見せる?
■事実、情報の質(量)?と価値観
■あのビデオは脳死反対を暗に支持。

●第3グループ●
■若い人には身近ではない死(脳死ではない心臓死)についても考えてもらう。
■真実と事実の問題
■脳死について考えさせるとはどういうことなのか。
■何を教えるのか、という問題。
■死とは何かについてどう教えるのか。
■結論を教えることが出来ないテーマについて、生徒の考えをどうリードしてゆくのか。
■死の概念の変更=人類史的な出来事
■脳死状態と植物状態の違いの問題
■生物学史の中での生命観の変遷との関連
■「脳死」ならば「脳生」か?脳の機能開始が生命開始時。
■生物学と生命観は密接に関連すべき
■身近に脳死があるか?
■自分や家族が脳死になった場合だけでなく、臓器移植を待つ立場になった場合も考え合わせる。
■「脳死」は身近な問題になっていることを理解させる必要性(例、部活中の事故、家族の中に)
■脳死=自己の喪失(死)か?
■生物の授業の中でどう教えるか?
■人権とのかかわりあい。
■臓器移植とのかかわりあい。
■意識(脳の作用)→自己の認識→免疫にもある
■意識は脳の生理的作用
■意識←ーーーーーーーーーーー→無意識
    さまざまなレベルがある。

全体でのわかちあい(17:15〜17:50)

 ポストイットを張り付け、意見を書き込んだ模造紙を囲みながら、各グループで話し合ったことを全員に紹介しました。

ふりかえり(17:50〜18:10)

 グループで話し合ったこと、全体で話し合ったことをふりかえりながら、ひとりひとり、「今日の勉強会で気づいたこと、学んだことは」「感想、意見など」の2点からなるふりかえりシートを記入しました。その後、全員が、一言づつ感想を述べました。今回、目立った意見としては、生物、社会、家庭科、保健など教科を越えてあるひとつの題材を教える意義というものでした。勉強会を始めた当初から、このような意見をときどき聞くことはありましたが、参加者の多くが共有できる考え方、生命倫理教育のひとつの可能性としてこういった意見がひとつ集約されたことは、大変意義のあることのように思いました。今後、ネットワークのメンバーである先生方、それぞれが、同じ学校の教科の違う先生を誘ってみることは、ささやかではあっても大きな一歩につながるのではないかと期待しています。

参加者からのコメント(「コメントシート」「ふりかえりシート」から

他の教科との連携について
■生物の授業での脳死問題の取り上げ方の例を学んだ・・・倫理、保健等の教科との協力の必要性
■生命倫理「脳死」に関連する教科は、倫社、保健、家庭、体育、生物などが考えられる。なるべく多教科 の先生方の集まるように努力されたい。クロスカリキュラム的学習会を持つべきであろう。
■総合学習の必要性
■生物と社会科で、ともに生命倫理のテーマを取り上げる際、うまく連動させていけば、幅の広い視点を提 供できるのではないかと感じた。
■家庭科、保健の教員も参加すれば、さらに別な視点を提供してもらえるのではないかと思います(なかな か身近にいませんが)。

死や脳死についての教育
■死の教育の必要性
人間の死が密室化、動物の死にも出会うことがない 
→自分も死ぬこと、生の有限性 これを教育として教材化する必要性
■大変、問題性を含んだテーマにも関わらず、有意義な学習をすることが出来ました。「脳死」問題は具体 的には、「人間観」の問題だと思います。人間についてしっかり考えさせてゆきたいと思います。
■学力差が理解に差を生む可能性
■自己と他己の両方の死を受け入れられるようになるべき。そのために必要なことは、その背景にある科学 技術の問題の消化(どうとらえるか)が必要、または歴史に退行するか?(どこが「限界か」について明 確(明解)な情報が必要だと思う)いろいろなケースのVTRを見せたい。
■今の教育で「正しいことを教える」のではなく「考えを持ってもらう手助けをする」ということはむずか しい。
■最初のVTRが高校生のバイク事故から脳死問題へとわかりやすく構成されていて、高校生の授業には大変 向いていることに感心した。
■ ビデオを借りて小生もやってみたい。
■生物学(科学)的知識は生命観に対して中立なのかという当初の疑問はまだ明らかになりません。生物学 と生命観との関わりをより考えてみたいと思います。
■学力の違いが、脳死に対する態度と関係があるのかもしれないという点は、今後、ポイントになるかも。 脳死は理性でなければ理解できないものでは?ただ理性的であることが正しいと短絡することは危険で  しょう。
■脳死を人の死として受け入れるかどうか授業の中での生徒たちの反応。2つの高校での相違は興味深かっ た。その原因として
1)生徒たちの「学力」差
2)脳死をめぐる社会的動向の反映(脳死臨調、脳死立法、TV放映等)
3)授業者の視点の変化の反映
 どの要因が強いのか。1)はどの程度と言えるのか。より素朴な生命尊重意識=非専門家の視点があるの か?
■今後も生物で取り上げていきたい。脳死をめぐる考え方や問題点etcが以前よりくっきり見えてきたの  で、これから、ここをスタートとして勉強していくつもり。倫理というのはおもしろい学問だ、とも思っ た。また、臓器移植etc をめぐり、人はどこまで「社会的」になる必要があるのかな?と疑問に思った。
■学校によって、脳死に対する反応に大きな違いがあるような気がしました。同じ教材で、あちこちの学校 で脳死の授業をして生徒の反応を比較することで、「どう教えたらよいか」というものの一端が見えてく るような気がします。ぜひ授業の結果を交換しあいたいものと思いました。

脳死そのものについて
■唯物論と二元論
■脳死のいろいろな基準とメカニズムを学べたが、医者でもわからない、または意見の分かれている点のあ ることを改めて知った。
■脳死問題を考える際のポイントとして以下があるようだ。
ー自分にとっての死と周囲の人々にとっての死の違い。
ー「人としての死」と「生物の一種としての人の死」の違い。
ー脳死と判定する時刻は、技術進歩によって厳密になりつつあること。
■やはり生とは死とはという方向に思考がいってしまい、行き止まり。
■無脳症児の場合、どう脳死を判定するのか、という問いが印象的でした。
■死生観 etc について、その歴史や国による違いなどについてもっと知りたいなと感じました。
■現実では「脳死」というのはこういうものだというものではなく、臓器移植によって自分がどの立場にあ るかで変化するものになってしまっているのではないかという気がします。その中で、生命観や生物とし ての人間という概念で考えていけるとしたらよいですね。

人間の死と動物の死
■個体死として脳死はあてはまらないということが印象に残り、ヒトと他の動物の生命を同じように扱うこ との難しさを感じました。山下先生の実践では、両極端に生徒が分かれたと聞いて、大変興味深く感じま した。
■動物とは切りはなされた存在の「人」は脳なのか→生物としての「死」とは何なのか
■人間の死は他の動物の死と違うと考えている人がいて、驚いた。動物の権利に関する議論と、人間の尊厳 を判断するための脳生/死の重要性には、何らかの関連性がある気がするけれども。こういったことは、 一緒に教えるとよいのかもしれない。そして、科学技術の限界と人間の尊厳を教える必要がある。臓器を 得ることを目的とした議論よりも、こういった点をもっと強調する必要がある。(臓器移植は死を拒否す ることだけれど、臓器受容者の悪い腎臓を何とかするといった方法で避けることの出来る死であり、これ と対立するのが、事故などによる避けることの出来ない、決定的な死である。この場合、もうドナーの側 はすでに死んでいる。この点で、脳死が死の定義を混乱させている。)

勉強会について、その他
■参加者が多くなりすぎると問題だが、10名程度ではやや寂しい。多様な意見、実践をもっと聞きたい。
■日頃考えていないので、良い勉強になった。
■今後も活発に活動を続けていただきたいと思います。
■模造紙への表現(意見を出したりつなぎ合わせたり発展させたり)をもっとうまくできれば実りも多いだ ろうと少しくやしい。まだまだなれずに、もったいないことをしている気がします。
■他の科学の分野同様、生命倫理という学問がどこへ行くのかわからないものであることに今更ながら気づ いた。

会議報告
第3回つくば国際生命倫理円卓会議(10月30〜31日、筑波大)
第9回日本生命倫理学会年次大会(11月1〜2日、筑波大)
UNESCO Asian Bioethics Conference (11月4〜8日、神戸、福井)

第3回つくば国際生命倫理円卓会議
 つくば国際生命倫理円卓会議は、第1回目を1993年に、第2回目を1996年に開き、第3回目である今回は国内外からおよそ40名の研究者が参加しました。「円卓会議」と名付けられているとおり、机を円形に配置し、インフォーマルな雰囲気で自由に意見を交換するというのが、この円卓会議の主旨です。議題は、医療倫理から環境倫理まで様々でしたが、これだけ多くの国から人が集まった生命倫理の会議というのは、私自身初めてで、とても刺激的でした。例えば、クロアチアの研究者の発表から、非常時と通常時に、同じ倫理を適用するべきなのか、といった点について考えましたし、インドやマレーシアなど東南アジアからの研究者とイギリスやフランスなどヨーロッパの研究者が、何が国内の「発展」に関する問題で、何が国際的な「生命倫理」に関する問題なのか議論する様子は、これからの生命倫理のあり方を一足先にのぞくようなものでした。
 生命倫理教育については、イスラエル、ベン・グリオン大学で医療倫理を教えている哲学者、フランク・レヴィット氏が、大学院生が高校や小学校に生命倫理を教えにいっている事例を紹介されました。イスラエルでは、これまでのところ、高校の先生が生命倫理について教えるのではなく、生命倫理を学ぶ学生が出向いて子どもたちに教えるという形がとられているようです。これは、日本に比べて、イスラエルの教育カリキュラムがゆるやかであることも関係しているようです。

第9回日本生命倫理学会年次大会
 日本生命倫理学会の年次大会は、1989年の第1回目から毎年、大会長が変わり、学会の場所や運営もその年毎に変わるという方式を取っています。今回は、メイサーを大会長に、筑波大学で行われました。
 生命倫理教育に興味のある私たちにとって、今回の年次大会は大きな励みとなりました。というのも、今回は、生命倫理教育のセッションが2つ設定され、ひとつは大学、主に将来の医療従事者のための生命倫理教育について、もうひとつは、高校での生命倫理教育についてそれぞれ発表が行われたからです。大学での生命倫理教育については、これまでも取り上げられたことは何度かあり、かなり定着した向きもありますが、高校での生命倫理教育については初めて耳にする人も多かったようで、現状を知らせるという点だけでも、有意義なセッションだったように感じました。
 セッション5、生命倫理教育2では、当ネットワークから、麹町学園女子高校の小泉博明先生、羽田高校の橘都先生、国分寺高校の大谷いづみ先生、筑波大の浅田が発表をしました。会場にも、ネットワークのメンバーの先生方が何人かいらっしゃっていました。発表は、ひとり20分ほどで、まず、浅田が学校における生命倫理教育ネットワークのこれまでの活動や今後について話し、次に、小泉先生が、高校での現状、歴史という教科においても生命倫理教育の可能性があるという事例をお話くださいました。そして、橘先生が、国籍も学力レベルも様々な定時制の生徒を野外学習に連れていった体験から、生命倫理教育の多様性を示唆され、最後に、大谷先生から、生命倫理教育本来の目的である「生徒へゆさぶりをかける」ための授業の進め方、生徒たちがそういった授業をどう受けとめているのかといった点についてお話いただきました。唯一、ネットワーク外からのご発表者であった、山口大学の川崎勝先生がご家庭の事情でおいでになれなかったため、発表者の間で話を深めることはできませんでしたが、そのぶん、会場から活発な意見をいただきました。
 高校での生命倫理教育のセッションには、その直前に行われた大学での生命倫理教育のセッションに参加されていた方や発表されていた方が、多くいらっしゃっており、そういった方々の一般的な感想は、「高校でも、もう生命倫理教育が行われているのか」といったものだったようです。そのため、大学関係者からは、驚きの混ざった暖かな励ましのコメントを多くいただきました。そのなかでも、大学では一度にたくさんの学生に教えなければならず、一般に思われているよりもカリキュラムも自由ではない、大学に入ってからでは生命倫理教育は遅すぎる、ぜひ高校で基礎を作ってほしいといった意見を何度か耳にしました。質疑応答の時間にも、具体的に話が出たのですが、大学受験が生命倫理教育にとって大きな影響を与えているということが、このセッションの多くの参加者の共通認識だったようです。結局は、高校側からだけ、あるいは大学側からだけ働きかければよいというものではなく、両サイドが歩み寄り、何か具体的な提案ができるとき初めて、問題解決の糸口が見えるのでしょう。今後、できれば日本生命倫理学会で引き続き、このようなセッションが設定され、あるいは、また別の形で様々な立場の生命倫理教育従事者が発表をし、話し合いを行う場を設けることができればと思いました。

UNESCO Asian Bioethics Conference
 日本生命倫理学会のすぐあと、神戸と福井でUNESCO Asian Bioethics Conference が開かれました。世界29カ国から100名ほどの研究者が参加し、およそ1週間にわたり生命倫理について様々な角度から話し合いが持たれました。この会議には、アジアから多くの参加があり、「アジアの生命倫理とは何か」「アジアとはどこか」「東洋、西洋といった図式は成立するのか」といった点について論点が多く出されました。こういった議論は、1週間で結論を出すにはあまりに難しく複雑な問題であり、結局、結論とよべるようなものは得られなかったのですが、これまでなかなかチャンスのなかった「アジア」の人、「南」の人が発表をし、様々な人と交流を持つことができ、その点で有意義だったように思います。残念だったことは、同時通訳付きだったにもかかわらず、日本人の姿がほとんど見られなかったことです。
 International Education and Ethics というセッションが2日目に持たれ、多くは医学部での生命倫理教育実践例の発表でしたが、私も日本生命倫理学会で発表したものと同じ、当ネットワークの活動について発表をさせていただきました。私たちのネットワークの活動が、多くの国の人から暖かな励ましとともに受け入れられたことは、大きな喜びでした。
 以上、生命倫理会議報告でした。報告を通じて、私が感じた生命倫理教育の可能性を先生方と共有することができれば幸いです。

 麹町学園女子高校、小泉博明先生から、今後のネットワークについて次のような提案をいただきました。

(1)養護教諭の先生方の入会を促進する。
(2)「日本生命倫理学会」で、継続して生命倫理教育のセッションを望む。この生命倫理教育とは、医療従事者以外を対象とする。
(3)生命倫理教育ネットワークの年次大会の開催。
3名程度の発表(生物、倫理、それ以外の教科、幼小中高教諭、大学院生など)
研究者の講演・討議
懇親会
臨地見学会
(4)「研究紀要」の刊行

勉強会、あるいはニュースレター紙面を通じて、皆さんのご意見をお聞きできればと思います。ひとつだけはっきりとしていることは、小泉先生のご提案を実現し、ネットワークをさらに深く広く進めていくためには、ある程度の仕事の分配が必要になるだろうということです。誰もひとりでいくつも仕事を抱えられないのはあたりまえですが、「ネットワーク」として機能し続けることこそ、生命倫理の実践に他ならないと思います。
教材発掘
 このコーナーでは、授業で生命倫理に触れる際に参考となる本や論文、記事、テレビ番組、インターネット上のホームページなどを紹介します。みなさんに紹介したいものを見つけたときには、ぜひこのコーナーにお知らせください。

NHK「地球法廷・核と人類」
8月に衛星放送で「インターネット・ドキュメンタリー」として取り上げた、テレビとインターネットを同時に使った企画。「スミソニアン幻の原爆展」をインターネット上で開催し、「原爆投下」の是非について世界19カ国から意見が寄せられた。議論自体はすでに終わってしまったが、どのような議論が行われたのかを見ることはできる。そして、この地球法廷企画の第2弾は「生命倫理」がテーマだそう(来年スタート)。

学校における生命倫理教育ネットワーク第8回勉強会のお知らせ

<とき・ところ>
12月6日(土)15:00〜18:00
東京都立日本橋高校にて

<テーマ>
生命倫理教育と総合学習

<当日のスケジュール>
15:00〜15:30 オリエンテーション、アイスブレーキング
15:30〜16:10 名古屋大学教育学部附属高校、田中裕巳先生(倫理)のご発表
16:20〜17:00 グループに分かれての討論
17:00〜18:00 全体でのわかちあい、まとめ

参加される方は、 Email < asianbioethics@yahoo.co.nz >.まで、参加の旨を事前にお知らせください。話し合いを有機的なものにするために、できるだけ、最初から最後までご参加ください。やむを得ず、遅れていらっしゃる場合は、事前にお知らせください。

<日本橋高校への最寄り駅> 営団地下鉄半蔵門線水天宮前駅(2番出口より徒歩2分) 日比谷線・東西線茅場町駅(4b出口より徒歩7分) 日比谷線・都営浅草線人形町駅(A2出口より徒歩10分)
生命倫理に関する教育研究グループ
浅田由紀子 ダリル メイサー(責任者、筑波大学 助教授) 
〒305 茨城県つくば市 筑波大学 生物科学系
FAX: 0298-53-6614 / TEL: 0298-53-4662
Email < asianbioethics@yahoo.co.nz >.
学校における生命倫理教育ネットワーク
オーストラリア,日本,ニュージーランドの高校における生命倫理(日本語版)
Teaching materials in English/生命倫理教育の補助教材(日本語版)
To Eubios Ethics Institute Bioethics Resources